2012年12月23日日曜日

鳥の丸焼き おれのつぶやき


先月末に、カトープレジャーグループとかゆー企業のホテルに面接をぶっちされてから

「さてどうしたもんやろ?」

と就職について考えてみた。



1.相変わらずテキトーな企業に片っ端から応募する



2.ホンマにやりたいことだけに絞って就活する



理想を言えば2なのだが、経験を考慮するとなかなか難しい。



しかし、1を選ぶとまたクソ企業のクソ対応を受け続けたあげく、時間がムダに過ぎるだけ…
なので2を選んだ。

すると奇跡的にやりたかった仕事が、最寄り駅から三駅離れた町で募集されていた。
Web応募後、履歴書持参で面接が決まり、12月1日(土)。即日採用されちゃった。


とんとん拍子で2月からの仕事が決まった。

決まるときってのはホンマに一瞬や。



やったぁ!



その後、1月に大阪府の庁舎にて開催されるロボットイベントの、来場者促進企画を考えなければならなくなり

「ロボットゆーたらロックンロールやろ?」

と無理くりな企画書を通した結果…



高木まひこくんによる、ロックンロールロボットライブが決定した。

まさか今の仕事でライブを企画出来るとは思わなんだ。



やってみるもんや。



そんなこんなで12月23日。

世間様はクリスマスイブイブで、町中では若者共がぶいぶいピストン運動を行っている。
僕はと言えば本日は、この大日本帝国の!
いや、宇宙全域のシンボルと言っても過言ではないあの方の、聖なるバースデーを祝っている。




そう、彼の名はかのーさん!

十年来のアミーゴや。



「フェリス! クンプレアーニョ!」



丸焼き意外と簡単でよかった。

2012年11月23日金曜日

柿干すガキが干された日のもの書き

 愛息子”一休”も、もう少しで3ヶ月。ホンマにビビるぐらいすくすくと育っていて、先日とうとう初の湯船グソを「ブボッ!」と放射した。
湯の中でゆらゆらと散らばり泳ぐクソを眺めながら、一休の笑顔に癒された。その後はもちろんシャワーを浴びた。
それにしても、風呂の中でうんこちびってもかわいいって言われるんは、一体いくつぐらいまでのコトなんやろうか? 
5歳ぐらいまでか? 10歳ぐらいまでいけるんか? 31歳ならどや? あかんわな? あかんやろ? あかんに決まってるがな!!

 そういえば昨日、Face Bookに珍しい人からコメントが来た。メキシコで1ヶ月間だけ一緒に働いたことのあるUSA代表ガンジャマン、アンドレスからだった。ちなみにアンドレスはスペイン語読みで、米名ではアンドリューらしい。
彼には向こうでなかなかお世話になった。もし彼が日本に来ることがあれば、ぜひともお礼に
 
「はいアンドレス。これがジャパニーズガンジャだよ。お食べ」 

 とヨモギの葉っぱを煎じて食べさせたい。きっと彼は大声で喜ぶハズだから。そう、彼はぶっ飛んでいるのだ。
そんな彼からのメッセージはこれだ。

”Haru~~. I miss you two.”

一見フツーに思えるコメントだが、この写真に対してのコメントだと考えると少しおかしい。



なぜならこれは、紛れもなく柿だからだ。どこからどう見ても柿だ。間違っても僕ではない。スペイン語で柿のことをHaruとは言わないし、英語でもきっとHaruとは言わないだろう。
だからこれを見て

 「恋しいよハル~」

なんて言ってる彼はちょっぴりおかしい。イッちゃってるのだ。それに語尾のTwoが何なのかが不明や。

いや、しかし。 ん? ちょっと待てよ! もしかしたら僕は柿なのかもしれない。自分では自分の顔がそれなりに人の形をしているように見えているが、ハタから見たら柿に見えているのかもしれない。
そう考えたらアンドレスがおかしいのではなくて、僕の頭がイッちゃってるのかな?

だから僕は、たまに人間から相手にされないのだろうか?

そう、実は昨日阿倍野で面接予定だった。しかし、先方の都合で面接日程を今日に変更してくれと言ってきた。僕はこころよく了承した。
それが3日前のこと。

ところがそれ以降、面接時間や携行品などの詳細メールがいつまでたっても送られてこず、電話もかかってこずで、今日という日がもう少しで終わろうとしている。
こんなことはいまだかつてなかった。正直ありえへんぐらい失礼な企業さんやでホンマ。

 まあでも、俺が柿なら無視されても仕方がないんかなぁ~~。干して干して干されて干して、欲して欲して干されて欲して…。

せやけど干し柿って、案外簡単に出来るもんなんやね。って俺やなくハニーが作ったんやけど。

2012年10月15日月曜日

ロンリー脱出

13日(土)に、長崎で宮参りならぬ寺参りを済ませ、昨晩無事に嫁と息子をつれて大阪へ帰ってきた。

今日は代休なので、家のことをしながら、親子水入らずでのんびりと餃子パーテーを楽しんでいる。

しかし、齢一ヶ月弱ながら、なかなかええ面構えしとるわ。


とにかく無事で何よりやぁ~~

2012年9月24日月曜日

刻一刻と俺の時代が…

こ~い。こいこいこい…。
こーい。こいこいこい…。


酔いがまわれば、触れないハーツもあっちゅー間に鹿鳴館あたりで、ロックハーツ!!

いやいや、とてもやばいね。

サンハウスを聴きながら、真っ最中でロケンロール。

たづの立ち込める匂いよりも、オーストラリアの皮の匂いの方がやばい。と、言い切るお前のアンダーグラウンドさに抱かれたい95.
  


下手糞な自我を琥珀に沈めて乾杯。

2012年9月17日月曜日

自棄酒したいとき…

 頭を丸め、就職してから早3ヶ月。最近ようやく、お洒落が似合う長さになってきた。大好きな柄シャツも坊主頭で着ると、若干チンピラめいて見えるからね。

 
 写真は先日撮影したもので、左からまひこちゃん(高木まひことシェキナベイベーズ)、僕(ホモ・ヒポポ・タマーズ)、山本さん(いつもお世話なってまーす!)、CHANTのマスター(お好み焼きマジおいしかったでーす!)と、そうそうたる面子である。
この写真を見れば、僕が黒髪をジェルでおったてて、かなりイキッてることは一目瞭然だろう。大抵のONNAは俺の姿を見ただけで、オルガズムに達するか、リビドーに駆られる。

 だがしかし、僕はかなり髪の量が多い。少し暑苦しい気がする。
 
「ちょっとスイたら?」
 という、嫁の提案を思い出し、今さっきバリカンでスイて見た。なんせ僕の持ってるバリカンの名称は”スキカット”。スキ機能搭載の最新型のバリカンだ。

 とはいえ、バリカンでスクのは初めて。(以前スキバサミとカミソリで散髪したときは、見事失敗に終わってしまった)。
 しかし、何やいうてもマシーンなワケだから、失敗はありえないだろう。思い切ってやってみた。



…失敗した。



横をやりすぎてしまっていた。





縦もやりすぎてしまっていた。

結局はそうか。丸めるしかないのか。ワインでも呑むかぁ~。



「やってられへんわぁ!!」




2012年9月8日土曜日

お前さん? Oh~ My Son!

 いやいや、一休さんホンマにね。親父はお前さんの動向一切目の当たりにせず、嫁からの報告のみを聞き、平穏な日々の姿を想像しているんでがすよ。

 おぎゃおぎゃ鳴いては乳を欲し、腹が膨れりゃただ眠る。その姿、本に人間。いや、生き物らしいがな。


-寝て起きて
 お乳しゃぶりて
 糞たれて
 また寝て起きて
 しゃぶりてひねる-

負けますわホンマ!

「御前、雲眺めながら寝てますんかいなぁ?」

 雲のジュウザも真っ青な自由気ままさやね~。
格好ええであんた。ずっと、もっと、そっと、イマジンしててや。


 糞垂れても微動だにせぬお前の姿を、目に焼き付けたいよおいどんは。なんせ、男31にもなれば臭いには敏感。ただいま居間に奮闘中。

 ベランダに植えたレモングラスに久々肥やしをやろうと思い、希薄した黄金水をばら撒いたワケだが、これがまた…。

 「希薄した黄金水とはなんぞや?」
 と、聞かれるのもクソだるいので説明しておくと、なんのこっちゃない唯の小便です。
 
 我が小便をペットボトル等の容器に貯め、1週間~10日間寝かす。



-黄金色が琥珀色に変わり、匂いにも変化が出れば、最高の肥やしと成る-

 と、あの時あいつは言った。


 あいつが誰で、あの時がどの時などはどうでもよく、ただ単に琥珀はアンバー。バーボン色だと思えばこれまた楽し。
 寝かす寝かさぬは別として、酔うか酔わんはのるかそるかのロングショット。按配よければ世もまた浮きし。憂きし昨今思えば悲し。


 ううむ…。ふうむ…。風雲…。


 そろそろ拙者もやらかして候。



ファ~~~~~~~~~~~~~~ック!!!!!!!!!!!







2012年9月4日火曜日

イキイキ生き壱岐してまんがな!

~夏の夜に
 グラスかたむけ
 ひとり酒

 風に抱かれて
 酔い心地かな~



一休がこの世に生を受けて早6日。

寝てばっかりのしわしわのお猿さんやった一休も、早くも煩悩剥き出しで、今では1時間ごとに乳をねだり泣きじゃくる始末。

本能的に生にしがみついてるんやろう。

ええこっちゃええこっちゃ♪

生きたいって気持ちを持つのはええこっちゃ!

今まさにおいどんも、生きたくて生きたくてしゃああれへん。

一休の成長を見守っていきたいからね。




ってわけで、今宵は"生き"と"壱岐"をかけまして、長崎は壱岐島の麦焼酎をやりながら、これまたお義母さんからいただいた長崎のかまぼこを食してま。






どっちもんまい!


いやぁ~~。うまいもん食いながらうまい酒をやらかせば、あっちゅーまに酔いがまわるもんやね。



そのうちアルコール度数22じゃ足りなくなってきて、

「40度はまだかぁ!!」

と、バーボンをねだりたくなってくるのだから、ホンマに人間っていう生き物は…

「この、バカチンがぁ!」

だYoね。



ほなそろそろ、バーボンソーダでシュワッといきますかぁ~!

2012年9月2日日曜日

パパパ…パンプキ~ン!!

8月29日。9時3分。ついに産まれました。Mi bebe。
いやぁ~。ホンマにかわいい。かわいすぎる。親目線抜きにして客観的に見ても、世界一かわいい!!

 出産に間に合わず、産後2時間遅れで長崎に到着。真っ先にゆうきちゃんに「ありがとう」を言いに行った。
 前日におしるしがあり、その晩から陣痛が始まり、翌朝には無事に出産。僕が未熟児で生まれてきていたこともあり少し心配やったが、その心配をよそにめでたく安産。といっても男にはわからぬ痛さ辛さがあったと思う。ホンマに嫁には頭があがらぬ。ただただありがとうというばかりや。

 ゆうきちゃんの安否を確認した後、一休に会いに行った。保育器に入っている我が子をガラス越しに眺める。かわいいなという思いが単純にこみ上げてきた。
夕方になり、助産婦さんが一休を部屋につれて来てくれた。初めて触れる2人の愛の結晶。一休を抱きかかえるゆうきちゃんの姿を見たら、思わず涙がこぼれてきてしもうた。しかも大量に(笑)。

 なんといったらいいのか分からへんが、とにかくうれしくてうれしくてたまらへん。ゆうきちゃんも一休も天使やとばかり思っていたが、こらもう神様やわ。
そしてボクは、めでたくパパパ…パンプキ~ン!!


これからは3人でのんびり歩いてい~こう! もしかしたら、4人5人と増えるかもしれんが。

2012年8月15日水曜日

バーボボボボン!

雨上がり昼下がり。

ひさびさにバーボンを呑んでいる。

世間さまは皆ボンボボボボ…
今頃あっちこっちをさまよい歩いてるっつーのに。

オイラは金もなく、ただ独り琥珀色の液体と向き合っている。

友達はレコード。

針のとぶレコード。

33回転で俺もとぶ。

蝉の声が空に響く。黙らせようと雨が降る。
草木は濡れ、風はまた冷たく流れ、オイラの心はおっぱんぱん。

さらけ出すハーモニー。シカゴブルーズ。

ああやっぱケンタッキー行きたいなあ~。

2012年7月29日日曜日

そら屁もたれるわ

 もともと体調を崩しやすいタイプやが、最近はなかなか順調かな? 
と思っていたらば、久々バタンキュー。
どうやら風邪をひいたみたいや。
もしくわ夏バテか?

一休寺、天神祭、東寝屋川盆踊り。
少しかっとばしすぎたか?

 てことで、昨日の盆踊りは休むことにした。
月末の盆踊りに備えて、体調を整えエネルギーを温存するのだ。

まめかちも少しは様になってきたし、江州も少しは振りがわかってきたような気がするし、31日は踊ろう♪
踊る阿呆になろう!




そして、みなさん踊りましょう!

踊る阿呆に見る阿呆とあるが、いま現在僕たちは、阿呆にいいように踊らされてる阿呆になってしまっている。

だからこそまずは、阿呆を見る阿呆になり、阿呆でない阿呆を見て阿呆になり、踊ることで阿呆を知り、そして真の踊る阿呆になるべきやろう。

だがまず僕は安静にしなけりゃならないね。


昨日一昨日で、坂口尚著、『あっかんべぇ一休』を読んだ。
ん~。
考えるべきことがまた1つ増えた。

そして、棒々鶏を作って食べた。
うまかった。



 もともと一休さんのことなどはまったく知らずに名付けた一休という名。
が、一休宗純を調べるうちに、これなかなか思い描く我が子像にピッタリあてはまる人物や。

まあ、我が子はとりあえずのんびりと、あるがままに生きてくれりゃいいがね。酒と女を好きになってくれりゃいいよ。


『有濡地より無濡地へ帰る一休み 
 雨ふらば降れ
 風ふかば吹け』
しっかし暑いね~~。汗どぼどぼ。それもまた生きてる証。からだいっぱい夏を感じませう。

 

2012年7月23日月曜日

すきすきすきすき愛してる

昨日、京田辺にある一休寺へ行ってきた。

東寝屋川から京田辺までは30分近くかかる。だもんで、駅前のイズミヤでCERVEZAを購入することにした。
KIRINを買うつもりだったが、何故かハートランドのビンが500ml280円で売ってたのでそっちを選んだ。
で、夢列車に揺られながら体を濡らす。

「くぅ~~!! 五臓六腑に染みわたるぜ~~~~~!!」


そうこうしてたら京田辺駅に到着。駅を出ると、そこには早々に一休さんの姿。

とりあえず記念撮影。



「まあまあ、掃除ばっかりしとらんとあんたも酒呑みなはれや」


駅から一休寺まではだいたい徒歩15分程度。京都というだけあって、町並みが大阪とは違うことがわかる。

500円の入園料を払い、真っ先に寺へ。
庭園があまりにもキレイなので思わず縁側でゴロゴロ…。


キレイにしてるわ。マジで!



「自慢やないが、5時間は寝てられるわ! ここで一句!! 
        ”縁側で 寝そべる乞食 腹出して 何を思うか 夏の空”」


この後、出口で一休納豆をつまみながら梅昆布茶を飲む。一休納豆はかなりしょっぱく、焼酎のアテに最適な気がしたが買わなかった。
なんせこのあと甘南備山に登ることになっていたので、極力荷物は増やしたくなかったのだ。

一休宗純さんの作った髑髏を見たあと、甘南備山へと向かった。途中、立ち寄った薪神社をうろうろしてたら、急に腹痛に見舞われた。

「やばい!! 我慢できひん!!」

トイレを探すも施錠されており、どうにもこうにもならん状態。しかし、もう限界。
神社の裏の茂みでひねり出す。 南~無~。少しバチあたりな気もしたが仕方ない。これもまた自然の摂理。

野ションや街ションをしてたら、たまに説教かます人がいるが、これには正直納得がいかない。

「わしかて動物や!! 野ションぐらいするわい!!」

「街中~。不自然な建物に囲まれた結果、自然な行為がタブーになっちゃう国なんてぶっ潰しちゃえ!!」

そう、小便たれるも糞たれるも、生物としてごくごく当たり前の行為なのだ。

しかし、紙がなくて困った。どうしよう! 仕方がないので手ぬぐいで少し拭いた。
手ぬぐいを洗いに水場へ行くと、叶さんがハートランドの空き瓶に水を入れていた。

「なにしてんの?」

「いや、これでケツ洗えばいいと思って。インド人もそうしてるし…」

友情を感じた。
ボクはホンマいい友達を持った。

アナタにはいますか?
こんなにいい友達!!


清水でケツについた不浄なるものを洗い流し、いざ甘南備山へ!!

途中バナナの木を見つけた。


…多分、バナナ。


甘南備山の頂上まではそないに遠くなかった。
小一時間ほどで到着したのだが、ここで賽銭箱に小銭を入れようとして、財布がないことにきづいた。

「あっ! さっきの神社や!!」

ウンコするのに邪魔やから、狛犬にひっかけてたのんをすっかり忘れてた!!

急ぎ足で下山。

結局1時間半ほど放置していた財布だったが無事だった。

「神さんが守ってくれてたんや~~」

ここでまさかとは思ったが、おみくじをひいてみた。


やっぱり!!

大吉やった!!



それもこれも一休パワーやね!!

はよ生まれて来い一休!!

お父ちゃんはまっとるで~~!

2012年7月14日土曜日

こらもうジャパニーズRockだぜ!!

 社会復帰してから約一月がたった。職場の仲間たちと仕事帰りに呑み行くなんて、リーマン気取りなコトしちゃったり、箕面にチャリ作りに行ったはいいが何故かエルビスの本を持ち帰ったりしてる間に、時はたんたんと流れていった。

そんな中、今週頭の7月9日月曜日に、アミーゴがっくんとかのうさんからのお誘いを受けて、野崎観音”千日参り”で開催される盆踊りに行ってきた。

去年このお祭りに参加したことのあるがっくんがしきりに、
 「かなりやばいよ。盆踊りという名のロックフェスや!!」
といってた。
 ボクは、(そんなコトいうて、またオーバーにいうてんちゃうかいな?) と疑心暗鬼やったのだが、観音さんに着いた瞬間、しょんべんちびりそうになった。

 空にまで鳴り響く太鼓の音。体を痺れさすギター音。心をつんざくような河内ソング&江州ソング。
 ―コレハモウ カクジツニ ロックダ―

 俺の中のイカレコンピューターがRockだと認識した。…
踊りたい! しかし、まったく踊り方がわからない。会場に集まっている人たちは、各々チームを組んでいる場合が多く。ビシッと揃った踊りを披露していた。
個人で踊っている人も、素人のボクが見ても、一瞬で見とれてしまうほど美しい。
 
 踊りたい。でも踊れない。入りたい。でも入れない。だが、ここまで来て、見る阿呆で終わるのはイヤだ! 踊る阿呆になりたい!

意を決して輪の中に飛び込む。見よう見まねで踊る。確実にズレている。恥ずかしい。が、恥ずかしさはアルコールで紛らわす。

 すると、一人のオジサンが近づいてきた。
 「はい。左前。右前…」

 素人まるだしの僕らを見て、なんとわざわざ講義しにきてくれたのだ。
オジサンにあわせて踊る。さっきよりはだいぶマシになってきた。
すると、お次はセニョーラがやってきた。あとあと聞いて知ったのだが、セニョーラはなんとこの世界では知る人ぞ知る有名人物・とびきよさんとのこと。

 お2人の力添えあって、初めてにしてはなんとかかんとか踊れたと思う。そして楽しめた。
(後輩のしゃぶ太郎は狂い過ぎて、周りの人らから若干変な目で見られてた…。まさにしゃぶ中のようだった。ビール一杯であそこまで狂える彼がうらやまし…くは全くないが)

 しかし、河内音頭・江州音頭がこないに激しいとは、思っても見なかった。そして、僕らのおとんやおかん以上の年代の方たちが、実に元気に飛び跳ねている。

 正直、ボクラ若者どもは勢いで余裕で負けてる気がした。ロックフェスやらなんやらでタテノリでワーワーいうてるよりも、盆踊りでハードにムーヴする方がよっぽどRockや。

 こらホンマやばい。酔いどれツイストぐらいヤバイ! 

 日本が誇る盆踊りカルチャー。これは確実に後世まで伝えていかなければならないものだと思う。そのためにも、踊り方知らんでもいいから勢いで参加すべきや。

楽しみたいって心意気さえあれば、先輩らがやさしく、時にきびしく教えてくれる。

 全国のロックな奴ら。ぜひぜひ行ってみてください。ちなみにボクは明日また行きます。

 住道で会いましょう。


 
 

2012年6月24日日曜日

ここのおでんがとにかくうまい!! 思った以上に世間は狭い!

おととい住道にある中華そば屋に行って来た。
駅から15分ほどの距離にある〇〇という中華そば屋さん。(名前忘れたので〇〇にしました)

戸をガラガラッと開けると、
「いらっしゃい!!」
と、スキンヘッドの大将が気持ちいいぐらいの笑顔で迎えてくれた。

この時点で中華そばがうまいのは確定した。
そして、味わってみるとホンマにうまかった。

濃い色のスープやがくどくなく、麺の固さもほどよい。太麺にスープがようからんどるわ。


が、僕がイチバンびびったのはそばやなくておでん。1本80円って値段にもびびったけど、とにかくうまい!! 
味がええ感じに濃い!! こんな味付けのおでんは初めて食べた。オススメは厚揚げです。



ちなみに今の職場で自己紹介の時間があったんやが、その時インディーズバンドと酒が好きやという人がいて、僕は一瞬でこの人もしかして??? と思い休み時間に、
「もしかして夜ストとかすきちゃいますか?」
と訊ねたところ、
「一回だけ聞いたことあるよ。僕の好きなバンドと対バンしてて…」

「好きなバンドって?」

「高木まひことシェキナベイベーズって知ってる?」

もちろん!!!

どうやらドラムのはやと君と友達らしい。いや~~。世間はホンマ狭いね。

2012年6月15日金曜日

社会復帰

 いろいろと悩んだ結果。とうとう坊主にしました。なんせこの3ヶ月間ただただ貯金を食いつぶすばかりで、このまま行くとあと2ヶ月もすれば、13年ぶりに夜逃げしなあかんぐらいバイヤーな状況だったのです。
それが、「頭を丸めるだけで就職できるなら」と、明るい奴隷となることを決意。四方八方を海に囲まれ、まるで牢屋のようなこの国で、囚人生活をおくることを心に決めたのです。WAO~! ボートピーポー!! 波が荒くて逃げれないよ~~~。

 はてさて、産まれてくる一休よりも先に一休さんとなった僕チン。どうせなら明るい奴隷で行こうと、スキップスキップランランラン♪ で、面接に向かう。
坊主頭で面接を受けるのは今回が初めて。緊張で勃起しそうになる股間と心をおさえつつ着席。すると面接官がこう言った。

「あれ? 頭丸めたんですか? この間までこの履歴書の写真の髪型だったんですよね?」

「ええ。昨日まで」

「清潔感あってオシャレでいいじゃないですか。もったいない。」


そ、そげな~~~~~~~~~~~~~~~!!




ションベンちびりそうな衝撃だよホント。

 まあ、しかし合格しました。来週から働きにでます。坊主頭にスーツスタイル。泣く子も黙るチョイワル変態オヤジスタイルで、この国の歯車になったと見せかけて、動きを止めるように勤めます。
それがせめてもの抵抗。反抗心は忘れずに、少しばかりのあいだはホンネとタテマエを要領よく使いこなしちゃうよ~~~ん。

THE・社会復帰!! 
ファック・ザ・バビロン21!!

2012年6月8日金曜日

動悸息切れにプーシンプーチン

帰国してからというもの、かれこれ20枚以上は履歴書を書いただろうか?


面接だって今までの人生にないぐらいの数を受けている。

こうなってくると、面接なんてツレとの挨拶みたいなもんで、緊張など全くしなくなってくるから困ったもんだ。

挨拶はウィッス! 待ち時間もタイヤ付きのイスで遊んでしまう。
そのうち赤ら顔で行ってまいそうや。

ただ、どうにもこうにも履歴書ってやつは苦手。特に志望動機の欄。毎回毎回あたまを悩ませる。
僕は悩むのが嫌いや。だからここ最近、志望動機の欄は未記入にしている。
だって志望動機なんてないもん。

面接官も何も言わんし、たいした問題ではないのだ。


そもそも男が働くのに、たいした志望動機などあるのだろうか?

「いや、ないな」

きっとない。ただ女にモテたいだけや。気持ちいいことしたいだけ。

僕もそう。ハニーにモテたいだけ。働く理由はただそれだけ。

ようするに純粋に不純。

そらそや。この世に女性がおらんかったら、男なんてまちがいなく働かんやろ。昼間から酒呑んでくだまいてるよ。暑い国の奴らと一緒や。

だからいいかげん履歴書の志望動機欄、ちゃちゃっと無くしてくれんやろかいな。

代わりに目覚ましテレビとかでよくある、テキトーすぎて文句つける気にもならへんクソ占いでも書いててくれたら、ラッキーカラーの黄色のシャツ来て新しい出逢いに期待しながら面接受けに行きまんがな。

きっとフラれるよ。黄色のシャツなんて着ていったら。

あと自己PR聞くんやめてんかぁ。
こっぱずかしいから。
あんなもんを恥ずかしげもなくペラペラしゃべれる奴なんて、きっと政治家か詐欺師にでもなれるよ。

僕には無理やわ。唯一言えるとすれば屁がくさいってことぐらいやから。自慢にもなりゃしないさ。そんなことはさ。よいやさ~、よいやさ~!

しかし、毎日毎日うぬぼれて踊っちゃいるが、突然の贈り物はなかなか降っちゃこえへんね。

そろそろALRIGHTじゃなくなってきてるが、それでもすべてはALRIGHTなのかどうなのか。

きっとALRIGHT(Esta bien)なのだろう。

そろそろバビロンの呪いもとけるじゃろうて。

世界は何を中心に回っているのかわからないが、とかく花というモノは美しい。

それを感じれるあいだは人間大丈夫。きっとこの国を牛耳る奴らからしたら、花なんて何の価値もないガラクタと同じなんやろうけどな。



この花はボクが生まれて初めて見た花。近所に咲いてる美しい花。
美しいけどちょっとへんちくりんでもある。

近所のばあちゃんがいうには、”とけい草”って名前らしい。

確かに時計みたいな形してるね。こんな時計あったら欲しいなぁ。

2012年6月5日火曜日

老人と孤独

6月4日(月)。


朝から面接に行ってきた。片道40分かかったわりに、面接の方は「水曜日までに連絡します」ということであっさり終わってしまったので、寝屋川の町を探索してみたが、なかなか働けそうなところはなかった。

 帰ってクサレインターネットで求人検索したほうがまだましかと、バス停まで戻ってみたがなかなかバスはやってこない。仕方が無いので座る。すると1人の老人が隣の席に腰掛け、声をかけてきた。
 「その頭は何刈りっていいますの?」
 ボクは正直わからないので、かるく笑ってごまかした。そして、そのままそのおじいさんと話し込むことになった。
 「今の若い者はオシャレが出来ていいなぁ。でも、マッキンキンに染めたり剃ったりしたらあかんよ。そうなったらワシみたいなもんはよう話かけんわ。なんせ若いもんはすぐ手をあげるからな」
 おじいさんは何故今の若いもんはすぐ手をあげるのかをボクに尋ねてきた。ボクはコミュニケーション能力が低いからではないかと答えた。


 「そうかもしれんな。ところで学生さんかえ?」


 「いや。もう社会人です。就職活動中ですよ」

 「そうかいな。今はなかなか厳しいやろ?」


 「ですね~」


 「まあな。せやけどがんばって見つけないとな。兄ちゃんも女の2人や3人おるんやろ?」


 「いやいや、もう結婚してるんで。もうすぐ子供も産まれますし」


 「ほんまかいな。ほななおさらがんばらんと」

 「ですね~」


 「せやけどあれやで。子供に変な名前はつけたらあかんで。最近の子供は変な名前多いからなぁ。普通がええで普通が」



とりあえず静かにうなずき、ベイベーに一休って名前をつけることを黙っておいた。うん。無難や。



「女のコで最近マリちゃんとかリンリンちゃんとかいう名前つけてる人おるけど、それあんたキャバレーやがな。なあ?」

「ねえ」


いや、リンリンはおらんやろうと思いながら話をあわせておいた。



どうやらおじいさんは離婚して1人暮らしらしく、家に帰ってもさびしいらしい。最近お孫さんが生まれたらしいがあわせてもらえないみたいや。

「離婚はするもんやないわ。ほんまさびしいで。逃げられへんようにがんばりや」


そういうとおじいさんは杖をついてどこかしこへと消えてった。



 その後バスに揺られながらずっと考えていた。1人きりってさびしいよなぁと。言ってみたら僕が今ここに存在するってことは両親がいるからなワケや。
 そしてその両親にも各々両親がいる。ずっとたどっていくと逆ピラミッド式になるわけや。その構図を頭の中で思い浮かべていると、(なんかぶどうみたいやなぁ)という考えにいたった。きっとボクラはぶどうの房にぶらさがる果実みたいなもんなんやなという結論にいたった。
 するとぶどうの葉っぱってのは、アダムとイブの陰部を隠す衣服のようなものか。なんかぶどうっていやらしい果物やなぁ。

 しかしこの寝屋川って町はほのぼのしてるなぁ。仕事せんでも食っていけるような気になってくるから怖いわ。でもせなあかんよ。1人きりでさびしいていうてるおじさんがいる限り、若者はあくせく働かないとあかん。年金とか払う気は一切ないし、くだらんマスコミに左右される気はさらさらないが、働かなあかんね。自分のためにね。
 そしてテレビは捨てた方がいいね。僕は最低でもあと5年は買わへんつもりや。どうせAKBとか海砂利水魚ぐらいしか出てこえへんねやからおもろないし、ニュースはウソしか言わんし、目が悪くなるだけや。
なんしかハニーと会話を楽しむのがイチバンぜよ! ボクは1人やないからね~~!

2012年6月4日月曜日

就職! 離職! 東西南北? 石川啄木! 帰りたい墨国!

5月29日(火)。帰国してから初めて働きに出た。朝8時前に電車に乗り、梅田方面へと向かう。


通勤ラッシュ。無機質なハコの中でぎゅうぎゅう詰めにされた肉の塊がひしめきあう。僕はこの満員電車っていうものが、どうにもこうにも苦手や。だからこそ今まで満員電車に巻き込まれない時間帯の仕事にばかりついてきたのだ。にもかかわらず、まさか今回満員に巻き込まれる時間帯の仕事についてしまうとは…。

 そもそも満員電車を好きな奴ってのは、痴漢かスメラーぐらいのもんであって、正常な神経を持つ人からしたら苦痛でしかないやろう。多分。

かくいう僕も正常な神経を持つ人間の中の1人。だからこそ、
―気が狂いそうや。 息が詰まりそうや。 死んでしまいそうや。
と、感じてしまうのも仕方がない。

このままどっか海の見えるところへ行きたくなってしまう。
 たった40分。電車に揺られただけでどっと疲れてしまった。しかし、今日は仕事初日。がんばらなくては。
 駅から職場まで重たい足をひきずりながら、なんとかかんとか到着。作業着に着替えて現場に入る。先輩方に挨拶し、さあ仕事開始やで~とテンションを無理やり上げた僕に対し、上司から冷たい一言が浴びせられた。

「お前それ、髪型どういうつもりや!! あと服装! 社会人としてあかんやろ! マイナスや! 」

 一気にやる気がうせた。それでも我慢して3日間通ったが、4日目に職場へ向かうことはなかった。


 再び無職に戻ってしまった僕。どうしよう? なんて思ってみたところで仕事が見つかるわけでもない。またまた就職活動するしかないだけの話や。

 しかし、あせっても仕方ないので、とりあえず優雅に赤ワインを呑むことにした。すると何故か勝利の味がした。北朝鮮がいずれ開発するであろう夕方ロケットに乗って、地球を一回りしながら降らせる黄金の雨もきっとこんな味がするのだろう。

 みんな頭がイカれて右も左もわからないままに、生の大根かじったつもりが白人の男根しゃぶってしまって、マスメディアもお手上げヘルプミー! そんな時代がそろそろやって来そうやが、社会不適合者のボクにとっては関係ナッシング! もう少しだけ歯車の上を裸足で駆け回らせてもらうとしよう。

 わ~~お! ハヨシゴトミッケヨ~! キットイマノジョウキョウ、フツーナラアセッテウンコチビッテルダヨ~! 

 危機感が無さ過ぎるのは問題かもしれないが、どんなときでもメンタルが健康でいられるってのがイチバンなのだ。

 でもやっぱり働かなきゃ食べてはいけないので、今週中にはみっけよう!
そうだそうだそうしようと、太郎と花子さんはいいました。

 さ~て今日は何枕で寝ようかな。

2012年5月15日火曜日

寝屋川ふき事件

駅まであとわずかというところで、公園の入り口付近にたてられた‘‘こんぽすと‘‘とデカデカと書かれた看板が目にとまった。

こんぽすとと言えば、肥料ではないか。

メキシコ時代を思い出すなぁと、ハニーと一緒にこんぽすとの作り方を読んでいると、看板奥のフェンスの向こうからジイチャンが声をかけてきた。

初め何を言ってるのかわからなかったが、よく聞くとフキがどやこや言ってるよう。

フキ?

何のこっちゃいな?

するとジイチャン。
「そんなんも知らんのかいな? テレビ見て勉強せな。昆布と炊いたらうまいんやがな」

ああ、はいはい。フキね。食べ物のフキね。

どうやらジイチャンはフキをこっちまで取りに来いと言ってるみたい。

マジで?
ラッキー!!

公園を出てグルッと一回りし、ジイチャンの畑へとまわる。

ジイチャンから鎌を2本借りてフキを刈る。
人生初のフキ狩り体験や。

「ほらほらもっと中の方の大きいフキを取りなはれ」

「もっとようさん持っていき」

ジイチャンの好意で、なかなかたくさんのフキをゲット。

いやあ、まさか見ず知らずの町でしょっぱなからこんな親切な出来事に出会えるとは。
ハートフルなデイやなぁ。
これで今夜のおかずはフキの炊いたんや。ジイチャンに感謝や。

「ありがとうございます!」

一言お礼を言い、場を去ろうとした。

するとオジイチャンこう言った。

「兄ちゃん。わし …コップ酒買いまんねん」

えっ?

「コップ酒買いまんねん」


は!!

そっか!

銭や!!

そらそや。

当たり前の話やが、世の中ってーのは交換社会や。

ビール1本買うにしても、300円ほど金がいる。

2束ほどのフキを刈らせてもろたんやから、そりゃあタダではおまへんがな。

メキシコでのもらい乞食生活があまりにも長かったせいで、なんでんかんでん貰うんが当たり前になっていたが、ここはメキシコではなく日本。
しかも、商売人の町・大阪や。

ちゃっかりしとるで~。
ってか最初にナンボかも聞かんと、勝手にタダやと思い込んでた俺があかん。

俺はなんでも顔パス、ありがとうの一言で終わらす業界人とは違う。

正真正銘、職業無職のどこにでも転がってるような欠けた歯車パンピーや。



「あっ。すいません。おいくらですかね?」

「コップ酒買いまんねん。せやから気持ちでええがな」

都会じゃあんまり聞かん気持ち値段。

う~ん、ナンボやろ?
コップ酒1杯なら、まあ200円で事足りるが、それもなんかなぁ?

よく見たらジイチャン赤ら顔やしもうすでにやらかしてるかもしれん。
酒呑みの人間に対してたった1杯分の金だけしか渡さんのも無粋や。

かといって千円も渡してしもたら俺やったらちょっとひいてまう。つーか変に怖い。


悩んだ結果、500円払うことにした。

これならコップ酒2杯に、あまった100円で肴も買える。
酒屋がやってる立ちのみに行けばカワハギ食える。

夢のバッカス料金や!!


「え? こんなにくれまんの? わし釣りおまへんで」

「いやいやお釣りはいいですよ」

「そうでっか。ほな2回分ってことで、また来てくんなはれ」


そういうことで、初の寝屋川にて賃貸契約どころか、フキ刈りの先行予約まで済ましてきたわけや。

6月頭ぐらいにでも、‘‘第2回 酔いどれフキ刈りツアー‘‘しようかな。

今度は一升瓶と肴を持って行こう。

ジイチャンの昔話を聞きに行こう。

参加者求ム! ムードンコは岡本ゴム!





NEYAGAWA

店をあきらめ、とりあえず仕事と新婚生活の場を探すことになってから早二ヶ月が過ぎたワケだが、とうとう一昨日の日曜日に仕事より先に新居が決定した。

九州か広島か、神戸かはたまたどこぞの田舎か?
さんざん悩んだあげく、東寝屋川に決定した。

西淀川区から寝屋川市。しょうみ結構離れちゃいるが、学研都市線一本で北新地まで30分ぐらいで行けるし、何より家賃が安い。
4DKで5万5千円。築は古いがリフォームしてるから内装綺麗やし、55と来たらそらもうGOGOで行くしかないですわな。
時代も変わり、寝屋川=暴ヤンみたいなんもなく、意外にも駅前は静かなムード。 周りにも緑が多く、即決してしまったワケや。

 契約を済ませ、新居が決まったところでとりあえず祝い酒。 駅前の公園のベンチに腰掛け、赤ワインを呑みながらブルーチーズ&クラッカー。忘れちゃいけないプロシュート兄さん。

ボォーノォー!

リキッシモ!

昼すぎからほろ酔い気分。 何気に振り返ると、後ろには”夫婦なんたら”とかいう大木が、まるで僕ら夫婦を祝福するかのように寄り添って生えていた。
どうやら僕ら、寝屋川市民になることをこの木から認められたみたい。
へへヘイ!

なんせ忘れもしない、4.1事件(通称・ファック・ザ・大阪21)。
生を受け、小4まで生活し、再び戻ってきてから5年。 計15年という今までの人生の半分の時間を費やした大阪市西淀川区から、まさかまさかの入籍日と同時に新婚補助打ち切りを受けるという酷い仕打ちを受けた。
飼い犬に乳首甘噛みされるとはまさにこのこと。

「こんなバカ犬になど未練などあるか」
と、大阪市を出ることを決意したわけだ。

これで他の市からも冷たくあしらわれたらどないしよかと心配していたが、そんな僕たちのコラソンのキズを舐め回すかのように、寝屋川市は温かく迎えいれてくれたのだ。

しっかし、この日は春・スプリングやというのになかなか肌寒い。たまの日曜・サンデーというのにテンヤワンヤの大騒ぎで笠置シヅコもご立腹。
母の日のプレゼントを買うため、早々に公園を退却することにし、ベンチを離れて出口へと向かった。

ちなみにオカンがハニーにいうことにゃ、
「母の日やけど、お母さんにおめでとうの電話した?」

 母の日におめでとう??  どっちかゆーたら、「いつもいつもありがとう」やろ?

おめでとうは誕生日ちゃうの?

なんて間違い探しは置いといて、この後、公園の出入り口付近で寝屋川ふき事件が発生することになるとは、このときの2人には想像もつかなかった。

2012年5月8日火曜日

景気ええね~。ハッポン。

今日、西淀川図書館をぷらぷらしてたら、急に全裸になって廊下に寝そべりたい衝動に駆られた。
俺はその衝動を‘‘西洋の肖像画‘‘なる本を手にすることでなんとか抑えたのだが、他の人たちは一体どうやってその衝動を押し殺しているのだろうか?
そんなことを考えながら、いつもの床屋で就活ヘアーにしてもらった。
なんせこの2ヶ月間、まるっきり仕事につけないでいるからだ。
その理由が髪型だと最近気づいたので、とうとう真面目になろうと決意したってワケ。

思えば帰国直後、いの一番に不動産屋に行き物件を探した。
もちろん店舗ね。

「お客さん。はっきり言って予算はどんなもんでっか?」
「そうですね。家と店コミで、50万以内で収まればうれしいんですが…」

「…無理ですね」

そりゃそやろ!
そんなこたぁハナから承知や。

しかし、日本は相変わらず景気悪い言うから、もしかしたら4~5万ぐらいで居ぬき出来るんちゃうかいなと考えたんやが、まだまだこの国は粗悪国のようで、貧乏人には冷たいもんや。

考えた結果、自営業は断念。
まずは金を貯めるため、バイトOR正社員勤務への道を選んだのだが、思ったようにうまくはいかない。


何度も何度も履歴書を作成しては不採用通知を破り捨てる。

面接にこじつけたと思ったら、
「坊主にしてくれ」
やの、
「社会人ならスーツは黒か灰色」
やの、いかにもお堅い企業のいいそうな言葉であしらわれ、遂には、
「あんたワガママやわ」
とまで。


そんなことが何度も続くとさすがに真面目なボクチンも悪ハルと化し、面接時間を高等技術で変更するワザまで身につけてしまった。

「あの~。明日の面接って11時からでしたよね?」

「はい。そうですよ」

「すいません。昨日どうやらジュウイチジとジュウシチジを聞き間違えて返事してしまったようで、英語で言うところのイレブンですよね? セブンティーンじゃないですよね?」

「はい。イレブンですよ」

「すいません。イレブンは予定入ってるんで、セブンティーンにしてもらっていいですか?」

しょうみそんなちょこざいなワザを身につけたところで受かるワケもなく。
毎日毎日近所を散歩しながらお花を眺めている。

そんなボクの今日のオヤツは、‘‘手作りオールレーズン&バニラアイス‘‘。
超ニガHOTコーヒーで、う~~んブレイク!

こんなにのんびりした時間が味わえるなんて、まだまだニッポンは景気がいいっつーこっちゃ。

ビバ! 無職!!

2012年5月7日月曜日

社会復帰!!

ホーチミン到着後はあっちゅーまに時間が過ぎてった。

路地裏で何故かバナナ味のするレモンシェイクを飲み、ダラットでル・カンに酔い、ニャチャンで海の幸を満喫し、再びホーチミンに戻った後、相変わらずうんこ臭い大阪へと帰ってきた。

2月27日の話や。

あれから2ヶ月たってめんどくさくなったので、今回の日記は略式で書いた。

もしこのブログを読んでくれている方で、ベトナム話を聞きたいという方は、いつでも連絡おくれやし~。
酒でもやりながら話ましょう。


ってことで、これからはボクチンの社会復帰日記でも書きまっさ。

2012年4月11日水曜日

HEY メン! 俺はキャットフードは食わないぜ!!

観光地バッチャンの少し手前でトゥエンは下車した。

それから間もなくしてバッチャンに到着。
名物・バッチャン焼きを購入するため、ウインドウショッピングをすることにした。

カラフルなモノから地味ぃなモノまで、なかなかの品揃え。
店内をかるく覗き、雰囲気を探ってから入店する。

目のいやらしくない、なるだけ話しかけてこなさそうな店員のいる店。
そう、アメ村のアホそうな店員でなく、神戸・高架下の裏モトコーで働く店員みたいな…。


この写真を撮った店の向かいの店に入り、小一時間ほど品定めした後にティーセット&マグカップの2品購入。

空の色も悪いし、バス停前に戻り屋台でウインナーを頬張る。

しかし、ハノイ近辺っちゅーのは何故こうも西洋フードがあふれているのだろうか??
ハンバーグやらフライドポテトやらウインナーやら、正味いらんがな~~。

まあ、でも、ウマかったわ。

再びバスに乗りハノイに戻ったモノの、まだまだ時間に余裕がある。
そこで、有名な犬肉を食べに行こうと思ったのだが、バスの中でトゥエンに聞いた、
「犬もウマいけど、猫肉もかなりウマいよ」
の一言が気になり、犬をやめて猫を探すことにした。


バス停から市場、市場からホテル街。
町人に聞いて聞いて聞きまわった結果、最終的に案内されたのはペットショップ。

どうやらここいらのハノイ人は日本人に対し、
「猫の肉ではなく、キャットフードを食べろ」
と言っているようだ。

HEYメン! 俺はキャットフードは食わないぜ!!
ってか3時間以上も時間つぶれてもーたがな。

結局、ハノイではホンマに猫肉を食うのか? それともキャットフードを食うのか? もしくわトゥエンにおちょくられたのか?

その謎はわからぬままに、泣く泣く猫肉を断念。
犬肉を食う時間すらなくなり、空港でカップ麺をすすりながらホーチミン行きの飛行機を待つことになった。

ハノイで見つけた男前

バス停につき47番バスを待つ。
47番バスはバッチャン焼きで有名なバッチャン村行きのバス。
これに乗れば、終点がバッチャンやから寝てても無事到着する。
なんせ飛行機出発はまだまだ先やから、なんかしら時間潰さんとね。


しばらくするとバスが来た。
「よし、乗り込もう!」
しかし、バスが止まると同時に現地人が大量にバスへと駆け込んだ!

その勢いはまるで、ナウシカに出てくるオームのよう。

ドドドドドド…と効果音が聴こえてくるぐらい凄まじい勢いや。
下手したら大阪のオバハンよりも勢いがある。


これは無理や!

こんな激流みたいな勢いの中を突き進むことも、混ざり合うことも、甘ちゃんなチャッパニーズには到底無理や。

仕方ないので泣く泣く逃す。


「次またバスが来て空いてたら乗り込もう。あかんかったらもうタクで空港行こう」

そう決めて、再びバスを待つ。


待っていると17番バスを発見した。

17番バスは空港行きバスらしい。
たったの5000ドン(約20円)で空港まで運んでくれる現地人御用達のバスや。

まさかこっから出てるとは!
よし、次あかんかったらタクやなくこれで空港行こう!


でも、ホンマに空港行くんかいな?
間違えるんも嫌やし、隣にいた男前な青年に聞いてみた。

「このバス空港に行く?」

「行くよ」

「空港に行きたいの?」

「あとで。でも、今はバッチャンに行きたい」

「そう。あの~、ニホンジンデスカ?」

あっ! 日本語!

「ボクはトゥエンイイマス。バッチャンにスンデル」

カタコトの日本語で一生懸命に話しかけてきた。

「そうなんや。日本語どれぐらい勉強してるの?」

「サンカゲツ」

すごい!
三ヶ月でこんなに話せるなんて。

彼は現在25歳の会社員。
4月から日本で3年間の農業研修をするらしい。
専攻はトマトだそうだ。


「お互いバッチャン行きやし一緒に行こうぜ」

そう言って彼といろいろ話しているうちに、再び47番バスがやって来た。
が、相変わらず勢いが強い。

彼はあっという間に後方からバスに乗り込んだ。
だが、もちろんのことボクラは置いてけぼりをくらう。

しかし、一緒に行こうと約束をしたので、頑張って前方からバスに乗り込んだ。

なんとかかんとか乗り込むと、トゥエンが後ろからおいでおいでと手招きをしている姿が目に映った。

人波をかきわけて、これまたなんとか後ろまでたどり着くと、トゥエンはゆうきちゃんのために席を確保してくれていた。

うわぁ。めっちゃレディファーストやん。

同じアジア人とは思えんぐらい気がきくバッチャン人。やっぱり顔が男前な奴はやることも男前や。

彼と出会えたことで、なんだかハノイを好きになれそうな気がしてきた。

2012年4月3日火曜日

ハノイなんて大ッ嫌い! 2

2月14日(火)
朝から雨。

な~んもやる気にならへん。

現地人に聞いたら、
「ハノイは年中こんな感じやで」
と教えてくれたので、もう翌日出発することにした。

雨は嫌いやねん僕。

早速チケットを買いにハノイ駅まで行く。

しかしホーチミンまで丸1日かかる。
バスもだいたいそんなモン。

ハニーの体調も悪いし、飛行機で一気にホーチミンまで南下することにした。
なんせ2時間やからね。
ギリギリ残ってた航空券、ハノイ~ホーチミン間・9000円を購入した後、町ブラして寝た。


2月15日(水)
ハノイ出発の日。

チェックアウト前に洗濯物を受け取りに行く。

「最上階にあるから自分で取り込んでくれ」
といわれ、最上階へ行くが、廊下干しのために半乾き状態だった。

(こんなことなら部屋で暖房かけて乾かしとくんやった~)
ってももう遅い。

仕方がないので泣く泣く取り込みチェックアウト。

2日間で26USドルのハズが何故か29.9USドル。そしてこのええかげんな洗濯代金がなんと5.5USドル。

だいたいこのホテルの半泊代。この質の悪さでこんなに請求されるなんて、ホント笑っちゃうよね。
ハハハ…。

なんとなくすぐれない気分でホテルを出ると、昨日以上にレイニーデー。

かっつ~~ん!

きっついわぁ~~。

飛行機出発まで10時間ぐらいあるし、しゃあないから近所のサテンでコーヒーを飲むことにした。

ベトナムといえばベトナムコーヒーが有名や。
クソほど濃いコーヒーに練乳の甘さがマッチして、これがまたウマイ!
親切な店なら、コーヒー後にお茶を出してくれる。
なんせ濃すぎるから、口直しせんことにゃあいつまでたっても口ん中がンニャンニャするねん。

雨の中長歩きするんも何やし、テキトーな店を見つけて入る。

「コーヒーやってます?」

ベトナムドラマ見ながら店のイス並べて寝てるおばちゃんを起こし尋ねる。

「あるよ」

「じゃあ、コーヒー1つとお茶1つで」

「はぁい」

コーヒーが来るのを待っていると、店内に”WI-FI”と書かれていることに気がついた。
パスワードを聞きつなげてみると、ホテル予約サイトから1通のメールが届いていた。

アンケートメールかなと思いクリックすると、なんと先ほどチェックアウトしたホテルからのキャンセル料金請求メールだった。

はあ?

どうやら昨日の宿泊がなかったことになっているらしい。

いやいや泊まったし!

きっとしつこいツアーの勧誘と、ホテルから空港までのタクシーの手配を断ったために、あの若ハゲホストが嫌がらせをしたに違いない。

なんちゅう奴や。

「とりあえずホテルサイト側に問い合わせメールをしよう!」

早速ホテルサイトにつなげる。
が、まったくつながらない。
いきなりネットがつながらんようになった。

ええ??

おばちゃんに事情を伝える。

「わたし機械よく分からない」

…しゃあない。

心を落ち尽かしコーヒーをすする。


まずっ!!
激まずっ!!

え? ナニコレ? こんなまずいコーヒーどうやったら作れんの?

昨日おととい飲んだおいしいベトナムコーヒーとはまったく違う、なんとも言えんクソマズイコーヒー。

苦味と甘みに付け加えられた酸味が、まったくもってけしからんコトになっている。
いくら混ぜても混ざりきらへん、心の底から人を憎んでまいそうな味や。
胆汁でも入ってるんちゃうか??

こらちょっとひどすぎる。
せやけど、こんなまずいコーヒー。ホンマにこの世に存在するんやろか?
もしかしたら、俺の舌がおかしなったんちゃうやろか?

ためしにゆうきちゃんに飲ませる。

「うわっ! ナニコレ? マズッ!」

よかった。俺の舌の勘違いやなかった。
このコーヒーが珍味なんや。

結局、せっかく頼んだコーヒーは、カラダのことを考えて残すことにした。

洗濯物は乾かず、ホテル代はぼられたあげくキャンセル料金請求され、コーヒーは二度と味わえないぐらい不味く、ふんだりけったりなハノイ旅行。

もう二度と来たくない。

やっとこさ雨が止み、重たい荷物を抱えながらバス停へとむかった。

ハノイなんて大ッ嫌い! 1

2月13日(月)
バンコクを出発し、ベトナム・ハノイへとやって来た。
空港を出るとバンコクと違いクソ寒いハノイ。
空もどんよりしてるし、もうすでにこの時点で町を出たくなった。
が、ホテル予約してもうたし、とりあえず町へ行くことにした。

空港から町までのタクシーは、チケット売り場でチケットを買うやどうたらうんぬんとネットに書かれていたが、そんなもん探す間もなく運ちゃんがしきりにしつこく声をかけてくる。

「900、900! 900ドンやで~~(3円やで~~)」

そんなワケあるかいな!

そう思いながらもあまりのしつこさに心は折れた。
タクを持ってくるからここで待っといてくれと言うので、待ってる間に運ちゃんの連れらしきハノイ人に、
「しょうみドルでいくらなん?」
と聞くと、
「16ドルかな?」
と答えた。

16ドル(約1400円)。
チケットえで買えば10ドル(らしい)。

6ドル高いが、まあええわ。

その連れと話してたらタクもやってきたのでとりあえず乗り込んだ。

日本人観光客をボレたことでやたらテンションハイなハノイ人。
彼女か嫁はんか知らんが、運転しながらラブトークに夢中。

(どーでもいいけど、事故んなよ)

それだけを願いながら、ボッタクリタクシーに揺られて目的地へと向かう。
が、ここで心配なのは結局いくらやねんってこと。

連れは16USドルゆーてるし、こいつは900ドン(3円)ゆーてるし。
1400円と3円じゃ雲泥の差や。

「おい。ホンマに900なんか?」

「900やで」

「900って安すぎるやろ。ホンマか?」

携帯の電卓を打って見せる。

「OK。900だよ」

(絶対ウソやろ)

次は1000ドン紙幣を渡してみる。

「え?  ノーノーノー! ぜんぜん違うよ。900って言えばベトナムじゃ900000のことだよ。下3ケタは数えないよ」

「知らんがな!!」

結局900=900000(約3400円)と判明。

ドルなら45ドルやと、ありえんぐらいボッてきた。

「はぁ? 高すぎるやろ? おろしてくれ!」

「ノー!! 無理無理無理! 45ドル! この値段のどこがいけないの!!」
と、駄々っ子ばりに発狂する。
今にも暴れだしそうなイキオイや。

やばい! 下手したら刺される。
しかし、ここでひいたら日本人の名折れ。ギリギリまで喰らいつく。


「いやいやいや、お前の連れが16ドルゆーてたで。」

すると、少し落ち着き、
「…40? …30?…」

だんだんと値段を下げてきた。

極力発狂させないように少しずつ少しずつ交渉し、結局20ドルまで下がった。
が、16ドルまでは下がらなかった。

その後、目的地までは沈黙が続く。

運転手は連れに電話したようで、
「お前のせいで安しなあかんくなったがな!!!」
みたいな感じでかなりキレまくってるし。

な~んかいやな雰囲気やなぁ~。

そうこうしてるうちにホテルに着いた。

すると、ホテルのフロントやろか?
若ハゲホストみたいな兄ちゃんが中から出てきて、
「今工事中でペンキ臭いから、別のホテルに移動してくれ」
と、別館・Travel mate Hanoi Hotel(Hai Nam)に移動させられた。

ええ~~!

まあでも、料金も一緒やしホットシャワーも暖房もあるからまあええかってことで宿泊。

「明日はバレンタインやからツアークルージングを彼女にプレゼントしろ、プレゼントしろ」
ってかなりしつこいのはシャクやが、それ以外何も問題はないし、洗濯物を預けて町へ出た。


しかし、雨は降ってくるわ、地面はぐしゃぐしゃやわで、観光も出来ぬままにとぼとぼしてたら集団のギャル男に捕まり、ベトナムやのに何故かハンバーグステーキを食わされる。

いや、ウマイ…けど。


結局その日はホテルに帰りビールを呑んで床についた。

久しぶりのベトナム。

スタートからこけた感が満載や。

明日はどうなることやら。

2012年3月31日土曜日

ここはバンコク カノサンロード

2月11日(土)
タイ出国前々夜。

ラストサタデーナイトに、AMIGOヤスハルとカオサンロードで1発酒でもやらかそかっちゅー話になった。

待ち合わせはもちろん夜。

金はないが時間だけは山ほどあるので、とりあえず近所の公園でのんびり過ごす。
公園遊びも4日目ともなれば、指定席まで出来る始末。
ベンチに腰掛け、旅行者や現地労働者たちを人間観察しながら、飽きたらウロウロ、疲れたら座り、ダレたら眠るを繰り返す。

ちゃおぷらやー川には秘密基地的な家もあれば、網を片手に漁をする奴もいて、まるで水上マーケットのよう。

きっと、タイ3大マーケットではなく4大マーケットというのがホントの答えなのだろう。
でなければ、タリンチャンにいけなかった日本人の生ける魂は浮かばれない。




しかし、よくよく考えたらこの辺りに待ち合わせ場所であるバーガーキングは存在しない。
1~2時間、散々歩き回ったかて、あるのはこんな小さな花ぐらいや。



「待ち合わせ場所ここにかえへん?」
って言ってみたところで、ヤスハルからしたら意味不明やろう。

―バーガーキング―

はてさて、どこでっしゃろかいな? 
と、ない頭をひねり潰して考えてみたところ、そういや昨日タニヤ行きのタクシーの中から見たような記憶が…

今にも消えてしまいそうな記憶を頼りに行ってみると、やっぱりあったバーガーキング!
そして、このバーガーキングに抜けるまでのストリートの人の多さったら、安宿・ホワイト近辺の非じゃないやんかぁ。

ここで2人は気づいた。

この通りが本当のカオサンロードなんやと。
ってことは、俺らがずっとカオサンや思ってた場所はただの路地裏?
ジャップとファックとポップな奴らが、集まって混ざり合って灰になっただけの掃き溜めロード?

なるほど。
これで、同宿の奴らが朝帰りしてくる理由がわかった。
みんなここでワイワイしとるんやがな。


空も暗くなり、バーガー屋の前で奴を待つ。
少し遅れてタクシーでやってきたヤスハル。

とりあえず食って呑んで食って呑んでしてから、ヤスハルおすすめのレゲエバーに向かった。

ざわめくカオサンとは真逆の、閑散とした薄暗い裏通り。

(こんな暗い通りに明るさむき出しのレゲエバーなんてホンマにあるんかいな?)

疑問に思いながら着いていく。

「あった。ここやわ」

OW!
確かに。

バーや。

ボブ・マーリーのポスターも1枚飾ってあるし、店員も汚いロンゲや。

せやけど…   

どっちかゆーたら…

レゲエっちゅーより…

ネイティブでアメリカンなアパッチバーやないのん?? アウッ! アワワワワ~~~~~!

まっ。細かいことは気にしない。とりあえずひさびさにジャックを呑み、(マイヤーズもレッドストライプも無いしね)タイでアメリカンな風に巻かれる。

その後の記憶は残っちゃいない。

後からやってきたヨーロピアンと共に踊ったことしか覚えちゃいない。

ただ、めちゃおもろかった感だけは残ってるね。
だいたいいつもそんな感じやね~~。

翌朝。
ひさびさ呑んだテネシーにパンチを喰らい完全K.O。

な~~んもする気が起きねえや。

また今日も1日のんびりと、ゆる~い1日を過ごそう。

カオサンのようでカオサンでない、ゆるく過ごせるこの通り一帯を、ゆるゆるマイフレンド叶さんの名前を文字り、”カノサンロード”と名づけよう。




2012年3月27日火曜日

イケず終い

2月10日(金)
タイに来て4日目。
毎日毎日、食っちゃ寝呑んでばっかしてるのもカラダに毒やということで、タリンチャン水上マーケットへ出かけることにした。

タイの水上マーケットでは、日常品やら土産やらがたくさん売られているらしい。

そして、タリンチャン水上マーケットは、観光客よりも現地に住むタイ人に人気があるというので、ここへ行くことに。


カオサンからだとラチャダムヌーンを越えて、バスに乗りゃ行けるみたいなので、まずはラチャダムヌーンを探すことにした。

が、正直ラチャダムヌーンが何なのか全くわからない。
とりあえずその辺を歩いているタイ人2人組に聞いてみる。

「ラチャダムヌーン!」

「え?」

「ラチャダムヌーン!」

「え?」

…まったく伝わらない。

するとタイ人こう言った。

「ユー スピーキン イングリッシュ?」

「おっ。 おーいぇーす!」


さすが観光地を歩くタイ人。
英語はお手のもんってか?

しかし、こちとら英語はノーサーベ(解らない)。

それでも中学・高校と6年も授業で習ったのだから、なんとか伝わるだろう。


「アイ ウォンツー ゴー ツー ラチャダムヌーン!」

「はあ?」

やっぱり伝わらない。

一瞬にして英語はやめた。

「ラチャダムヌーン! ラ~ チャ~ ダ~ムヌ~ン!」

「おー。アイドンノー」

「タリンチャン。タリンチャン。
タ~    リン  チャ~ン!」

すると、片方のタイ人が何か気づいたようで、2人で話し合いだした。
そして、
「オッケー」
というと、すぐにタクを拾い運転手に行き先を告げ、送り出してくれた。


「なんとか伝わったなあ。
にしても、ラチャダムヌーンて案外遠いんや?」

「いや、タイ人もメキシコ人同様歩くんが嫌いなんやろ?」

そう、呑気に話しながらタクシーに揺られ出したはいいものの、一向に止まる気配がない。

(は? もしかしたらこのままタリンチャンまで行く気?)

そうなればかなりボラれるであろうことは必須だが、
「金払ってコトが済むならもう何でもええわ」
と、半分投げ槍な気分で運に身を任せた。


結局30分ぐらい走ったやろか、今まで一言も発せず寡黙に運転を続けていた運ちゃんが、
「着いたよ」
とたった一言告げ、僕らを追い出すと早々に立ち去った。

そしてその瞬間僕らはおったまげた。

「あれ? ここって北新地?」


よく見るとそこには、見渡す限りのビル、ビル、ビル。

そして、日本語で書かれた寿司屋やら飯屋やら、スナックやらの看板が立ち並んでいる。

飛び交う日本語に、スーツに身を包んだジャパニーズサラリーマン達のせわしない早歩き。


こらもうどっから見てもタイやなく北新地や。


「あれ?
僕ら確かタイにおるハズ…やねん…けど」


別になんか悪いモン吸ったり打ったり、悪酒に酔って幻覚見てるワケでもないのに。

あれ?
あれれれれれ?

もしかしてあのタクシー、噂のタートル号?

名前こそカメなものの、宇宙最速を誇る銀河海賊コブラさんのラブシップ・タートル号?


タイの暑さと突如あらわれた北新地な光景に頭はパニック。

そのままワケもわからず突っ立てると、通りの向こう端で若いタイ人の姉ちゃんを連れて歩く、中年日本人男性の姿が目に映った。

そして気づいた。
確かにここはタイやと。

ということは、タリンチャンである可能性はある。

あきらかに水上マーケット的な要素は見当たらないが、何が起こるかわからないのが旅であり、タイである(多分)。


わざわざ海外に来てまで、自分から日本人に声をかけるのはあまりすすまないが、仕方なくサラリーマン2人組に声をかける。

「す、す、すいません」

「はい?」

「ここってタリンチャンですよね?」

「え? タリンチャン?
いや、タニヤですよ」

「え?  タニヤ?
全然ちゃうやん!
タ~しかおーてへんやん!!」

思わず見ず知らずのリーマンに突っ込みを入れる。


話を聞くとここタニヤは、日本人ビジネスマンが在住するオフィス街であり、また日本人観光客向けの繁華街でもあるらしく、
「バンコクで日本人がタクシー乗ったら、だいたい此処に連れてこられるよ」
だそうだ。


つまり、ラチャダムヌーンは全く伝わっておらず、タリンチャンの発音の悪さからタニヤと伝わったワケや。


こんなコンクリートジャングル。
いけどもいけども、レディスマーケットはあっても水上マーケットなどないっつ~話。


タイ人のテキトーさにしてやられた2人は結局、電車とバスを乗り継いでカオサンへと帰ってきてしまった。


なんかもう力が抜けた。
僕らは残り短いタイ時間のすべてを、このカオサンに注ぐコトにし、いつものように眠くなるまでベンチに腰掛け怠惰に過ごした。

(部屋におるアリ達は、きっとこの公園からやって来てるんやろなぁ…)
なんてことを思いながら。

2012年2月24日金曜日

常識道をほろほろと…

とうとう31歳になっちまった。
なので、お下品旅日記を一時中断して、たまには真面目な心境日記を書こうと思う。


31歳。
三十路という言葉では言い表せなくなった、変に照れ臭い歳。

この歳になって気づいたことがいくつかある。


まず初めに、僕は坂本龍馬ではないということだ。

物心ついた頃から背中に一本真っ白な毛が生えてるので、
「僕はもしかしたら坂本龍馬なんちゃうかな?」
と思っていたのだが、坂本龍馬が土佐の人間だったと知り、関西弁を話す僕は坂本龍馬じゃないってことに気づいたきに!


次に、昔オトンから聞かされていた、
「鼻くそは脳みそのカスやから、勉強すればするほど鼻くそは沢山出てくるんやど」
っていう鼻くそ=脳みそのカス説が、どうやら世間一般のソレとは違うんだということに気づいた。

しかし、鼻くその正体が何なのかは、いまだ解明されていない。


そして最後に、これがもっとも重要なことなのだが、31歳になってサーティワンアイスクリームに行っても、何の特典もついてこないらしい。

これはもう甘党にとっては由々しき事態だが、塩辛党の僕にとってはそんなことどうだってよく、ただただベトナム人女性が彼氏の前で堂々と、鼻に指突っ込んでイジイジしているときの神経を疑ってしまっているだけの話。

アオザイ姿のベトナム人女性のセクシーさと、鼻をイジイジするベトナム人女性のダーティーさとのギャップにドキッとするだけの話だ。


いや、しかし、ホンマに今まで真面目にかたく生きてきた。

親から敷かれたレールの上を、疑うことなく進んで来た。


なぜならオトンは言った。

「体洗ったらカラダがしょっぱくなくなるから、あんまり風呂に入んな」
と。


そしてオカンは言った。

「あんたの好きにしたらええ」
と。


だから僕は、風呂にどっぷり浸かるのではなく、烏の行水を選んだ。

僕という人間は、ホントはそれぐらい真面目なのだ。


だから、ずっと真面目に、自由という名のレールの上を言われるがままに走ってきたのだ。


しかし、地球が巨大なフンコロガシに回されてるだけの巨大な糞の塊ではなく、自転を行い続ける希望の固まりだと知った以上は、僕も自分自身で回り始めないとイケナイ。


だから、これからは違う道を選ぼうと思う。

これからは自由レールを脱線し、常識っつー名のガタゴト道をほろほろとろとろ歩いてゆこうと。


なんせ僕も、もうサーティワンだから。

一般的にいえば、バカなことばっか言ってられない歳らしいきに~。


ってことで、あと5年ぐらいはテキトーに暮らせるやろう。

2012年2月18日土曜日

白人共の溜まり場にて黄色人種はウォッカにて沈没!

タイ初めての朝は、美しい鳥のさえずりや、愛しい恋人のささやきではなく、おっさんのえづく音で目覚めた。

朝もはよからオエオエと、何度も何度もえづく音。

きっと洗面所で歯ブラシ片手に舌をみがいてるんやろう。

あれはなかなか癖になる。

えづくと分かっていてもやめられない舌みがき。

朝からおっさんのハーモニーが聴けるなんて、なかなか爽やかな目覚めや。


部屋を出て宿を探索する。
が、ガイドブック的な物は一切見当たらない。
その代わりにヘタクソな地図が一枚貼ってあった。

携帯で写真を撮り、3日前に買っていたカスカスのパンをつまんだ後、宿を出ることにした。


リビングにいた日本人2人に一言挨拶を告げる。

一切会話はしてないが、一応日本人のよしみ。
あいさつは礼儀ってなもんや。

「じゃあ、行きます。さよなら」

「えっ! もう行くの? 今朝来たんじゃないの?」

「いや、昨日夜遅くにきたんですよ」

「そうなんだ。どこ行くの?」

「えっと…チャオプラヤー川に」

「チャオプラヤー川って、またおおざっぱだね。
すぐそこにもチャオプラヤー走ってるよ。王宮の方?」

「いや、よく分からないんです。
ガイドブック無いし。ただ友達に聞いたら川行ったら?ってなったんで」

「よし。ちょっと待ってて!」


そのオジサンは一緒にいてた若い兄ちゃんと、王宮行きのバスの乗車法について、話し始めた。

するとそこに、また新たなハポネスが現れた。
そして、ことの成り行きを聞いたハポネスはこう言った。

「だったら僕いまからチャイナタウン行くから、途中まで一緒について行ってあげるよ」


ラッキー!

しょうみ助かった。
なんせわからんことだらけやし。

きっと2人だけやったら、上手くはいってなかったやろう。


宿から、アラブ系のモデル達が住みついているという貧民街を抜けバスターミナルへ。

チャイナタウン行きがちょうど発とうとしてたので、急ぎ足で飛び乗った。

バスに揺られる20〜30分ほどの間、彼の話す会話の8割は風俗に関することだった。

少年のように目を輝かせ話す彼を見ると、よっぽど風俗が好きだと見える。

僕が昔、風俗出版社に勤めていたことは一切口には出さなかった。
きっと口に出すと大変なことになると思ったから…

だから終始うなずいてばかりいたのである。

バスを降りてからも、延々風俗の話を続ける彼とお別れを告げ、軽く飯食ってから53番バスに乗ってカオサンへと向かった。

バス代は1人6.5バーツ(約16円)
安い!

そんな安い値段にもかかわらず、バスの料金回収のおばちゃんは、
「ここがカオサンよ」
と、親切にも教えてれたおかげで、無事カオサンに到着した。


宿探しもしなきゃいけないが、とりあえず暑いのでビールを購入。
公園のベンチに腰掛け呑もうとしたが、警察っぽいのに怒られたので、道路マップの立て看板の後ろに隠れながらこそこそ流しこんだ。


ビールが無けりゃこっちのもん。
生ぬるい風を切りながら、堂々と道をあるく。

すると左手に橋を発見!
橋の中央にはゲートがあり、タイ語で何やら書かれている。

$°○×=々^〜

はは~ん。
きっと、
カオサンロードへようこそ!
って書いているに違いない!


橋を渡ると、民家に入り混じり数軒の安宿が建っていた。
しかし、観光地のわりにはかなりさびれている。

それでも、日常生活を送るタイ人に混ざり、白人たちがポツポツ歩いていた。

割合でいえば、フィフティーフィフティーや。

不思議と日本人らしき影は一切見当たらない。

まあ、そんなことはさて置き宿探し。
まず最初に目についたのが韓国人宿。
宿の外で韓国の人がタバコプカプカしていた。

ヤンキーぽい若い奴らの溜まり場と化していたのでパス。

も一つ奥のタイ人のおばちゃんが経営する宿に行く。

シャワー&トイレ共同で、一部屋250バーツ(625円)。

安い!
が、少々高くてもシャワー&トイレは付いてる方がいい。
なぜなら下痢のとき助かるからだ。

しかし、ここにはシャワー付きはないという。

すると、
「シャワー付きの宿紹介したるよ」
と、おばちゃんに連れられ別の宿へ。


たどり着いたのは、安宿「WHITE」。

シャワー&トイレ付きで250バーツ。
部屋も割りかし綺麗やしここに決めた。


しかし、気になるのがこのホワイトという名前。

別に白人が経営しているワケではない。
白人が経営していたならば、せめて名前はホワイトハウスやろう。

オーナー不在時には、隣近所のおばちゃんが勝手に部屋に案内してくれ、ルームキーまで渡してくれるという、ばっちりタイ形式な宿。

やのに、この白人たちが上客になっているゾーンで、宿の名前が白て!
白人泊りにくんの?

あきらかに白人共に喧嘩売ってるとしか思えない。

黒人に向かって、
「おいクロ!」
って言ってるようなもんやろう。

マイクタイソンにやられちまうよ。

と、黄色アジアンボーイは思うのだが、不思議と僕らが泊まった部屋が最後の一部屋だったらしく、宿は満室に。

「僕ら以外の宿泊客は一体何人や?」
という疑問はよそに、とりあえず暑いのでビールを呑むことにした。


とにかくバンコクは暑い!
この暑さから来る脱力感は何とも言えない。

宿を出てすぐの飯屋でビールと飯食って、歩いて五分の近所の公園に腰掛ける。
チャオプラヤー川の泥臭い水で歯を磨くおばちゃんや、支流で魚を捕まえるおじちゃん。

この汚い川の魚を食べてたんや!
と、思うと吐かずにはいられないが、吐くのさえしんどく思える脱力感。

現地人ですら地べたで寝ているというのに、よそもんが何をうろちょろうろちょろ出来るだろうか?
ごうにしいては何とやら。
携帯を持ち上げることすら面倒で、地に置いた携帯電話に耳を当て、寝ながら会話するおばちゃんを見習い、僕らは怠惰に食っちゃ寝呑んで、食っちゃ寝呑んでを繰り返した。


気がつけば夜22時。
腹も減ったし町に繰り出したが、どこもかしこも閉まっている。
観光地とは思えないさびれかただ。

ようやく見つけた麺屋でズルズル麺をすする。

帰りにコンビニに寄ったが、夜はビールの販売は出来ないってことで残念顔で帰る。

帰宿し、昼間その辺の店で買ってあったタイウォッカをあおるが、あまりの不味さと蒸し暑さにやられて一瞬で沈んだ。

よくよく考えたらウォッカなんて酒、暑い国で呑む酒やないんや。



深夜4時すぎ、人の話し声で目が覚めた。
よく聞けば英語や。

ああ、やはりこの宿には僕ら以外には白人しか泊まっていないのだ。


Whiteという名のブラックユーモアでオルガズムに達した白人共は、こんなさびれた観光地の一体どこで夜を明かしていたのだろうか?

どうでもいいから静かにしてくれ。

頭が破裂しそうや。


怠惰に暮らす黄色人種は、白人共の溜まり場にてウォッカにて沈没。

そしてもうすぐ太陽が昇る。

迎え酒はもちろんビール。
腹下し覚悟で氷を入れよう。

2012年2月12日日曜日

飛んでスワンナプーム!

2月6日(月)
結局あまり寝れないまま、早朝4時にホテルを出発した。

空港に着き荷物を預けた後、空港内のコンビニで別れ酒用のビールを購入。

審査済ませてからメキシコに気持ちよくお別れを告げ、のんびり乾杯!
…しようとしたが、液体類の持ち込みは禁止なので、審査前にいそいそと乾杯するハメに。


そういや前にも一度こんなことがあった。

あれは確か5年ほど前。
アミーゴ・ヤスハルと共に、初めてのベトナム旅行に出かけた時のことだった。
出発が元旦の朝だったので、数の子を持参。
JR大阪駅から数の子を頬張り、ビール片手に関空へと到着。

が、入国時。
僕らの持っているブラックニッカが気に入らないと、審査官が駄々をこねた。

駄々こねられたらしょうがない。
ので、審査場前で宴会することとなった。

ようするに、審査時のお酒類の持ち込みは固く禁止されているわけだ。

これはなかなか覚えにくいことだが、覚えておいた方がよさそうだ。


ビールを呑み干し、審査を済ませ、ロサンゼルスまで5時間かけてやって来た。

乗り継ぎまでの時間はたった2時間。
なのに、ここで再び荷物を受け取り、再度預けなければならない。

なぜならここはアメリカだから。


この国では、ただ通過するだけの旅行者に対しても、厳しい審査が待っている。

ESTA申請だけでもたいがいめんどくさいのに、荷物受け取り、厳重なチェックまでやらなあかんとは、なかなかややこしい国や。


案の定時間はギリギリ。
付け加え、タイ出国のチケットも買ってなかった為に、大急ぎで払い戻し可能のチケットを購入。

おかげでゲートに着いたのは時間5分ほど前だった。


息つく暇もなく乗り込んで、ロスから香港まで寝れないまま、ただ酒だけをひたすら浴び、15時間後、香港到着。

引き継ぎ、香港から3時間かけてタイに到着した。


搭乗時間、計23時間。

長かった。
とにかく長すぎた。

疲れたぁ~。
休みたい。
が、落ち落ち休んでなどいられない。

時はすでに22時。
30分後にはある人物と出会うことになっている。

なので、急いで荷物を受け取り入国審査をさっと済ませたいところだったが、審査カードにホテル名を記入していなかったので止められる。

「あっ! わすれてた」

しかし、ガイドブックなど一切ないのでホテル名が分からない。

悩んでいると審査官のおばちゃんが、
「フレンドホテルって書きな」
と、助け船。

フレンドホテル?
なんじゃそりゃ?

タイ人のネーミングセンスの無さに驚きながら記入して再度差し出す。

するとおばちゃん、
「フレンドホテル?
なんじゃそりゃ?
そんなホテルないがな!」
と、笑いながら言う。

いやいやあんたがゆーたんやがな!
と、ツッコミたいとこやが、そんな高等なタイ語も分からず笑ってごまかすと笑顔で、
「オッケー!」
と、通してくれた。


あとあとハニーに聞いたら、フレンドホテルやなくてグランドホテルやったそうや。

うっかり、僕の聞き間違い。

ヒアリングには自信あるつもりやってんけど、なかなか難しいわ。
英語っちゅーんわ。


そんなこんなで待ち合わせの22時30分を少し過ぎたが、急いで空港の一階へと進む。

待ち合わせが、
”空港の一階”
と言うから、ちんまい空港なんかなとおもたら、なかなか大きいやないかいスワンナプーム空港。

こら会うのに時間かかるんちゃうかぁ?
とウロウロしてたら、遠くから手を降る1人の東洋人サラリーマンの姿が!


ん?
(あんな立派な社会人が、僕らに一体何用?)
と、よく見るとその人物は、なんとまあ懐かしい、知った顔形をしているではないか!


「あれ? ヤスハル?」

わあっ!

そう、僕らが日本を通り越しタイまでやって来たのは、”タイに行きタイ”のキャッチコピーにひかれたわけではなく、何を隠そう彼に会う為。
そして、彼と酒を呑む為。


彼に会うのは一年以上ぶり。
もちろん感動の再会。

第一声はきっと、
「いぇ~い!」
だろうなと思っていたが、彼の口から出てきた一言は、
「やっぱりな。やっぱ二階におるおもたわ」
だった。


ん?
二階におるおもたわ?
ニカイニオルオモタワ?
何それタイ語?

いやいや違う。
どうやら僕らは間違えて、待ち合わせしてる一階ではなく、二階で待ってたようや。

そういえば、一階ぽい雰囲気やし一階やと思いこんでただけで、ちゃんと調べたわけやない。

自分の動物的カンを信用していたが、どうやらあんまりアテにはならんようや。
しかし、逆にヤスハルの動物的カンは冴え渡っていた。

「どうせハルのことやから、間違って二階におるおもたわ」

「タイ来たはいいけど、泊まるとこ決めてないどころか、ガイドブックも何も持って来てないんやろ?」

…全て当たっている。


そんな僕の行動の全てを見越し、ヤスは二階に迎えに来てくれたどころか、空港からタクシーで宿まで案内してくれるという。

しかも、タイ語どころか英語も分からない僕らの為に、日本人専用の宿を探し出し予約してくれていたのだ。

ここなら日本語も通じるし、きっと情報交換も出来るだろうと。


ああ、やさしい。
なんてやさしいんやろう。

ああ、僕は彼に愛されてるんだ。
やさしく見守られてるんだ。

もし僕が女性だったならば、キスの1つもしたいとこなのだが、残念ながら男やしそういう趣味もないので、その気持ちは胸に秘めたまま、右も左も分からないままに、「民宿日出」へ到着した。


民宿日出は日本人専門の宿らしいが、スタッフは日本人ではなかった。
日本語は話すが日本人ではなかった。

そういや、メキシコのサンフェルナンド館という宿も、日本人専門の宿だったが、経営者はバリバリのメヒカーナ。
これまた、日本語は話すが日本人ではなかった。


う~ん。
どないやっちゅーねん 笑


とりあえず荷物を置き、宿近くの飯屋で再会の乾杯!

まさかタイでヤスハルと呑むことになるとは、思ってもみんかった。

とにかく楽しい。
楽しい酒が1番や!

店先にゴキブリがうじゃうじゃいたが気にしない。

メヒコから日本通り越してここまで来たかいがあった。

めちゃうまいタイの食べ物と、ビールの氷割をやっつけながら、たわいもない話で盛り上がる。


こうして、ハッピーミッドナイトドリンクは、あっとゆーまに過ぎてった。

2012年2月6日月曜日

飽きたから…

2月3日(金)
ついにメキシコシティーへとやって来た。

バスターミナルに着き、地下鉄に乗ってイダルゴ駅に到着。

ホテルを探し、町を歩いていると、だんだん目が痛くなってきた。

田舎暮らしが長かったので、都会の排気ガスに敏感になったのか?
それともこの町のスモッグのせいか?

とにかく目が痛い。


ホテルに着き、すぐさま目を洗う。

そして、町をプラッと散歩してみたところ、今度は目だけでなく、喉まで痛くなってきたではないか!

町はゴミだらけで汚いし、キャベツやたら高いし、コジキのおっちゃんら目が血走ってるし、地下鉄に乗ってる人らの精気は無いし…

なんとも言えん町や、ここは。
まあ、首都はどこもこんなもんか。

とりあえず疲れてたので、お好み焼きを作って食べて、すぐに寝た。



翌日。
ソチミルコって町にプルケを呑みに行った。

ノ・マス ノ・ジョレス(もう泣くな)って名前のBARを探すつもりで行ったが、歩いてたら路上でプルケが売ってたので、呑むことにした。


”プルケ・チャワカーノ(飲みやすいプルケ)”
と、
”クラード フレッサ(プルケのいちご割り)
を注文。


美味い!

やっぱプルケは美味い!

プルケを持ち帰りし、近くの公園のベンチに腰掛けた。


後ろの芝生に横たわるコジキ2人を、横目でチラチラ覗き見ながら呑むプルケは、今まで呑んだプルケの中で、ダントツにイカれた味。

風流な時間を堪能していると、隣のベンチにおったコジキの爺ちゃんがゴソゴソし始めた。
と、同時にすごい異臭が鼻をくすぐった。

臭いの元は、ヒップホッパーも顔負けなほど垂れ下がった爺ちゃんのズボンから顔を出す、ブリッふぅ~。

黄ばんだ白生地に滲むこげ茶色。
アーティスティックな色のたわむれは、素人ではなかなか出すことの出来ない代物。

もしかすると彼は、世間に背を向け真の芸術を目指す有名な画家!?
なのではないだろうか?

しかし、僕らにはまだまだ理解出来ない芸術レベルの話なので、とにかくすぐさま町を出た。

なんしかウンコ臭いんやこの町は!

メキシコシティーとメキシコシティー近辺は、とにかくスモッグとウンコの臭いがキツイ。

西淀川区工業地帯生まれでクサイキタナイには慣れてるハズの僕でも、ここでは目が赤くなり、喉が痛くなり、カレーライスを思い描きたく無くなる程だ。


2月5日(日)
空港近くの一泊6500円もする高級ホテルにて、寝転がって日記を書いている。
そして、まだ夕方やが、そろそろ寝ようと思う。
なんせ夜中3時に起きて空港やから、仮眠とっとかんとしんどい。
体調が万全やないと、機内のタダ酒が呑めんくなるからね。


後数時間もすりゃ、この国ともアディオスや!

長かったようで短かった10ヶ月。

僕は一体この国で何が出来たんやろうか?
そして、なにを学び、なにを感じることが出来たんやろうか?


はっきりゆーて、今考えたかてよ~わからん。

なんせシラフやから。
大切なことを思い出す為には、いつだってバッカスの力が必要なんや!


シラフで言える事といえば、日本のコジキとメキシコのコジキの臭いが一緒やと言うことぐらいや。


しかし、ホンマ、もうすぐ出て行くってのに、さびしさも切なさも一切こみあげてこないのは何でやろ?

うん。
それはきっとわかってる。

答えはみ~んな知っている。

そうそれは








…飽きたから。

おやすみ。

2012年2月3日金曜日

抜けないぜ! 抜けれないぜ!

31日(火)
レチュギージャスを去った後、ベラクルスで一泊した。

Wi-Fiを使い調べたところ、タイ行きチケットはメキシコシティからが安いことが判明。

そして、1番早く安く済むのが2月6日(月)出発だったので、この国に後5泊ぐらいすることになった。


なかなか計画通りにはいかんもんや。


翌1日(水)
メキシコシティーへ行くため、ベラクルスのバス停へと向かう。

ベラクルスからメキシコシティーまでは、1人約300ペソ。
2人で約600。

手持ちは400ペソ。
どう考えても200ばかし足らない。

思い切ってポケットを叩いてみた。

すると紙幣の数が二倍になっていた!
かに見えたが、よくよく考えりゃ折りたたみ式の財布やった。

仕方がないので、受付の姉さんに、
「カード使える?」
と尋ねてみたが、よくわからない言葉で返されたので、銀行に行くことにした。


銀行に着き、米ドルを見せる。
すると、
「銀行のキャッシュカード持ってます?
キャッシュカードが無いと両替出来ないんですよ」
と、ワケのわからないことを言われた。


メキシコの銀行のキャッシュカードなどあるワケがない。

住所不定の外国人旅行者が、旅行先の地元銀行のキャッシュカードを作れるなんて話、聞いたこともないし。


なんともけしからん奴や!



2月やというのに相変わらず暑いし、新たに銀行を探すのも疲れるので、無い知恵を絞り出した結果、180ペソ(2人分)を払い、メキシコシティー方面へ少しだけ進む道を選んだ。


辿り着いたのはXalapaーハラパー。

山の手にあるため、レチュギージャスやベラクルスシティーと違って寒い。

しかし、ここも同じベラクルス州。


いいかげんベラクルス州を抜けたいのに、いまだ抜けれない。
なんとも歯がゆい気分や。

膣痙攣した時も、こんな歯がゆい気分を味わうんやろうか?

「抜けへん! 抜けへんって!
ちょ~   …マジで?」
っと歯痒さを咬み殺すのだろうか??


そう、ここは、ホテル・アクロポリス。
メキシコにありながら、アテネの城砦だと語る、ホテル・アクロポリス。

そんな事態が起きてもなんら不思議はない。
まるで中津のラブホ、”ロンシャン”みたいな匂いが漂う怪しいホテル。

無意味に置かれた電話機が、妙にいやらしさを醸し出す。

抜けないお前と抜けれない俺。

ほんのひと時の我慢大会を、心ゆくまで楽しもうではないか。
1月31日(火)
ついにこの町を出た。

とうとう愛すべきレチュギージャスに、お別れを告げた。

ボスと別れを告げたとき、少し泣きそうになった。

グロリア母さんに別れを告げたとき、母さんは少し涙ぐんでいた。

子供たちに別れを告げたとき、テキトーにあしらわれた。
「どうせすぐに戻ってくるんやろ?」
と、思われてるんやろう。

しかし、この町に再び戻るのは、5年以上先の話になるやろう。
なぜなら金を稼ぐ必要があるからや。

なんせ、この10ヶ月間でかなりの大金を使ってしまった。

2人合わせて32万も使ってしまったのだ。

当初の予定では、一年で15万の予定やった。

それが32万じゃ、予定の二倍以上の額。

「こらもうさすがに帰国して働かなあかんやろう」
ってことで、帰国することにした。

しかし、少しは遊んで帰りたい。

かといってあまり贅沢も出来ない。

どないしよう?

と、考えていた時。ふとある言葉が頭に浮かんできた。


”タイに行きタイ”


なんてくだらないキャッチコピーなんだろう?

”奈良を習おう”
に匹敵するほどくだらないキャッチコピーだ。

そして、2つとも妙に心の肉棒をこしょばしやがる。

だんだんイキリ勃ってきた。

はよせな発射しちまう!

しかし、同じ発射するなら昔の女よりは、新しい女を抱いて発射したい!

こらもうタイやな。
メヒコを捨ててタイに行くしかないな。

ってことで、タイ以外にもアジアを周遊するつもりで、タイ行きのチケットを購入した。


こっから先は観光や。

なんせこの10ヶ月間、ずっとクソにまみれてきた。

ここいらで、少しばかりご褒美を与えてもらわんことにゃ、人間心がすさんでいくばかり。

このままやとアミーゴ・がっくんが送ってくれたお宝本、「すれっからし」のヒロイン・杉田かおる氏みたいになっちまうではないか。

それで良いのか? 悪いのか?


~何が君の幸せ?
    何をして喜ぶ?
    わからないまま終わる。
    そ~んなのはい~やだ~


そんなもんアンパンマン見てりゃ分かるやろ?

何年たってもアンパンマンのオープニング曲が変わらない意味。
それは日本の輝ける未来!

すれっからしたくなけりゃ、お日さん西西で魚ごっこ!

がっくんは中々いいメッセージを送ってくれたもんや。

すれっからしにボ・ガンボス。

幸せの7つのうんこも見つけたことやし、同封されてた黒の革ジャケ羽織って、クソ暑いアジア諸国を優雅に歩こうと思ふ。


白鳥とはそういうもんだ。


アディオス!
レチュギージャス!

2012年2月1日水曜日

ガス ー上から出すか? 下から出すか?ー

1月も半ば。
だが、相変わらず暑い。

しかし、Aire Norteーアイレノルテー(北風)の影響で、週に数日間は寒くなる。

アイレノルテが吹く日には、さすがに、日々半袖やタンクトップスタイルのメヒカーノたちも上着を羽織る。
そして、寒い寒いと家に閉じこもるのである。

これだけ寒暖の差が激しいと、いつも元気なメヒカーノも、少々風邪気味や。

そして、風邪=うつる
という、方程式がこの国にはないのか、お構いなしに家に招き入れる。
おかげで、いつも町人から風邪をうつされるのである。

最近では、腹痛と嘔吐が流行っているのか、レオン一家もほぼ全員が腹痛と嘔吐に悩まされていた。
そして、ハニーもうつされてしまった。

僕は何故か無事や。


ハニーの症状もよくなってきたし、4〜5日たって家を訪ねた。

すると、みんな腹痛と嘔吐は大分おさまったが、レオンとグロリアに関しては、まだ若干お腹が張っているという。


グロリア母さんが、
「ハルたちは大丈夫?
もし、お腹が張っているなら、これを飲みなさい」
と、不思議な白い粉をさしざして来た。

僕はまるでシャブ漬けになった麻薬捜査官の用に、壊れた目玉をギョロギョロさせながら、震える人差し指を使い、その白い粉を少しばかりすくって舐めてみた。


「しょっぱ!
Que es eso?ーケ エス エソ?
(何これ?)」

「塩みたいな味するでしょ?
carbónicoーカルボニコー
(炭酸)よ」


へぇ~、炭酸ってこんな味するんや!
初めて舐めた。

そして、僕は思い出した。
小学生の頃、当時中学生だった兄貴に、
「何これ~? たんき~! 大人のオ○コ!」
という、よく分からないギャグを覚えさせられたことを。

その時セットで、
「ワッセ!ワッセ! て・ら・だ!
て~ら~だ~の鼻毛~」
というギャグも、覚えさせられたっけ。

ちなみに寺田は兄貴の友達で、年賀状にデッカく、
”マ○毛”
と書いて、チン毛を貼りつけて送ってきた男だ。


よく郵便配達員に盗まれなかったもんや。

僕が郵便配達員なら、その毛を盗んで、代わりに自分の毛を貼り付けるやろう。


ーはっ?
もしかしたら…
はは~ん。
やるね。西淀の郵便配達員。

西淀川区・中島とは、正月早々、郵便配達員のチン毛が貼り付いた年賀状が送られてくる、そういう町である。

ちなみに、西淀川区の区役所に行って、
「国民健康保険に加入したいんですけど」
と言うと、
「何のために?」
と返される。

10年前の話である。
我輩は猫である。
そろそろ本題に戻る。


塩味のする炭酸をどうするかというと、生絞りオレンジジュースの中にecharーエチャールー
(加える)するという。

すると、いっぱいespumaーエスプーマー(泡立ち)する。

要するに炭酸入りオレンジジュースを飲んで、腹の張りを治すというのだ。


腹が張ってんのに、炭酸飲んだらよけいに貼るんちゃうん?
と思うのだが、母さんいわく、
「お腹の張りは、ゲップと共に消えていく」
という。

斬新や!
かなり斬新や!

確かに腹が張ってるとき、オナラをこいたら治ったりする。
なんせ腹が張る原因はガス。

溜まったガスを出せばいいんやから、下から出そうが上から出そうが問題はない。


下から出れば、黄金の道を通り、ゴールデンゲート(雄琴じゃナイよ)を開いてくるワケやからウンコ臭い。


上から出れば、口内の菌を吸収するとはいえ、下から出るよりゃ臭さはマシか?


メキシコ人は日本人より賢いね。
そして、臭いに敏感や。

しかし、今まさにゴールデンゲートから出ようとしてるときに、炭酸飲んで呼び戻してもうた時は最悪!


いくら歯をキレイに磨いてようが、なんとも言えないウンコ臭いゲップが口から放たれる。

その瞬間、口は肛門と化す。
生え揃えたヒゲはケツ毛や。

ヒゲが立派であればあるほど、ケツ毛ボーボーおっさんのケツ。

イボなんかあった日にゃ、かなりリアル。
血が出んことを祈るだけ。

オ~ マイゴッド!


ーガス
下から出すか?
上から出すか?ー

僕は是非とも下から出したい。
炭酸飲むんはお断りや。

ゴーストタウン

Pueblo Fantasma
ープエブロ ファンタスマー
プエブロが町で、ファンタスマが幽霊。

ようするにゴーストタウンや。


この家に住み出した頃に先輩(ダブリのアロンソン)が、
「ハル。この家には幽霊が住んでるよ」
と、ご親切にも全くいらん情報を教えてくれた。

こんな時ホンマなら、
「お~。Muy amableームイアマブレー(どうもご親切に)」
って言うべきなんやろうが、心にもない言葉がとっさに出るわけもなかった。


その後、ボニーの娘マガリも、
「ハル。幽霊見た?」
と、突然尋ねてきた。

失礼なやっちゃ。


その時2人で、
「マジで? 嫌やなあ。出て行く?」
と不安になりながらも、結局今まで、何の支障もなく過ごしてきた。

いや、それは間違いか。

雨漏りはあるわ、電力不足で冷蔵庫は水漏れするわ、窓ガラスが足りてないから、外部から侵入してくるホコリはすごいわ、部屋は寒いわ…

幽霊以外の支障はありけりや。


話は戻り、12月の終わり頃から少しずつ変化が現れ始めた。


夜になると、やたらと犬が吠え出すようになった。

始めのうちは、
「まあ、犬もさびしいんちゃう?」
なんて笑っていたが、夜間咆哮が2週間以上も続くと、さすがにバカ犬共をかっさばいて調理したい気分になってくる。

自称・ミスター味っことしては、Hecho en Mexicoーエチョ エン メヒコー(メキシコ産)な犬肉を如何に調理するかに、興味がわいてくるわけや。


なんせミスター味っこになることが、僕の昔からの夢だった。

ーみんなから愛される下町の大衆食堂で、安物の豚肉を使い、如何にして極上のとんかつを作り上げるか?
とか、
ーマグロの赤身のみを使い、どのようにして、バラエティ豊富なマグロ尽くしの寿司盛りをお客さんに提供するか?
とか、
ー美味いもん食ったら、思わず手の平パ~ンて鳴らしてまうのが癖になって、周りから”柏手のヤス”って呼ばれるようになっちゃうとか…

あっ。違った。
とんかつ以外は将太の寿司や。


犬はさて置き、さすがに少し不安になる。

最近ではゆうきちゃんいわく、
「足音や話し声が聞こえる」
らしいし。

ひょっとしたら、ホンマに幽霊が住んでるのかも知れない。

てか、昨年の1月23日に、当時この家に住んでいたマーティーの兄貴・フリオが、病気のためにこの家で亡くなっている。
という話を、12月12日(グアダルーペ聖母の日)にマーティー本人から聞かされている。

今年の1月23日には親族総出で、ここへ弔いに来るそうやし。


そういうことから推測するに、「マーティーの兄貴が夜に徘徊してるから、六感冴え渡る犬共が吠えてるのでは?」
という説が、考えられる。
命日も近いことやし、帰ってきてるのかも。

まあ、それならそれでいい。

オアハカに住んでた一ヶ月。
毎夜毎夜、ヌリアの亡くなった兄ちゃんが徘徊してたワケやし。
若干慣れてる。

しかし、幽霊やなく、強盗か何かが日本人の家を狙ってるんやとしたら、どっちかゆーたらそっちの方が怖い。

なんせメキシコの泥棒は、犬だけでなく、電気のケーブルさえ盗むほど、金に飢えている。

こんな田舎町の電気ケーブルを盗むぐらいや。
日本人=金持ちと思われ、狙われる可能性はあるやろう。

メキシコ~アメリカ間の人身売買&臓器売買もあるそうやし…

なんせ毎日のように、行方不明のモンタージュが、ブラウン管の向こう側に流れている。

メキシコとはおっとろちい国である。
しかし、もっとおっとろちいのはユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカや。

なんせ、需要が無ければ供給は無い。

アメリカが求めなければ、メキシコでそういう問題は起きないワケやから。
…多分。

あいつらは悪や。
恐ろしいで、ホンマに。

ただ、今のとこ僕らは無事。

もしかしたら、オアハカにしてもこの家にしても、ゴーストが僕らを護ってくれているんやろうか?

日本人とメキシコ人。
関係ないっちゃあ関係ないが、何かしらついでに護ってくれてるんかもしれん。


このレチュギージャスという、とても静かで、時に呑んだくれが騒がしい、それでも平和な小さい田舎町。

そんな田舎町の中心には、日本人だけやなく、ゴーストも住んでいるという。


決して、地球の歩き方に載ることはないであろうこの町にも、色んなドラマがあるワケやから、幽霊の1人2人居ても不思議はないさ。


でも、やっぱり、ちょっぴり怖いなぁ。

そして、今夜もまたバカ犬共が、こりずにうるさく吠えやがる。

このうっぷんはベトナムで晴らすしかない。

なんせベトナムには、僕らがいまだかって食べたことのない犬肉料理があるからや。

この恨みは食べることで晴らすしか、僕らにはそれしか出来ないないではないか。

ああ、ベトナム産・エスニックワイン ”ル・カン”を呑みながら、犬肉を頬張る日がむしょうに待ち遠しくなってきた。

しかし、ベトナムはベトナムで、犬のゴーストが山ほどおるんやろなぁ~。

結論としては、地球=ゴーストタウンっちゅうことか。

うん。きっとそうゆうことや。

2012年1月12日木曜日

あけおめて何やねん?

Noche Buenaーノーチェ ブエナー
いわゆるクリスマスイブの夜に、レオン宅でフルーツポンチを飲み、モーレ(数種類の唐辛子とチョコレートなどを煮込んだバカウマ料理。もちろん覚え済み。)を食べて過ごした。


それから大晦日までは、漁師・ファニオが釣った魚ではなく、捕らえたイグアナ(ガロボ)とウサギをご馳走してもらったり、海岸の別荘地に住む貴婦人宅で、スパークリングワインをたしなんだり、我が家で牛アバラ肉カレーを作ってみたりと、呑んだり食ったりで、あっちゅーまに時間が過ぎてった。

人生初のイグアナの味は、さきイカみたいな味やった。


そして、迎えた31日。
昼からマーティーの家でビール呑みながら、チチャロン(豚の皮のフライ)や豚肉を肴にんだんだ話した。
その時マーティーは、
「あなた達はもうメキシコ人なの?
それともまだ日本人なの?」
と、尋ねてきた。

「まだ日本人やで」
と答えると、
「メキシコが好きなら、私の養子になる?」
と言ってきたが、果たしてそんな簡単に養子になれるんやろうか?

なれるならなりたいわ。
メヒカーノに。


まあ、そんなマンガみたいな話はさて置き、夕方からは母さんと一緒にタマーレス(とうもろこしのちまきっぽいけど、ちまきなど足元にも及ばないぐらい美味い、メヒコ料理)を仕込んだ。


夜になり家族が揃うと、タマーレス&バーベキューしながら、酒をやった。
が、22時からマーティーん家に再び招待されてたので、昼も行ったのにまた向かう。


そして、食ったり呑んだりして騒ぐが、この場に集まってるみんなの1番のお目当ては、年越し花火。


なんせメヒコでは年が変わると、古着を着せた人形に火をつけて燃やした後、花火を打ち上げる。
それがこの国の、年越しの伝統行事らしい。


準備のためか、マーティーん家では、大人ぐらいの背丈のある人形に、昼間から服が着せられていた。

それを知っていた僕は、結構ルンルン気分でここへやって来たワケや。

しかし、何故か人形の顔は、メキシカンな感じではなく、映画・チャイルドプレイでおなじみのチャッキー。

ちなみにメヒコでは、チャッキーではなくチョッキー。

そして、ジャッキー・チェンは、ジャッキー・チャン。

どっちも、なんか可愛らしくて弱々しい。


この行事には、古い服を着せた人形を燃やすことで、
「古い年とおさらばしよう!(Adiós de año viejitoーアディオス デ アーニョ ビエヒート)」
という意味があるそうや。


人形がズタボロなって、花火が終わったら、
「Feliz año nuevoーフェリス アーニョ ヌエボ(新年おめでとう)」
と叫び、みんなで抱き合う。


どの国でも無事に年が明けるってことは、なんやかんやハッピーなことやね。


その後、再びボスん家に帰り、ぶどうを12粒食べた。

これまた新年行事で、目を閉じた状態で静かにぶどうを頬張りながら、頭の中で願い事(Deseoーデセオー)を唱えるのだ。

12粒あるのは、一月ごとに願い事を唱えていいから。
要するに、月ごとに願いを変えていいっちゅーんやから、日本の初詣と違いかなり欲張り。


僕に関しては、目を閉じるとハニーのことしか思い浮かばない頭になっちゃってるワケやからして、何をお願いしたかはまあ、だいたい想像出来るやろう。












「…ああ、金が欲しい
    愛よりも金が欲しい」

こうして無事、2人は新年を迎えることが出来た。

しかも、メヒコで年を明かすのは二度目。

一度目は、イタリア人やらアルゼンチンババアやらと、多国籍料理をつまみながら、若者が若干ひいちゃうようなテンションで過ごした。


そして、今回は現地の人らと現地スタイルで過ごした。



いやあ、しかし、まだ30年しか生きてないが、毎年毎年。
いや、毎日毎日思うことがある。



「俺ってハッピー!」

そらそうや、名前に幸せがついとるんやから、幸せなハズがない。

親父とオカンに感謝せなね。

そして、ハニーには日々感謝。

なんせ世界が認める、ハルとユウキやからね。

”ハルとユウキ”

”愛と誠”

「このキーワードだけは、世界平和にはかかされへん」
と、金正日氏あたりがイマゴロ地獄で嘆いとるやろう。


正味な話、世界平和かどうかは知らんが、とりあえずここ”レチュギージャス”の平和は守れてる気がする。

どうゆう意味でつけたんか知らんけど、牛乳屋ラウルが最近、子牛二頭に俺らの名前つけて嬉しそうに呼んでいるから。


「こいつがハルで、こいつがユウキや」
と。

そんな冗談言いながらメキシコ人が乳を絞り、日本人が乳を呑んで美味い美味いゆーとるんやから、世界の片隅じゃあ平和が守れてるワケや。

世界の真ん中じゃあ危険が生まれてるが。

何とかしてよ。世界のヤマちゃん。
手羽先揚げとる場合やないで!



しっかし、2012年。竜の年。
一体どんな年になるんやろうか?

とりあえず元旦からマッサージが7人も入ったことやし、仕事と金には困らなそうや。

仕事と金に困らんてことは、酒にも困らんやろう。


こんな無職の戯言ついでに、この場を借りて、
「あけおめて何やねん!」
と、言わせてもらいましょうか。


ほな皆様、明けましておめでとうございます。

Sweet Soul Music

最近RCのナンバー、
”Sweet Soul Music”
を気に入ってよく聴いている。

この歌でいっちゃん好きなフレーズはもちろん、
~踊りたがってるのさ お揃いで作ったこの靴が 今も~
や。

ここを聴くと、なんかわからんがむしょうに心が弾み、おそろの靴を履いて、スウィートソウルミュージックで踊りたくなってくる。


しかし、僕らにはお揃いで作った靴などない。


「お揃いの靴かぁ。かっこいいよなあ!
欲しいなあ!」
なんて話てたら、ふとあることを思い出した。


そう、前回のこの町というか、アホ家族の農場で住み込みボランティア生活をしているとき、いつも気前のいい弁護士ニーチョが、
「俺のアミーゴやぁ!」
と、連れていってくれた靴工房の事を思い出したのだ。


ここレチュギージャスと、カランサの間に、その靴工房がある町は存在する。

なんしか近い。
歩いて行ける距離や。

そういや大阪で靴工房があるとこなんて知らんしなぁ。

そう考えると、今ここで靴作っとかなあかん!
そんな気がした。

確か、一足1500ペソ(約9375円)て言ってたし。

日本でブーツをオーダーしたなら、きっと一足4〜5万はかかるんじゃなかろうか?

かなり安い気がする。
メヒコ人はアバウトやから、少々不安やが、
「よし!作ろう!」
ってことで、靴工房まで向かった。


工房に着くと、数ヶ月前たった一度話しただけの僕たちを、店の兄さんはしっかり覚えてくれていた。

しかし、この日、親父さんが不在だったので、出直すことになった。


12月24日(土)
フルーツポンチを教わる前。
僕らは再び工房へと向かった。

今度はちゃんと親父さんがいてた。

足のサイズを測り、ブーツのタイプを選ぶ。
っても、ショートかウエスタンのみ。

せっかくメヒコで作るんやし、ウエスタンにした。

続いて革選び。
牛オンリーでも、蛇と牛のコンビネーションでもイケるってことで、これまたせっかくやから、コンビネーションにすることにした。


まずは牛革選び。

「黒にしよか?」

「茶色かなぁ?」

「オレンジ系もいいやん!」

なんて迷いながら、あまり目にしたことのない、灰色がかった柔らかい焦げ茶色のような、そんな渋く不思議な色の革を選んだ。


続いて蛇皮選び。
あまり暗い感じも嫌やし、かといってハイカラすぎるんも嫌やから、赤黒いヤツを選んだ。


これでかなり渋いのが出来るんちゃうか?

Torro y Culebraートロ イ クレブラー
(牛と蛇)
で作る、100%本革ブーツ。

この町の牧場にうようよいる、牛&蛇を殺してるのか、はたまた別の町から仕入れてるのか?

その辺はどっちゃでもいいが、ホンマに一足一万以下で買えるのかどうか?

そこんとこが1番気になるところ。

親父さんに尋ねる。

「クアントバーレ デ ウナ ボタ?(一足いくら?)」

「700ペソ」

え!!
マジで!

安っ!

一足700(4375円)て!

二足で一万以下!

これは安すぎるやろう!


あまりの安さに腰を抜かしかけつつ、顔はしっかり二ヤケながら帰路についた。



ーそして、10日後。

念願のおそろの靴を取りに行く。

10日という、手作りにしてはやや早すぎるようなペースで作った靴は、やはり要所要所で荒っぽさがあるが、そこがまたメヒコらしくていい。

そして、思った以上に渋い出来上がり。


早くこの靴を履いて、2人で踊りたい。

もちろん夜ストLIVEに繰り出すつもり。

しかし、この町の夜の安酒場で、ならず者達が暴れることはあっても、夜ストLIVEがあることはないので、日本帰るまでは2人の部屋のキッチンで踊ろうか。

そして、もう一足ずつ作ろうか?

う~ん。
悩んじまうなぁ。

とにかくうずうずしてる。
踊りたがってる!

お揃いで作ったこの靴が。
今も!!!!!

フルーツポンチ

ーフルーツポンチ。

それは、シロップ漬けの缶詰フルーツを混ぜ合わせ、場合によっちゃ寒天やら小豆やらが入った、ちょっと贅沢なおやつ。

子供から大人まで、フルーツポンチを愛する人は、
「ぼちぼちいてるんやないかなぁ」
と、思う。

僕はどちらかといえば、フルーツポンチを食べるよりは、
「フルーツポンチを逆さから読んでみて!」

「えっ!?
ち…ちん。  もう!」
と、生娘を恥ずかしがらせる方が好きや。


そんなフルーツポンチ。
ここメヒコでは、ノーチェブエナ(クリスマスイブ)やフィンデアーニョ(大晦日)に食べるのが伝統だという。


せっかくやから作り方を教えてあげるとグロリア母さんは言うが、
「フルーツポンチ。…正直全く興味ねぇ~!!」


が、教えてもらうことになった。

まずは準備。
リンゴ、パイナップル、ガヤーバ、テホコテ。(全部果物)
それに、干しぶどう、干しスモモ、砂糖とさとうきび。

そこに缶詰は用意されていなかった。

一体メヒコのフルーツポンチとは何なのや?
と、母さんに尋ねる。

母さんいわく、日本のフルーツポンチと違い、メヒコのフルーツポンチは温かいらしい。

ちなみにこっちでは、Ponche(ポンチェ)。
もしくわ、Te de fruta(テ デ フルータ)という。


温かい果物と聞き、より一層興味は薄れたし、確実に不味そうやから食べるのも嫌やなあと思いつつも、仕方なく教わる。


しかし、まあ、教わるって言ってもかなり簡単。

まずは果物を切る。
(干しぶどうと干しスモモは切らない)

りんごは変色するので、水に漬ける。
塩水ではなく、ただの水だ。

だから、若干変色した。
しかし、ここメヒコでは細かいことは言いっこなし。

りんごが少しばかり変色してようが、朝飯のスープにブユ(小蝿)が浮いてようが、何も言わずに食べるんや。
それがここのスタイルなんや。


果物を切り終えると、お次はさとうきびを切る。
竹みたいな分厚い皮を削ぎ落とし、一口大に切る。

これがなかなか力がいる。
が、まあまず、日本帰ってからさとうきびを切ることはないやろう。

母さんが言うには、
「さとうきびなけりゃあ黒砂糖(赤砂糖)でもいいよ」
らしいし。

切り作業が終わったら、沸かしておいた大量のお湯に固い物順にぶち込み、後は煮込むだけ。

なんとまあ簡単な料理なんだろうか。

そして、かなり美味しくなさそうだ。


しかし、その時はやってきた。

そう。味見。

母さんが言った。
「ハル。プロバール(味見)して!」

「うん」

母さんが鍋にスプーンを突っ込み、果物の煮汁を少しばかりすくい上げる。

それが恐る恐る僕の口に運ばれてくる。

まずそうやし、熱そうやし、一瞬、
「イジメちゃうのこれ?」
なんて疑問が脳裏に浮かんだ。

嫌々ながら、遂に煮汁が舌に着地した。


…ゴクッ。



「…うまっ! 何これ! めちゃ美味!」


とにかく美味い!

日本のフルーツポンチなんか足元にも及ばんぐらい美味い!

果物本来の甘みと、天然さとうきびの甘みがギュッと詰まったフルーツティー。

砂糖はホンマに少ししか入れてへんから、変な甘さはまったくない。

香りもいいし、想像していたもんとは、似ても似つかん絶品料理や!

これはホンマに美味い!
日本に帰ったらぜひ作りたい!

そして、ホワイトラムを少し入れて寒い夜に呑むんや。

こっちでは安モンのさとうきび焼酎を入れるけど、日本じゃラムを入れて呑もう。

体も芯からあったまって、たまらんぐらい酔えるハズや。


やっぱり食わず嫌い、呑まず嫌いはあかんね。
なんせ、料理修行も兼ねた旅やからね。

もっと勉強せなね。


フルーツポンチは缶詰よりも、逆さから読ますよりも、メヒコ流が最高や!
と、気づいたイブのお昼過ぎ。

今頃日本じゃ、イブにイカれた若者が、ラブホテルのフロント前で、三角座りしながら部屋が空くのを待ってるんやろうなぁ。

だっせぇぜ!!
そんなカップルだっせえぜ!

はっ!?
10年前の俺や!

ぜんぶロヘリオのせい

12月17日(土)
15añosーキンセアーニョスー当日。
朝も早よから”Casa Campesino”では、着々と準備が進められていた。

Casa campesinoーカーサ カンペシーノーとは、田舎の家。もしくは、農家みたいな意味。
レチュギージャスに唯一存在する、公民館みたいなとこである。


スタートが19時からなので、僕らは家で飯作ったり、プランターに水かけたり、火を起こしたりしながら時を待つ。


んだんだしていると、あっという間に穏やかな時は過ぎ、初めてのキンセアーニョスへと足を運んだ。

向かう途中でレオン一家と合流。

カンペシーノに着くと、何故かそこにはあの腐れポンチ、ロヘリオが存在していた。

ゲッ!?

ボスの手前、嫌々あいさつを交わす。
そして、シレッとサヨナラするつもりが、何故かこいつも相席することに。

仕方がない。

ロヘリオは、レオンの勤務先のパトロンのバカ息子。
30過ぎて、未だに働いたことがないという、人生のツワモノで、チェ・ゲバラをこよなく愛している。
そんな、ある意味で革命児な彼が、僕らとの相席を望んだのだから、相席するしかないのだ。

もちろん話かけはしないし、話かけるなという雰囲気をかもし出していたせいか、たいして話かけてもこなかった。

まあまあ、そいつは無視し、次々に運ばれてくるビールを、浴びるように呑みまくる。

日本の結婚式と違い、乾杯の音頭はなく、それぞれが勝手に酒をあおる。
自由や!
まあ、結婚式っぽいだけで、結婚式ちゃうしね。

しばらくすると、晴れ舞台の主役であるサイアンが、教会からオス2人にエスコートされながら、カンペシーノへとやってきた。

そして、挨拶的なモンをすませたあと、各自持参したプレゼントを渡し、おめでとうを告げる為に、彼女のもとへと向かう。
もちろん僕らも向かった。
レオンの孫たちと共に。


その後はもう、呑めや騒げや踊れやのイカれ三昧。
前夜にさばいた肉を肴に、ビール、カーニャ(さとうきび焼酎)、テキーラを、これでもかっつーぐらいにアホほど呑みまくる。

「もう十分やで」
と時計を見ると、0時をまわっていた。

(腹もいっぱいやし、そろそろ帰りたいなぁ)
ってところで、ウィスキー&ソーダが登場!

「こんなもん出されたら帰られへんがな!」

しかし、腹がいっぱいなので、ちびちび呑む。

ちびちび呑みながら世間話していると、1人の酔っ払いが近づいて来た。

「ライター貸してくれ」

「ごめん。持ってないわ」

この町じゃ見かけんツラした男や。
隣のカランサの人間か?
それとも、全く違う町から来たのか?

どっちにしろよそモンか。

向かいテーブルのおっちゃんから火を借り、そいつは僕の隣に腰掛けた。

そして、なんやかやと話かけてくる。

「どっから来たの? 中国?」

「髪型イカしてるね」

軽く10分ほど相手したろうか?

なんかだいぶ目もやばいし、こいつを追い払うか、僕が席を立つかせんとややこしくなるなと考えていると、
「あっちでツレが呼んでるよ」
と、まわりの人らがそいつに伝えに来た。

それでもこいつはなかなか席を立とうとしない。

すると、そのツレらしき奴がこっちへ近づいてきた。

そして、そいつを立たせ話出した。

(立ち話せんと連れて帰りゃいいのに)

そう思いながら2人を見ていると突然、後から来た男がこいつの胸ぐらをつかみ出した。

そして、右拳がうねりをあげ、先人は僕らのテーブルの上へと、ぶっ飛ばされた。
闘いのゴングが鳴らされたんや。

飛び散る琥珀色の液体。
グラスは割れ、ガラスへと変わる。

倒れた先人を、掴み上げては再び倒す。

まわりの男たちが後から来た男を止める。

「何やってんねん! お前こらぁ」

その通り!

ホンマにそや。
何が理由でそこまでするんや?
そして、この後の始末はどないするんや?

そんな険悪なムードが流れる中、ただ1人、目を輝かす男がいた。

それは何を隠そう、我らがBOSS・レオンである。

ちなみにBOSSはスペイン後でjefeーヘフェーだ。

先ほどまで眠気まなこで、めちゃくちゃ帰りたそうにしていたヘフェ。

孫たちに、
「ダンスはまだ終わらない」
と、帰ることを拒否されたヘフェ。

が、この騒ぎを理由に
「帰ろう!」
と言い出した。

やったねヘフェ!
ツイてるね。
ノッテるね。

そして、僕らは場を去った。

僕が呑む予定だったウィスキーは、母なる大地に捧げて場を去った。


それにしても、酔っ払い共のケンカの原因は何なのか?
もしかして俺?
俺が相手しなければ?
と、2人で話していたのだが、後日原因は判明した。


この夜ケンカした酔っ払い2人は、実は泥棒。
しかも、先に来た酔っ払いに関しては、タクの運ちゃんをしながら兼業で泥棒しているという。
なかなか器用な奴や。

じゃあ一体何故、2人がケンカになったのか?

それは先に来た彼が、携帯を盗めなかったからだ。


この時、僕らが座っていたテーブルの上には、携帯が1つ置かれていた。

そして、この携帯に目をつけた酔っ払いは僕に話しかけに来た。

が、レオンの奥さんグロリアが即座に携帯をしまいこんだので、獲物は消えさってしまった。

目的が無くなり、ただただ僕と話すだけになってしまった酔っ払いを、もう1人の酔っ払いが、
「何してんねんお前!
何で携帯パクれてないねん!」
と怒り、殴ったのだ。


なんともイカつい話である。
そして、何故泥棒をこの場に招待するのか?
不思議な話である。

しかし、携帯がテーブルの上に置かれていなければ、確実に起きなかった事態。

こんな危ない国で、携帯を置きっぱなしにする奴はなかなかいない。

この国に来て初めて、携帯を置きっぱなしにする奴を見た。

しかも、観光客ではなく現地人。

携帯の持ち主。
それはロヘリオ。

30歳を過ぎ、未だに働いたことのない異端児。

このアホのせいでみんなが嫌な思いをした。

当の本人は、知らぬ存ぜぬでプラプラ歩き回っていたというのに…。

こいつがパパから買ってもらった大事な携帯を、ちゃんと懐にしまいこんでれば、こんなことにはならなかったのだ。

クラリネットと携帯はとっても大事にするべきなのに。

これやからよそモンはイカン!
災いのみを運んでくる。

すべてはアホのせい。

Todo por culpa de Rogelio
ートード・ポル・クルパ・デ・ロヘリオー

「ぜんぶロヘリオのせい」
だ。

メヒコ エス トゥージョ

メヒコには15años(キンセアーニョス)というフィエスタがある。
これは、女の子の15歳の誕生日を盛大に祝うイベントで、親族はもちろん、仲のいい友達や、あんまり仲のよくない町内の住民。
そして、海から渡ってきたもらいコジキまでも、招待するほどの規模をほこる一大行事。
だから、誕生日をむかえる女の子は、結婚式並みにドレスアップする。
それをエスコートするおちんぽ野郎もまた然り、ちゃっかりタキシードを着ちゃったりなんかするのだ。

そんな15 años前夜。
12月16日(金)
仕込みの為に駆り出された。

豚六頭に牛二頭。
男が10人以上集まって、包丁片手にさばきまくる
そして、さばいた肉を女性陣が調理する。

豚六頭に牛二頭って言ったらかなりの量。
頭からケツから、豚に関しては皮までもが食料になるのだから、ホンマにかなりの量である。

しかし、僕は駆り出された意味がわからないぐらい、することもなく、ただひたすらにビールに焼酎、それにテキーラを呑みながら、ただただ傍観を決め込むスタイル。
きっと今頃日本でも、そんな傍観者スタイルが流行っていることだろう。

そんなNowなヤングマンを見て、寄り添ってくるのは、これまた傍観者を決め込むボラーチョのみ。
(borracho=ボラーチョ=酔っ払い)

その中でも、ひときわ輝く酔っ払いが寄ってきた。
名前はわからんが、寝ては酒呑んで、寝ては酒呑んでを繰り返すビール屋の爺ちゃんの兄弟。

そいつが僕にこう言った。

「Mexico es tuyo!」

メヒコ エス トゥージョ!

日本語に訳すと、
「メキシコはあなたのものですよ」。
関西弁で言えば、
”メキシコはあんたのもんやで!”
だ。

思えば、2011年3月31日にメキシコに来てから、八ヶ月が過ぎた。
一ヶ月程度グアテマラに浮気したとはいえ、七ヶ月この国におるワケや。

この町に関して言えば、前回を含め、計五ヶ月滞在している。

今では家を賃貸借りまでして、現地人決めこんでる。

そんな僕らをこの町のボラーチョは、メキシコ人として認めてくれたのだ。

ボスの家の近所に住むベニートに関しては、
「アウ! ハローチョ! アワワワワ~!」
と言ってくれる程や。

※ハローチョとは、ベラクルスに住む人のこと。
ゆーたら、パリに住んでるパリジェンヌみたいなもん。
ちなみに夢精ばっかりして、朝からパンツパリパリの奴を、パリジャンという。 オッシャレ~!
そして、アウ! アワワワワ~!は、最近ベニートの中で流行ってる、アパッチの叫びらしい。


しっかし、日本で生まれ、日本で育った生粋の日本人が、愛しの国・メヒコに住んで、現地人からハローチョ扱いされる。

これはめちゃくちゃうれしいことではないか!?

スペイン語がヘタクソでも、見た目が日本人でも、心はメヒカーノ!

Mexico es míoーメヒコ エス ミオー
メヒコは俺のもん!

そう。
もうすでに、メヒコは俺らのもんなんや!

あとは、ヨレヨレのジーンズ履いて、ジェルで髪固めるだけ。

これで完璧メキシコ人や!