2011年11月24日木曜日

メキシコ的? 家賃交渉!

翌、10月8日。
朝食前にボニーにあいさつしに行った。

「三月までおる予定やし、賃貸住宅探すまでのしばらくの間、部屋使わせてもろてもいい?」


するとボニー、
「え?
賃貸住宅探してんの?
なら、あるよ。
今すぐ案内するよ!」

あれだけ冷たくよそよそしかった彼が、まるで別人のように明るく陽気な人間になった。

いや、というよりは、元に戻ったと言う方が正しい。
何故なら彼は、いつも陽気やからや。

ただ、娘の為にキレイにせなあかん部屋を、どこの馬の骨か分からん日本人2人に占領されまいと、冷たく接していたのだろう。


ハイテンションのボニーに連れられ、やって来たのはセニョール・ミゲルの家。


「オラ! ムーチョグスト!(はじめまして)」

「ムーチョグスト!」

セニョール・ミゲルは、ボニーの嫁さん・チェパの姪っ子の旦那さんで、実は今回が初対面。


二ヶ月前、姪っ子と娘はよく見かけたが、彼は見かけなかった。

きっと働いてないんやろう。
なんせ土曜日の真っ昼間から、働かずに部屋でニート気取ってるんやから。


「ボニーから聞いたけど部屋を探してるんやって?」

「うん」

「期間は?」

「半年かな」

「いいよ。家賃はホンマは800ペソやけど、ナンボがいい?」
ってな具合に、家主自ら家賃の値下げを切り出してきた。

借り手側からすれば、こんなにうまい話はない。
が、ナンボがいいと言われましてもこの町の賃貸相場は分からんわ、部屋は見てないわ、どないせ~ちゅう話。

う~ん。
若干悩んでいると、昨晩のボスの話を思い出した。
”月300ぐらいかなぁ”

300?
せや、300や!

「300ペソ!」

「300! それはちょっと…」

苦笑いが返ってきた。
…ボスの嘘つき。

しかし、この苦笑いは、
「300なんかで貸せるワケないやろが、このイかれチンポ野郎」
的な苦笑いではなく、
「もう少し色つけてよ、おチンポくん」
的な苦笑いであることは、即座に理解出来た。

次男に生まれたおかげで、顔色判断能力A級の僕ちんには、これぐらいのことは朝飯前。
そこんとこ両親に感謝!

引き続き家賃交渉。
350じゃ安すぎるし、500じゃ懐が泣きをあげる。

それに、いざ見た家がボロ家やったとしたら、最悪この上ナシ!

いろんなこと配慮した結果、出た答えはこれ。

「400ペソ(約2600円)はどない?」

「いいよ!」

よっしゃ! ハルくん大正解!

こうして無事に借りることが出来たワケやが、問題の家はというと、
…べらぼうに広かった!

玄関を開けると、すぐリビング。
その奥にキッチンルーム。
別に部屋が2つ。
計4部屋で、おのおのが昔のたたみ六畳分ぐらいの広さがある。

シャワー&便所は外。
洗い場も外で少々不便。
壁も所々はげてて、何一つ物はない。
が、なかなかキレイで裏庭が家の二倍ぐらいの広さがある。

大阪でこれだけの広さの家を借りるとなると、10万以上はするんちゃうやろか??

いくらメキシコの物価が安いとはいえ、400は安すぎる!

なんせ800から半額になったんやもん。安すぎるやろう。
しかも、町の中心地(道路が二車線なだけやけど)。
かなり、ラッキーや!

ちゃんと金払って借りる家での、初めての2人きりの生活。
テンションは上がる一方。

そして迎えた初夜。
奥の部屋のベンティラドール(天井吊り下げ型・扇風機)のスイッチを入れ、明かりを点け、布団を敷く。
すると途端に鳴り響く、怪しげな機会音、
「ブオンブオン……ボンッ!!」

爆発音と共にベンティラドールから火花が飛び散り、明かりは瞬く間に消えてしまった。

そして、焼け焦げた臭いだけが、部屋中に充満する。

こうして迎えた新生活初夜。
不安と不満、怒りと嘆きは心の片隅にしまい込み、2人はそっとまぶたを閉じた。

なんせ400ペソやから。
…はぁ~。Ni modoーニ・モードー
(スペイン語でしゃあないの意味)

俺たちに宿はない?

入国後、サンクリストバル・デ・ラスカサスで一泊した後、格安バス会社”LEO”の、安い割りにはなかなか快適なバスに乗り、チナハスを目指した。

ちなみにこのバス、トイレは付いてるが使用不可能。
ドアが閉まってるので、オブジェにすらなりゃしない。

そして、自由席に見えて、実は指定席。

コンビニの便所に停車したかと思うと、コツ前と姿を消し、数十分後に帰ってきたりと、なかなか楽しいオプションが付いている。

チナハスに4時ごろに着き、ベラクルスを経由して、10月7日・昼にカランサへと着いた。

レチュギージャスを去ったんが8月7日やったから、ちょうど二ヶ月ぶり。
だが、暑さは相変わらずで、感動の涙も忘れるぐらいに、汗が止めどなく流れ出た。

カランサで、レチュギージャスの町人・サラの姉妹に出くわし車で送ってもらう。

レチュギージャスに着くと、ボニーにまず挨拶を交わした。

飯を食い、酒をやり、グアテマラの話をし、かるく盛り上がった。
が、部屋のことは何一つ触れられなかったし、なんとなく接し方が冷たい気がした。

(もしかしたら、部屋使われへんのかなぁ?
つーより、嫌われてもた?)

なんて不安はとりあえず置いといて、レオン一家の家へ。

久々のボスの家。
到着すると、ボスもグロリアも子供らも、みんな暖かく迎えてくれた。


安心し、腰をおろし、飯食って一服した後、再びボニーん店に行く。

そして尋ねる。

「部屋使える?」

「うん」

返事はイエスだが、やはり態度は冷たかった。

とりあえず荷物だけ部屋に預け、またまたボスん家へ。

飯食って団らんしてたら、
「今日はここに泊まってけや」
ってことなので、泊まることに。


一応、ボニーん家に泊まれることなったと伝えると、
「まぢで!」
と、レオンは驚いた。

なんでも、来月に娘が帰ってくるらしく、部屋が必要らしい。
だから、誰も泊めるつもりはないみたいな感じやと。

それを聞いて、僕は思った。

(ボニー一家が妙によそよそしかったんはそのせいか?)
と。

きっと部屋をキレイにしたりするやらなんやらで、誰かに住み着かれると困るから、極力部屋の事には触れられんようにしたかったんやろう。


そうなってくると、この町には長居出来ひんてワケや。

しかし、ボランティアも辞め、仕事もない2人がより安く長期滞在するにはこの町しかない。

それに、この町が好きやから戻ってきたワケやし、長くいたい。

が、ここには安いホテルはない。
海沿いに一軒、高いホテルがあるだけ。

後はカランサに数件ホテルがあるが、こいつも若干高そうや。


どないするか悩んだ後、賃貸住宅が無いかどうか尋ねることにした。

二ヶ月前、賃貸住宅は無いと聞いていたが、ダメ元で聞いてみることにしたのだ。

もし、これで無いならスペインにでも行こう!
と、ハラに決め。

「賃貸住宅ってないよね?」

「あるよ!」

ええ~!
前、無いって言ってましたやん???

まぁ、いっか。

「いくら?」

「月300ペソぐらいかなあ(約2000円)」

安っ!!

「借りたいなら俺の名義で借りたるけど、まあまだボニーの娘帰ってこんから、見つかるまで気長に待っとけや」


いつものボスの無責任な発言。
全く安心は出来ないが、とりあえず旅の疲れと気疲れを癒すように、倒れこむように床についた。

グッバイ! グアテマラ!

10月4日
グアテマラ出国前夜。
歯の最終治療をするため、例の歯医者へと向かった。

最後ぐらいは真面目に治療してくれるやろうと思いきや、またまたやらかしてくれた。

治療中に突然、席を外す歯科助手。
何をするんかなと思いきや、ハンドバッグを肩に下げ、お手々フリフリさようならの御挨拶。
そして、ケツからブリブリさよおならにて爆殺。

「アディオス! ブッ!!!」

無礼や。
あまりにも無礼や。

かんぺーちゃんが昔、
「お礼のプー」
と、よく言ってたが、その行為はお礼というよりは無礼。
かなり失礼やろう。

"これでもオイラ、あんたの給料の出処に協力してんだぜ!"

それをこともあろうに、屁をかまして立ち去るとは…

恩を仇で返すとは、まさにこのことやろう。

そういやホテルのオヤジも、ハンモックに寝そべりながら、何回も屁を垂れ流してたっけ。
ファック!

それにしても歯科助手が去った後、一体誰が助手をするのだろうか?
と考えていると、白衣を着た1人の男性が部屋に入って来た。

何やらこれからハメる歯の話をしているようや。

こいつはもしかすると、別の歯科医?
なかなか難しい治療やから、助っ人に来てくれたんかも?
ラッキー!

ウキウキしながら、男性の顔をマジマジと眺める。
と、そこには目を疑う光景が広がっていた。


白衣を着た、一見歯科医のような男性。
なかなかええ面構えしとる。
が、その男性の肩には聴診器がぶら下がっているではないか!

てことはあんた、内科やないか?

歯ぁ、まったく関係ないがな!

こんな最終局面に内科医に入ってこられても。

聴診器を胸に当てられ、
「はい。吸って~…
はい。吐いて~…」
と言われても。

吐いてやないがな、歯が痛いんやがな!
なんつー親父ギャグすら出てこんわ。


そんなこんなで、内科医にマトモな補助が出来るワケもなく、いつも以上に生唾詰まらせ、おまけに今回は、接着用のセメントの欠片までも喉に詰まらせながら、不満足にて治療は終了した。

ご親切にも日本では保険の効かないであろう、磁器製の歯をハメられて。
(まあ、もちろん診断書には、銀歯と書いてもろたが)


翌朝。
宿の一家に見送られ、バス乗り場へと向かった。

サンペドロからケツァルテナンゴ→ウエウエテナンゴを乗り継いで、国境の町 ラ・メシヤで一泊する予定でバスに乗った。

が、グアテマラ人のあまりの汚さに急遽予定は変更された。

サンペドロからケツァルテナンゴまでの間ずっと、後部座席に座った兄ちゃんが背もたれに、痰やら唾やらを吐き続ける。

「グァ…ペッ! グァ…ペッ!」

それはそれは、なかなか愉快な光景であり、彼の行為を上品な言葉であらわしたなら、
”お下品”
である。

この”お”という文字は何ともよく出来ていて、この文字を頭につければ、たいがいの言葉は上品になる。


おつまみ、お茶漬け、お客様、お仕事、お遊戯、お留守番。
おなら、おっぱい、おとんにおかん。おじんにおばんに、おちょんちょん。
も一つおまけにおまんこ野郎。

グアテマラ人は下の口からは、プッスカプッスカ屁を垂れ流し、上の口からは、ペッペ、ペッペと痰ツバ吐き出す。

それが彼らのファッションなのか、そんなお方が何故か多い。

その後、乗り継いだバスでも、似たような光景が多々あった。


確かに。
痰ツバ吐きたい時は、誰にだってあるやろう。
そりゃ、僕にだってある。

しかしながら、車内で吐くのはさすがに、
”反対の賛成の反対なのだ”

ってことで、僕らは愛すべきか愛さぬべきか、どっちなんだかよくわからんグアテマラという国をあとにし、メキシコへ再入国した。

出入国時にまれに要求されるというワイロも要求されず、
「果物とか野菜とか持ってないよね~」
なんて、ただ尋ねるだけの簡単すぎる入国審査をパスし、最大日数180日のサインも貰い、愛すべきメキシコへと無事戻ってきたワケだ。


ただひたすらに無為に過ごした一ヶ月そこそこのグアテマラ旅。

この旅の中で、僕らに何かしらの進歩があったかどうかは、新しくなった歯に聞いて欲しい。

きっとこう答えるやろう。

「もうじき(磁器)や」

サンパブロ・ラ・ラグーナ

現在住んでいるサンペドロからピックアップトラックに乗り、1人20円ほど払えば、一瞬でサンファン・ラ・ラグーナへと行ける。

サンペドロの人間から聞いた話と違い、ホテルどころか週単位で借りれるレンタルームもあれば、スーパーに市場もあるサンファン。

観光地のわりには観光地かぶれもしてないし、道ですれ違う人達も皆やさしくあいさつしてくれる。

子供らもすれてなくて、みんな無邪気や。

サンペドロよりも静かやし、次にグアテマラに来る際には、必ずここに滞在するつもりでいる。

草木染めも綺麗やしね。

そんなお気に入りの町に昨日(9月23日)、二度目の散歩&買いそびれた土産を買う為に向かった。
(…オモロイ地酒があれば尚いいんやが)

が、ただサンファン行くだけってのもアレやし、まずはそっからも一つ進んだサンパブロ・ラ・ラグーナに行くことにした。

サンパブロにはマゲイで作った繊維があるとかないとかゆーとるが、どうせならマゲイで作った酒・プルケが呑みたいなぁ。
(オアハカで呑みそびれたからね)


サンパブロ直のピックアップトラックはないらしい故に、サンファンで乗り換えなければならない。

サンペドロからシェラ行きの、チキンバスという大型バスに乗り込んで、
「サンパブロで降ろしてくれ!」
と言えば、きっと安くいけるんかもしれないが、なんせサンペドロからシェラ行きのチキンバスは、早い便で朝8時半・11時の二本ぐらい。
頻繁には出ていないので、なかなかタイミングが合わない。


だから、ピックアップでとりあえずサンファンに向かう。
ちなみにサンファンまでは、歩いても30分ぐらいで行けるんちゃうかなぁ~。


サンファンに無事到着。
ピックアップを探すが見当たらない。

一応トゥクトゥクの兄ちゃんにサンパブロまでの片道料金をいくらか尋ねると、
「2人で25ケツァル(約250円)」
だという。

サンペドロからサンファンまでが1人2ケツァルやのに対し、サンファンからサンパブロまで1人12.5。
これは高い!
12倍もする。

地図上ではそんなに距離に違いはないハズやのに…。

とりあえずトゥクトゥクはあきらめて、も一度ピックアップを探していると、ワゴンタクシーの兄ちゃんに声をかけられる。

「どこ行きたいん?」

「サンパブロ!」

「1人10でいいよ」
トゥクトゥクより2.5ずつ安い。

それでも、2に比べれば5倍や。

が、ワゴンタクシーの兄ちゃんは言う。

「もう今はサンパブロ行きのピックアップは無いよ」
と。

確かに!
サンペドロと違い、ピックアップの姿が異様に少ない。

見かけたとしても、
「サンパブロ?
ノー。サンペドロ行きやで」
との答えしか帰ってこない。

仕方がないのでワゴンに乗り込み、サンパブロへ向かった。


サンパブロまではガタゴト道を進んだ後、ずっと上り道やった。

だいたい15分ぐらいかかったやろうか、無事にサンパブロに到着した。

降りる前に兄ちゃんが、
「も一つ進んだとこにある、サンマルコスはええとこやで。
行きたいなら連れてくよ!」
としきりに勧めてきたが、とりあえず興味の強い方、ここサンパブロで下車することにした。


車を降りるやいなや、
「サンマルコス~、サンマルコス~!」

そんなにサンマルコスはええとこなんか?

ついつい行きたくなるほどに、声かけが激しい。

が、声かけを無視して村を歩く。


山の風景。
空の色。
雲の流れ。
村人の戯れ。


…何もない。
見事なほどに、ここには何もない。

昼間から酒場で、民族衣装を着た現地のお姉さんたちが酒盛りをはじめてるぐらいや。

サンペドロやサンファンと比べると店等もほとんどなく、道の所々で道路脇に腰掛けたおばちゃん達が野菜を売ってるだけ。

することもないし、とりあえずうろうろしてから、教会の前に腰掛けた。
すると、1人の現地人が近づいてきた。

35歳ぐらいやろか。
名前は忘れたが、やさしそうな男性。

「こんにちわ。
どっから来たの?
ここには何をしに来たの?」

簡単な挨拶から会話が始まる。

会話といっても9割はなんとか受けとめるだけやが、スペイン語初心者なのを気遣いやさしい球を投げてくれたので、なんとも受け取りやすかった。


まず初めに彼は、自分がこの教会の管理人をしているということを紹介してくれた。

朝も昼も夜も、ずっとずっとここを見張っているらしい。


その次に彼は、サンパブロという村の今昔を教えてくれた。


今この村はとても静かで安全やが、昔はタチの悪い若者が盗みを働いたり、ドラッグに溺れたり、大変やったらしい。

毎日不安な日々を送ってたそうや。

が、村の人らが追い出したのか?あるいは自ら出ていったのか?
そんな若者たちは皆、サンマルコスへ移り住んでいったそうや。

サンパブロだけでなく、近隣の村の若者たちも皆、サンマルコスへ移り住んでいったみたい。

で、現在。
小学生や中学生のNEWエイジたちが、まじめに暮しながら勉学に励んでいるんやと。

それに関しちゃ納得!

この会話中にまわりに寄って来た子供ら全員、トゥトゥヒルとスペイン語の両方話すんやもん。

すごいわ!


その後いろいろ話したが、1番印象に残ってるのは日当の話。

この村では1日働いて35ケツァレス(約350円)。

メキシコ・レチュギージャスで1日140ペソ(840円)。

半分以下や。

あまりにも低すぎる気がする。
が、彼は言う。

「安いけど、物価も安いから大丈夫だよ。
ただビールは買えない。
一度呑んでしまうとクセになってしまうから…」

なんせグアテマラはビールが高い。
25ケツァーレスもする。

毎日呑もうもんなら、余りは10ケツァーレス。

家族抱えて一日10ケツァーレスは厳しいと思う。

僕ら2人で自炊しても、毎日米だけで3.5はかかる。
残りでトマト3やジャガイモ1.5、玉ねぎ3等を買ったらすぐに終いや。

食べ盛りの子供が1人2人おったら、あっちゅーまに無くなる額。

服買う金なんてまったくないやろう。

だから、サンパブロの子達が着てる服はたいていボロボロや。

このお兄さんの子供にしても、まわりに寄って来た子供らの制服にしてもボロボロや。

サンペドロやサンファンと比べると、貧しいのかもしれない。

それでもみんないい笑顔。
やさしく接してくれた。

1時間ほど話しこんだ後、彼にさよならを告げた。

「今度はいつここに来るの?
また会えるといいね」

そう言って彼は見送ってくれた。

サンペドロからサンファンまで、1人10ケツァーレス。

2人で20ケツァーレスのタク代払うのがなんとなくアホらしくなり、歩いて山道を下りサンファンへと向かった。


サンファンやサンペドロみたいに、民芸品や観光的なモノはないかもしれないが、サンパブロには彼がいる。

旅の醍醐味は何よりも人や!

山や海、川や谷などの大自然アート。
有名な建築物や美術品などの人工アートに、歴史や文化。
食に酒に、薬や音。
それも確かにステキやろう。

でも、そこに住む人たちの魅力が1番!

サンパブロでそれに触れれたことは、最高の思い出や。

ボロは着てても心は錦!
僕もこうありたいもんや。

金は欲しいがそこそこでいい。

メキシコ帰ったらぼちぼち稼ぐかぁ。

目標は1日30ペソや!
(現在レートで180円)

ただ、まだ部屋空いてるんかなぁ~。
空いてますように!
Ojalá~!
(オハラ~:そうでありますようにの意味)