2011年2月22日火曜日

マルタのやさしい刺繍

 『マルタのやさしい刺繍』というスイス映画を観た。舞台はスイスの片田舎。夫を亡くした婆ちゃんが、その悲しみから立ち直るため、新しいことをはじめようという話。
 ところがそれが、ハンドメイドのランジェリーショップやった為、周りからえらい反対されたり、軽蔑されたり、嫌がらせされたりする。途中断念しかけるも、友達の支えあって最後にはハッピーエンドを迎えるっちゅー、ほんわかした映画やった。

 この映画の中に、アメリカかぶれの加賀まりこ風婆ちゃんが出てくる。若い頃アメリカに行ったことがあるというウソをついたまま死んでしまう。

 彼女が死んだあと、ウソをついていたことに対して主演の婆ちゃんが、
「彼女のおかげで人生が素晴らしいものになった」
 と、とがめることなく逆に感謝するシーンでめちゃくちゃ泣きそうになった。

 これはホンマそうやなと思った。

 そもそもウソって何やろう?
 そして、ホントって何なのか?

 人を悲しみから救うためにつくウソは「救い」。
 人に希望を与えるためにつくウソは「希望」。

 そして、ホントのことってのは時に絶望や悲しみを与えてしまう。なら、別にいつもいつもホントのことだけ言わんでも、ウソばっかついててもいいんちゃうかなぁ。

 ホントのことばっかりを追い求める人は、くそくだらないモノばかりを見つけては、いつもボクラから夢をうばってしまう。わからなくていいことをわからせてくれてしまう、おバカちゃんにはうんざりや。

 イメージでつくウソは夢を描き、いつかボクラに宝物をくれる。この世界は夢で出来ている。宇宙と言う名のウソのイメージが描いた夢がこの世界。

 そして、そこに存在するモノすべてが宝箱。夢が入った宝箱。そのハコの中に宝を詰めるために夢が詰まってる。

 ホントのことばっかり追い求めずに、適度にやさしいウソを集めれば、ええ宝物が手に入るんやなぁ。
ってことを、この映画を観てなんとなく思った。

まあ、この映画はそんなことを伝えた映画では、まったくないんやけれどもね。