2011年12月29日木曜日

ポルケ? パラケ? プルケ!

por que?ーポルケ?ー(何故?)
何故、僕らはメヒコに来たのか?
それはメヒコが好きだから。

para queーパラケー(何の為?)
じゃあ、何の為にメヒコに住んでいるのか?
それはスペイン語を勉強しながら、メキシコという国を、人を、深く知りたいから。

pulqueープルケー。
それは、忘れていたもう1つの目的。
これは、マゲイっつうサボテンから作られる酒。
白濁色で、鼻水みたいにドロ~ンとしたお酒。
2008年。メキシコ旅行中に、たった一度だけ出会った愛すべき酒。

この酒を呑むためにメヒコに来たのに、今まで一切口にしていなかった。
何故なら、ベラクルス州には無いと勝手に思い込んでいたから。

が、ベラクルス州にも存在するということを、ボスの口から耳にしたので、プルケを呑むため、僕らはマルチネスという町に出掛けることにした。

ここレチュギージャスからカランサまでタクに乗り、カランサからバスで揺られること2時間。

あっちゅう間にマルチネスに着く。
盆地ということもあり、12月やというのにクソ暑い町。

プルケは寒い土地でないと作れない。
だから、普通に考えりゃこんなクソ暑い町には無いのだが、ここはクソ暑いだけでなく、クソデカイ町なので、あちらこちらからプルケを売りにくるらしいのだ。


到着するとすぐに、1人の男性が声をかけてきた。
名前はハビエル。
ツーリストをしているらしい。

日本人に会うのが珍しいらしく、興味津々に声をかけてきてくれたのだ。

彼に町の中心まで案内してもらい、プルケの情報を収集する。

「プルケはリットル13〜15ペソ(だいたい80円~90円)。
たまに50ペソとかふっかけてくるから、それは買ったらあかん。
20でも高いよ!」
と、めちゃくちゃ親切に教えてくれた。

仕事はツーリスタだが、この案内は気持ちやからということで、金は一銭も払ってない。

ここがメキシコのいい所。
これがキューバだとエライ目に会う。

勝手に前を歩きながら、んだんだ話し、最後に金を要求してくる。

払わんと地の果てまでも追いかけてくる。

僕らは死んでも払わんが、あのしつこさには、金に余裕のある人は負けて払ってしまうだろう。


ハビエルと連絡先を交換しサヨナラ。
カランサ~マルチネス間にある、サン・ラファエロという町に住んでるから、ぜひぜひ遊びに来て欲しいと、住所と電話番号を手渡されたのだ。
機会があれば、ぜひ行こうと思う。


”プルケは高くても15ペソ!”
それだけを頭に叩き込み、まずは市場に向かった。

マルチネスには毎週木曜日になると、露天商がたんまり集まってくる。
これがかなりデカイ!

カランサの市と比べると月とスッポン。

こんだけデカけりゃプルケもあるやろうと、期待に胸膨らませて歩く。

が、いっこうにプルケなど見当たらない。

仕方がないのでその辺の人に話かけるが、どの情報もあまりアテにならず、ただただ途方に暮れるまま、5時間が経過した。


「もうあと1時間ぐらい探しても見つからんかったら、帰ろかあ」
諦めかけながら、最後の望みを毎日やってる町の市場に託し、フラフラ歩きながら、キョロキョロと酒好きっぽい奴を探す。

いかにもな感じの、肉屋のオッちゃんと目が会う。

「何を探してるんや?」

「プルケ!」

「プルケかぁ~。ちょっと待ってやぁ~」


するとオヤジ、隣に座ってたツレ2人と一緒になって考え込みだした。

「ちょっと待ってや!」
「お~い! お前知ってるかぁ?」

向かいの肉屋の兄ちゃんに尋ねる。

そして、考えこむこと約10分。

オッちゃんのツレの描いてくれた地図は置き去りに、向かいの肉屋の兄ちゃんが、店まで案内してくれることになった。


肉屋から5〜6分ほど歩いただろうか。

入り口がカーテンでふさがれた、いかにも怪しい感じのカドにあるBAR。

名前はあるのか無いのかよくわからん。
ただ、白い壁にペンキで描かれた
”Pulque fría”
ープルケ フリアー(冷えたプルケ)
という、下手くそな文字だけが何故か目立っている。

これはまさしくプルケBAR、通称・プルケリアや!

兄ちゃんと握手を交わしたあと、カーテンを恐る恐るめくり店内に踏み込む。

地元民らしい男共が、3~4人ほどカウンターに腰掛け酒を呑んでた。
白く濁った酒。明らかにプルケや。

やったぁ~!
心の中で叫ぶ。

一応、バーテンダーの兄ちゃんに尋ねる。

「プルケある?」

「あるよ」

テーブルに腰掛け、プルケを待つ。
とりあえず1リットル頼んだ。
が、値段を聞いてないことに気づく。

しかし、壁を見るとデッカく、
ープルケ 1リットル 13ペソー
と、書かれているではないか!?


これはハビエルが教えてくれた、プルケの最低料金。

なんて庶民的なバーなんや!
Que padre! ーケ パードレー
(イカす~!)


そして、とうとうお目当てのプルケが、テーブルへと運ばれて来た。

約3年ぶりのプルケ。
かなりドキドキ。

その白く濁った液体を、そっと口に運ぶ。
口当たりは柔らかい。が、発酵しているせいか、唇を少しピリッと震わせる。
そのまま舌へ。
甘い。とろみが少ないので、思ったより軽やかに流れる。
あっという間に、冷たい液体が喉を通過する。


「うっま~!」

こら上手い!
何かで割ってるんやろか?
呑みやすい。

3年前、クエルナバカ外れの町にあるBAR
”Las limones”
で呑んだ、鼻水プルケとはまた違った味。

ぐいぐいイケる!
これなら1人で3〜4リットルはイケるんちゃうか?
おかわりしよかぁ!
なんて思っていたが、なんとなく冷たい視線を感じるではないか。

ーは?
   これはもしや?
   例の?ー

よく見ると、壁にはどエロなポルノグラフィティが、そこかしこに貼られている。

来た!
やっぱり!
売春BARや!

ひ~!
カップル厳禁やん!

隣の部屋の壁には、DROGAードロガー(麻薬)て書かれてるし!

こら早々に立ち去ろう!
ってことで、プルケ2リットル持ち帰りを頼み、スタコ~ラサッサ~サ~ノ~サ~で、店を後にした。


マルチネスで見つけた、名もなきプルケリア。

泥臭い男共が、冷えたプルケを大量に流し込んでは、生ぬるいプルケをこれまた大量に発射する。

僕たちが口にしたプルケが生ぬるくなくて本当によかった。

なんせ、プルケ以外はビールすら置いてないという徹底ぶりを見せる店だ。

冷えたプルケが無くなった場合の対処法は、口には出したくないほどグロいモノかもしれないい。

そんな店に長居は禁物。

あの便所に横たわってたゴキブリは、きっとプルケを呑んだからやろう。

冷えたプルケを呑んだのか?
それとも生ぬるいプルケを呑んだのか?
それは、神のみぞ知る。

アワビVSゴキブリ

ある日、憂歌団の”おそうじオバチャン”を聴いていた。

一日働いて二千円!
今日も働いて二千円!
明日も働いて二千円!
糞にまみれて二千円!

‥かなり低賃金でかわいそうに思うが、よくよく考えると僕たち2人は、朝早くからミミズや牛の糞や小便にまみれながら、一日働いても一銭にもならん。

一日働いても無銭や。
今日も明日も明後日も、糞にまみれながら無銭や。

きっつ~!!
だからといってそんな日々を別に嘆いてるワケでもない。

なんやかやと、スペイン語と農業の勉強を両立出来ているワケであるからして、なかなか貴重な時間を過ごしているとは思う。

僕らがいま主に勉強しているロンブリコンポスタ(ミミズの肥料)は、100%ミミズの糞で出来ている。

ミミズの糞と聞くとしょぼそうやが、これがまたかなり凄い栄養素を持っていて、しおれた植物にこの肥料をぶっかけると、短時間の内にビンビンになっちゃうという、肥料界のバイアグラ的存在なのだ。


僕らはこの天然バイアグラを作り出す為に、毎日毎日糞にまみれてるワケやが、この作業で1番キツイのが、”虫”である。


正直ゆーて僕は虫が大嫌い。
気持ち悪いし怖い。

だから、虫とは出来るだけ関わりのない生き方をしていたいのだが、農作業に虫はつきもの? なのか、この農場にも虫がうじゃうじゃおる。


ダンゴムシ、イモムシ、ゴキブリ、タランチュラetc。


かなりきっつい!
特にゴキブリ!!!

ゴキブリは大キライや。
てか、ゴキブリ好きな奴もそんなおらんやろう。
と、思っていたのだが、ところがどっこい!

ある日ボスが、
「メヒカーノ(メキシコの男)でゴキブリが嫌いな奴は1人もおらんよ」
と言った。


「なんで?」
と聞くと、

「だってゴキブリって女性のアレにそっくりやん!」


なるほど!!!


…え?
いや、待てよ。

???似てるか???

ゴキブリと女性のナニ。

似ても似つかんと思うのだが、この話をボスが奥さんの前でした時、奥さんはめちゃくちゃ笑ってた。

笑うということは、それを認めているということなのか?

確かに!

僕はメヒカーナ(メキシコの女性)のソレを拝見したことがない、だからもしかすると、類似しているのかもしれない。
なんせ、
”この世界には、まだまだオラの知らねえエッチな例えが山ほどあるんだなぁ”
と、悟空さんが言ってるからだ。


しかし、ゴキブリま○こと聞いて僕は勃起しない。

ミミズ千匹と聞いて勃起はしても、ゴキブリじゃ勃起はしないYO!


う~ん。
メヒカーノってのは、ちょっぴり悪ふざけが過ぎるようだ。

その点ハポネスは違う。
女性の神秘的な部分を、あの高級な海の生き物、アワビに例えるという美的感覚っつーより、ムッツリな感覚を持ってるからだ。

むろん、僕もムッツリだ。

何故ならば僕は昔、アワビをゴシゴシ洗っているときに、ギンギンに勃起したことがあるから。

アワビの黒光りした部分を、少しずつ少しずつ水で洗い流しながら、少しずつ少しずつ膨らんでゆく、オ~ My SON!
はち切れそうだ! 飛び出しそうだ! 活きているのが素晴らしすぎる!


こんなしょうもない日記を書きながら、明日もまた、アワビではなく、エメラルドグリーン色したゴキブリと戯れるのだ。

そんなとこまでトウモロコシ

メキシコを代表する食べ物と言えばタコスだ(メキシコではtaco-タコ-と呼ぶ)。

そして、このタコスはトルティーヤなしでは成り立たない。

トルティーヤ(トルティージャ)とは、maíz(マイース)ートウモロコシーから作られる平たい生地のことだが、スペインではオムレツのことを指す。

そんなトルティーヤがメキシコ人の主食。
言ってみれば日本人にとっての米と同じだが、
「トルティーヤの無い人生なんて考えられへん!
トルティーヤの無い国には行きたくない!」
と、若干狂いすぎている気もする。

が、確かにこの国に住んで生活していると、その気持ちが分からんでもなくなってくるから不思議や。

”人類はトウモロコシから誕生したのである”
なんてメキシコ的な考えが、今では理解出来るぐらい、僕らもトルティーヤ中毒になってしまっている。


タコ以外にも、エンパナーダ。チラキレス。タマール、エローテス、エスキーテスetc(タマール、エローテス、エスキーテスは、eloteーエロテー(マイースとは違う種類のトウモロコシから作られる)。

とにかくメキシコでは、毎日がトウモロコシ三昧。

トウモロコシを使った料理がホンマにたくさんある。
が、実は料理以外にも、トウモロコシの使い道があるということを最近知った。


メキシコの教育制度について、グロリアと話あっていたある日のこと。

「日本でも昔の先生は手をあげてたけど、今はあげないよ。
PTAがうるさいから」。

「メキシコも同じよ。昔の先生は厳しかったわ。
宿題忘れたり、授業中騒がしくしてたりなんかしたら、床に並べられたトウモロコシの上に正座させられて、両肩から重い物を持たされたもんだわ」

ええっ!
そんなとこまでトウモロコシ!?
痛そう!

食べるだけやなくて、教育的指導(拷問)にまでトウモロコシを使うとは。


メキシコという国は、とてつもなく恐ろしい国である。

メキシコに生まれんでよかった!
ビバ! 米大国ハポン!

マジッすか先輩!?

この小さな町に、僕が一目置いてるヤツがいる。

心の中で”先輩”と呼んでいるヤツがいる。

ヤツはボスん家の二軒隣の家に住んでいる。

ヤツの名はアロンソン!

12歳で既に1回ダブッてしまっている、小学5年生の思春期真っ只中ボーイだ!

僕はいつか彼に問いたいと思っている。
「どんだけ勉強嫌いなんスカ? 先輩?」


高校生でもいっぺんダブればかなり焦るハズ。
しかし、彼は全く微動だにしない。

それどころか、三十路の日本人捕まえて、
「アヘドレス(チェス)やろうぜ、アヘドレス!」
と勉強そっちのけで、マブダチ感覚でチェックメイト決めこもうとしてくる。
が、彼の書くアヘドレスのつづりは”agedres”。ホンマは”ajedrez”。
間違っている。
オマケにルールはちょこちょこ変わる。

そんなだから、チェックメイト決めこむつもりが、チェス初心者の僕から一度もチェック出来ないでいる。

ちなみにチェックメイトはスペイン語で”ハケマテ”だ。
チェックはハケ。

吐けゆーたり、吐くん待てゆーたり、酔っぱらいには少々厳しいゲーム。
出来ればシラフでやりたいもんや。


そんな愛すべきアロンソン先輩が、ある日メキシコの地図を指しながらこう尋ねた、
「ハル。日本はどこ?」

…え?

「日本はメキシコのどの州にあるん?
こんな形の町、メキシコのどこ探してもないよ」


…マジっすか先輩!?
さすがにそれは…

どっからどう見ても僕らメキシコ人ちゃいますやん!

たのんまっせ先輩!


…しかし、これはメキシコの教育制度にも問題があるんやろう。


なんせ小学校の授業時間は毎日4時間だけ。
土日はちゃっかり休み。

確実に足りてないやろう。
のに、週1ペースで先生不在の為に、急遽休校になる。
不在の原因はいつも、
”Quien sabe?ーキエン サーベー”
「さあね?」だ。


授業にしても、ただ黒板に書かれた文字を、ノートに写すだけという簡単な内容。
だから、文字の読み書きがほとんど出来ない。

なんせ教科書が読めない。
宿題はいつも両親が読んで一緒に考える。

そして、ほぼ親が答えを教えて書かせる。
これじゃまったく意味ないんちゃうか?
っつーぐらいのお粗末な内容や。


そのわりには、幼稚園を卒業しないと小学校に進学出来ひんとか、小学一年生と二年生に限っては進級試験があり、合格しないとダブッちゃうなんていう、厳しいルールがある。

さっぱり意味が分からへん。


そんなことよりも、
「3+3は?」
と尋ねられたとき、
「6!」
と、指を使わずに瞬時に答えれるぐらいの力を、小学校二年生のガキンチョに教えるべきや。


あまりにも酷い。
先生がアホすぎるんやろう。

てことで、ときどき僕らが子供らに勉強を教えている。
と同時に学んでいる。

僕が教科書を読む。

すると、言葉を聞いた子供らは意味を理解する。
そして、発音の間違いを指摘して教えてくれる。

子供らが答えを書く。

僕は文字の間違いを指摘する。

僕は発音を覚え、子供らは文字の読み書きを覚える。

なかなか画期的な教育システム。
7歳のガキンチョと30歳のプー太郎が、同じテーブルを囲んで仲良くお勉強。

教えてると言うよりは、教わっている。

ガキンチョに感謝!!

そんなある日。
ションベンちびりそうになるぐらい、ビビる一言を耳にした。

「先生の名前なんての?」

「ん~…。何やったかな?
忘れた!」

えっ?  まじ?

ボスの孫・ゴージョは、5分ぐらい悩んだ末、ようやっと思い出した。


僕は思った。

(この国でなら先生なれるんちゃうかな?)
と。

しかし、
「急に寒なったから行きたくない」

「今日は雨が強いから行きたくない」
と言う理由だけで、歩いて2分のとこにある学校に行くのを嫌がるガキンチョたちを、平気で休ませるメキシコの大人たちに向かって、
「ちゃんと来させんかいアホ!」
と言う自信はない。


何故なら僕らも雨の日は、仕事サボっちゃうから。
この町の人らも、90%はそんな感じ。

雨が降ったらなんとやら~
風が吹いたらなんとやら~


みんな、”南の島のカメハメハ大王”みたいな生活をしているか
ら。

金は無い。
が、みんな自由。

魚が釣れりゃあ、みんなで分け合い。
果物が実れば、みんなで分け合い。
トウモロコシが育てば、みんなで分け合い。

どこの国でも、村生活ってのはこんな感じなんかなぁ~?
なんて思いながら、新たに知った真実。

先輩の弟もダブッてる!?

しかし、先輩の弟(9歳)は、V6の岡田くんにそっくりやから、きっと大丈夫やろう。

そして僕は、小栗旬にそっくりだ。

だから大丈夫だ。

なかなかいいかなイナカな生活

初日以降、家のトラブルは無く、平穏無事に過ごしている。

そして、町に戻って来てから1週間は、とりあえずマッサージのお客さんを待ってみた。
が、ほとんど来客は無かった。

それもそのはず。
よう考えたら前回は夏休みやった。
だから、都市に出稼ぎに行ってる人たちや、都会の学校に行ってる子供らが、ここに戻ってきてた。
そして、物珍しさと安さにひかれてちょこちょこ稼げただけの話。

てことで出てきた答えは、
「年末年始にちょこっと稼げりゃいいかぁ~」。


てなワケで、スペイン語を勉強しながらだらだら生活しようと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。


飯の時、何気にボスに尋ねた。
「最近ランチョはどう?」

「かなり荒れてるよ。
トラクターも壊れたままやし、カルロスも首切られたから、今1人やし」

チーン!

なんでも、当初100万ぐらいと聞いていた別荘(ボスはポルケリア(ガラクタ)と呼んでいる)の建築費が、200万追加になったことでパトロンの金が無くなり、人員を削減されたらしい。


ボランティアもおらんし、来ても仕事がハードやからすぐに出て行くし、パトロンの息子ルーベンとロヘリオ(無職)は、相変わらず手伝いにも来んらしく、ボスはただ1人働いている。

おかげで筋肉疲労がたたり、かなり痛そうにしている。

(辛そうやなあ~)
てことで、僕らは再び農業を手伝うことになった。


正直、アホ家族の経営するランチョを手伝うのはアホらしい。
なんせ三ヶ月前追い出されたワケやし。
なんの恩も義理もない。
が、ボスにはかなり世話になっている。

だから、恩返しと勉強を兼ねて、再び農業を手伝うことにしたのだ。
しかし、少しは金も稼ぎたいので、午前中だけの手伝いにした。

そんな2人の生活スタイルはこんな感じ。


月~土
6時半:起床
7時~10時:ランチョ(農場)の手伝い
10時~11時:朝食(ボスん家)
11時〜11時40分:掃除、洗濯、火起こし
11:40分~13時:ドラゴンボールZ鑑賞(改じゃないやつ)
13時〜17時:お湯浴びて飯食って勉強しながらマッサージの客待ち
17時〜19時:牛にエサやってから、週1~週2ペースでボスのマッサージ(もち無料)
19時〜20時半:シンプソンズ鑑賞
20時半~21時半:ウトウトしながらまったく進まない勉強
21時半:就寝

※ 日、祝、雨の日:一日中チンポ丸出し


う~ん、修学旅行生より規則正しい生活。
おかげで毎日毎朝、デッカいクソが山ほど出る。


”健康”
この言葉はまるで、僕らの為にあるんじゃなかろうか?
なんて思ってしまうぐらい健康や。

そして僕らは、健康に生きてるだけでなく、地球に優しくも生きている。

なんせ一ヶ月の捨てるゴミの量が、半端なく少ないからや。
その量なんと、スーパーの袋で換算すると、0.5〜1袋分。

少なっ!

なんせ、燃えるゴミは毎日の焚き火の火種になる(火起こさんと飯食われへんし、熱いお湯浴びれんからね)。

生ゴミと小便は庭で作ってる肥やしの素。
肉に付いてる骨は、よ~く煮詰めてダシの素。
余った骨カスは野良犬の命の素。

麦酒瓶は酒屋に返さないと罰金取られるから返すし、缶ビールは呑まない。高くつくから。

返さなくていいさとうきび焼酎の瓶は、自家製ワインを詰めるのに使用している。

この自家製ワインやが、もらったオレンジにイースト菌をぶち込んで発酵させただけの簡単な酒。
なんせ今はオレンジの収穫時期。
オレンジがタダでもらえる。

タダでもらったオレンジが、1~2週間でワインになるんやから、酔っぱらいにとってはうれしい話。

しかし、味に関しては何も言うまい。
そして、何も聞くな。

酔えりゃいいんや酔えりゃ。濁酒ワインなんやから。
呑んだあと腹壊すとか、問題ナイナイ金もナ~イ! 職もナ~イ! 先もナ~イ!

この地球に優しいナイナイスタイルは、日本に帰ってからもやってみたいなと思っている。

ただ、職と金はアルアルがいい。
そして、土地も欲しい。

庭付き一軒家(地下室有り)が月3万で、日本のどっかに転がってないもんやろか?

もしくわ当れ! 宝クジ。

2011年11月24日木曜日

メキシコ的? 家賃交渉!

翌、10月8日。
朝食前にボニーにあいさつしに行った。

「三月までおる予定やし、賃貸住宅探すまでのしばらくの間、部屋使わせてもろてもいい?」


するとボニー、
「え?
賃貸住宅探してんの?
なら、あるよ。
今すぐ案内するよ!」

あれだけ冷たくよそよそしかった彼が、まるで別人のように明るく陽気な人間になった。

いや、というよりは、元に戻ったと言う方が正しい。
何故なら彼は、いつも陽気やからや。

ただ、娘の為にキレイにせなあかん部屋を、どこの馬の骨か分からん日本人2人に占領されまいと、冷たく接していたのだろう。


ハイテンションのボニーに連れられ、やって来たのはセニョール・ミゲルの家。


「オラ! ムーチョグスト!(はじめまして)」

「ムーチョグスト!」

セニョール・ミゲルは、ボニーの嫁さん・チェパの姪っ子の旦那さんで、実は今回が初対面。


二ヶ月前、姪っ子と娘はよく見かけたが、彼は見かけなかった。

きっと働いてないんやろう。
なんせ土曜日の真っ昼間から、働かずに部屋でニート気取ってるんやから。


「ボニーから聞いたけど部屋を探してるんやって?」

「うん」

「期間は?」

「半年かな」

「いいよ。家賃はホンマは800ペソやけど、ナンボがいい?」
ってな具合に、家主自ら家賃の値下げを切り出してきた。

借り手側からすれば、こんなにうまい話はない。
が、ナンボがいいと言われましてもこの町の賃貸相場は分からんわ、部屋は見てないわ、どないせ~ちゅう話。

う~ん。
若干悩んでいると、昨晩のボスの話を思い出した。
”月300ぐらいかなぁ”

300?
せや、300や!

「300ペソ!」

「300! それはちょっと…」

苦笑いが返ってきた。
…ボスの嘘つき。

しかし、この苦笑いは、
「300なんかで貸せるワケないやろが、このイかれチンポ野郎」
的な苦笑いではなく、
「もう少し色つけてよ、おチンポくん」
的な苦笑いであることは、即座に理解出来た。

次男に生まれたおかげで、顔色判断能力A級の僕ちんには、これぐらいのことは朝飯前。
そこんとこ両親に感謝!

引き続き家賃交渉。
350じゃ安すぎるし、500じゃ懐が泣きをあげる。

それに、いざ見た家がボロ家やったとしたら、最悪この上ナシ!

いろんなこと配慮した結果、出た答えはこれ。

「400ペソ(約2600円)はどない?」

「いいよ!」

よっしゃ! ハルくん大正解!

こうして無事に借りることが出来たワケやが、問題の家はというと、
…べらぼうに広かった!

玄関を開けると、すぐリビング。
その奥にキッチンルーム。
別に部屋が2つ。
計4部屋で、おのおのが昔のたたみ六畳分ぐらいの広さがある。

シャワー&便所は外。
洗い場も外で少々不便。
壁も所々はげてて、何一つ物はない。
が、なかなかキレイで裏庭が家の二倍ぐらいの広さがある。

大阪でこれだけの広さの家を借りるとなると、10万以上はするんちゃうやろか??

いくらメキシコの物価が安いとはいえ、400は安すぎる!

なんせ800から半額になったんやもん。安すぎるやろう。
しかも、町の中心地(道路が二車線なだけやけど)。
かなり、ラッキーや!

ちゃんと金払って借りる家での、初めての2人きりの生活。
テンションは上がる一方。

そして迎えた初夜。
奥の部屋のベンティラドール(天井吊り下げ型・扇風機)のスイッチを入れ、明かりを点け、布団を敷く。
すると途端に鳴り響く、怪しげな機会音、
「ブオンブオン……ボンッ!!」

爆発音と共にベンティラドールから火花が飛び散り、明かりは瞬く間に消えてしまった。

そして、焼け焦げた臭いだけが、部屋中に充満する。

こうして迎えた新生活初夜。
不安と不満、怒りと嘆きは心の片隅にしまい込み、2人はそっとまぶたを閉じた。

なんせ400ペソやから。
…はぁ~。Ni modoーニ・モードー
(スペイン語でしゃあないの意味)

俺たちに宿はない?

入国後、サンクリストバル・デ・ラスカサスで一泊した後、格安バス会社”LEO”の、安い割りにはなかなか快適なバスに乗り、チナハスを目指した。

ちなみにこのバス、トイレは付いてるが使用不可能。
ドアが閉まってるので、オブジェにすらなりゃしない。

そして、自由席に見えて、実は指定席。

コンビニの便所に停車したかと思うと、コツ前と姿を消し、数十分後に帰ってきたりと、なかなか楽しいオプションが付いている。

チナハスに4時ごろに着き、ベラクルスを経由して、10月7日・昼にカランサへと着いた。

レチュギージャスを去ったんが8月7日やったから、ちょうど二ヶ月ぶり。
だが、暑さは相変わらずで、感動の涙も忘れるぐらいに、汗が止めどなく流れ出た。

カランサで、レチュギージャスの町人・サラの姉妹に出くわし車で送ってもらう。

レチュギージャスに着くと、ボニーにまず挨拶を交わした。

飯を食い、酒をやり、グアテマラの話をし、かるく盛り上がった。
が、部屋のことは何一つ触れられなかったし、なんとなく接し方が冷たい気がした。

(もしかしたら、部屋使われへんのかなぁ?
つーより、嫌われてもた?)

なんて不安はとりあえず置いといて、レオン一家の家へ。

久々のボスの家。
到着すると、ボスもグロリアも子供らも、みんな暖かく迎えてくれた。


安心し、腰をおろし、飯食って一服した後、再びボニーん店に行く。

そして尋ねる。

「部屋使える?」

「うん」

返事はイエスだが、やはり態度は冷たかった。

とりあえず荷物だけ部屋に預け、またまたボスん家へ。

飯食って団らんしてたら、
「今日はここに泊まってけや」
ってことなので、泊まることに。


一応、ボニーん家に泊まれることなったと伝えると、
「まぢで!」
と、レオンは驚いた。

なんでも、来月に娘が帰ってくるらしく、部屋が必要らしい。
だから、誰も泊めるつもりはないみたいな感じやと。

それを聞いて、僕は思った。

(ボニー一家が妙によそよそしかったんはそのせいか?)
と。

きっと部屋をキレイにしたりするやらなんやらで、誰かに住み着かれると困るから、極力部屋の事には触れられんようにしたかったんやろう。


そうなってくると、この町には長居出来ひんてワケや。

しかし、ボランティアも辞め、仕事もない2人がより安く長期滞在するにはこの町しかない。

それに、この町が好きやから戻ってきたワケやし、長くいたい。

が、ここには安いホテルはない。
海沿いに一軒、高いホテルがあるだけ。

後はカランサに数件ホテルがあるが、こいつも若干高そうや。


どないするか悩んだ後、賃貸住宅が無いかどうか尋ねることにした。

二ヶ月前、賃貸住宅は無いと聞いていたが、ダメ元で聞いてみることにしたのだ。

もし、これで無いならスペインにでも行こう!
と、ハラに決め。

「賃貸住宅ってないよね?」

「あるよ!」

ええ~!
前、無いって言ってましたやん???

まぁ、いっか。

「いくら?」

「月300ペソぐらいかなあ(約2000円)」

安っ!!

「借りたいなら俺の名義で借りたるけど、まあまだボニーの娘帰ってこんから、見つかるまで気長に待っとけや」


いつものボスの無責任な発言。
全く安心は出来ないが、とりあえず旅の疲れと気疲れを癒すように、倒れこむように床についた。

グッバイ! グアテマラ!

10月4日
グアテマラ出国前夜。
歯の最終治療をするため、例の歯医者へと向かった。

最後ぐらいは真面目に治療してくれるやろうと思いきや、またまたやらかしてくれた。

治療中に突然、席を外す歯科助手。
何をするんかなと思いきや、ハンドバッグを肩に下げ、お手々フリフリさようならの御挨拶。
そして、ケツからブリブリさよおならにて爆殺。

「アディオス! ブッ!!!」

無礼や。
あまりにも無礼や。

かんぺーちゃんが昔、
「お礼のプー」
と、よく言ってたが、その行為はお礼というよりは無礼。
かなり失礼やろう。

"これでもオイラ、あんたの給料の出処に協力してんだぜ!"

それをこともあろうに、屁をかまして立ち去るとは…

恩を仇で返すとは、まさにこのことやろう。

そういやホテルのオヤジも、ハンモックに寝そべりながら、何回も屁を垂れ流してたっけ。
ファック!

それにしても歯科助手が去った後、一体誰が助手をするのだろうか?
と考えていると、白衣を着た1人の男性が部屋に入って来た。

何やらこれからハメる歯の話をしているようや。

こいつはもしかすると、別の歯科医?
なかなか難しい治療やから、助っ人に来てくれたんかも?
ラッキー!

ウキウキしながら、男性の顔をマジマジと眺める。
と、そこには目を疑う光景が広がっていた。


白衣を着た、一見歯科医のような男性。
なかなかええ面構えしとる。
が、その男性の肩には聴診器がぶら下がっているではないか!

てことはあんた、内科やないか?

歯ぁ、まったく関係ないがな!

こんな最終局面に内科医に入ってこられても。

聴診器を胸に当てられ、
「はい。吸って~…
はい。吐いて~…」
と言われても。

吐いてやないがな、歯が痛いんやがな!
なんつー親父ギャグすら出てこんわ。


そんなこんなで、内科医にマトモな補助が出来るワケもなく、いつも以上に生唾詰まらせ、おまけに今回は、接着用のセメントの欠片までも喉に詰まらせながら、不満足にて治療は終了した。

ご親切にも日本では保険の効かないであろう、磁器製の歯をハメられて。
(まあ、もちろん診断書には、銀歯と書いてもろたが)


翌朝。
宿の一家に見送られ、バス乗り場へと向かった。

サンペドロからケツァルテナンゴ→ウエウエテナンゴを乗り継いで、国境の町 ラ・メシヤで一泊する予定でバスに乗った。

が、グアテマラ人のあまりの汚さに急遽予定は変更された。

サンペドロからケツァルテナンゴまでの間ずっと、後部座席に座った兄ちゃんが背もたれに、痰やら唾やらを吐き続ける。

「グァ…ペッ! グァ…ペッ!」

それはそれは、なかなか愉快な光景であり、彼の行為を上品な言葉であらわしたなら、
”お下品”
である。

この”お”という文字は何ともよく出来ていて、この文字を頭につければ、たいがいの言葉は上品になる。


おつまみ、お茶漬け、お客様、お仕事、お遊戯、お留守番。
おなら、おっぱい、おとんにおかん。おじんにおばんに、おちょんちょん。
も一つおまけにおまんこ野郎。

グアテマラ人は下の口からは、プッスカプッスカ屁を垂れ流し、上の口からは、ペッペ、ペッペと痰ツバ吐き出す。

それが彼らのファッションなのか、そんなお方が何故か多い。

その後、乗り継いだバスでも、似たような光景が多々あった。


確かに。
痰ツバ吐きたい時は、誰にだってあるやろう。
そりゃ、僕にだってある。

しかしながら、車内で吐くのはさすがに、
”反対の賛成の反対なのだ”

ってことで、僕らは愛すべきか愛さぬべきか、どっちなんだかよくわからんグアテマラという国をあとにし、メキシコへ再入国した。

出入国時にまれに要求されるというワイロも要求されず、
「果物とか野菜とか持ってないよね~」
なんて、ただ尋ねるだけの簡単すぎる入国審査をパスし、最大日数180日のサインも貰い、愛すべきメキシコへと無事戻ってきたワケだ。


ただひたすらに無為に過ごした一ヶ月そこそこのグアテマラ旅。

この旅の中で、僕らに何かしらの進歩があったかどうかは、新しくなった歯に聞いて欲しい。

きっとこう答えるやろう。

「もうじき(磁器)や」

サンパブロ・ラ・ラグーナ

現在住んでいるサンペドロからピックアップトラックに乗り、1人20円ほど払えば、一瞬でサンファン・ラ・ラグーナへと行ける。

サンペドロの人間から聞いた話と違い、ホテルどころか週単位で借りれるレンタルームもあれば、スーパーに市場もあるサンファン。

観光地のわりには観光地かぶれもしてないし、道ですれ違う人達も皆やさしくあいさつしてくれる。

子供らもすれてなくて、みんな無邪気や。

サンペドロよりも静かやし、次にグアテマラに来る際には、必ずここに滞在するつもりでいる。

草木染めも綺麗やしね。

そんなお気に入りの町に昨日(9月23日)、二度目の散歩&買いそびれた土産を買う為に向かった。
(…オモロイ地酒があれば尚いいんやが)

が、ただサンファン行くだけってのもアレやし、まずはそっからも一つ進んだサンパブロ・ラ・ラグーナに行くことにした。

サンパブロにはマゲイで作った繊維があるとかないとかゆーとるが、どうせならマゲイで作った酒・プルケが呑みたいなぁ。
(オアハカで呑みそびれたからね)


サンパブロ直のピックアップトラックはないらしい故に、サンファンで乗り換えなければならない。

サンペドロからシェラ行きの、チキンバスという大型バスに乗り込んで、
「サンパブロで降ろしてくれ!」
と言えば、きっと安くいけるんかもしれないが、なんせサンペドロからシェラ行きのチキンバスは、早い便で朝8時半・11時の二本ぐらい。
頻繁には出ていないので、なかなかタイミングが合わない。


だから、ピックアップでとりあえずサンファンに向かう。
ちなみにサンファンまでは、歩いても30分ぐらいで行けるんちゃうかなぁ~。


サンファンに無事到着。
ピックアップを探すが見当たらない。

一応トゥクトゥクの兄ちゃんにサンパブロまでの片道料金をいくらか尋ねると、
「2人で25ケツァル(約250円)」
だという。

サンペドロからサンファンまでが1人2ケツァルやのに対し、サンファンからサンパブロまで1人12.5。
これは高い!
12倍もする。

地図上ではそんなに距離に違いはないハズやのに…。

とりあえずトゥクトゥクはあきらめて、も一度ピックアップを探していると、ワゴンタクシーの兄ちゃんに声をかけられる。

「どこ行きたいん?」

「サンパブロ!」

「1人10でいいよ」
トゥクトゥクより2.5ずつ安い。

それでも、2に比べれば5倍や。

が、ワゴンタクシーの兄ちゃんは言う。

「もう今はサンパブロ行きのピックアップは無いよ」
と。

確かに!
サンペドロと違い、ピックアップの姿が異様に少ない。

見かけたとしても、
「サンパブロ?
ノー。サンペドロ行きやで」
との答えしか帰ってこない。

仕方がないのでワゴンに乗り込み、サンパブロへ向かった。


サンパブロまではガタゴト道を進んだ後、ずっと上り道やった。

だいたい15分ぐらいかかったやろうか、無事にサンパブロに到着した。

降りる前に兄ちゃんが、
「も一つ進んだとこにある、サンマルコスはええとこやで。
行きたいなら連れてくよ!」
としきりに勧めてきたが、とりあえず興味の強い方、ここサンパブロで下車することにした。


車を降りるやいなや、
「サンマルコス~、サンマルコス~!」

そんなにサンマルコスはええとこなんか?

ついつい行きたくなるほどに、声かけが激しい。

が、声かけを無視して村を歩く。


山の風景。
空の色。
雲の流れ。
村人の戯れ。


…何もない。
見事なほどに、ここには何もない。

昼間から酒場で、民族衣装を着た現地のお姉さんたちが酒盛りをはじめてるぐらいや。

サンペドロやサンファンと比べると店等もほとんどなく、道の所々で道路脇に腰掛けたおばちゃん達が野菜を売ってるだけ。

することもないし、とりあえずうろうろしてから、教会の前に腰掛けた。
すると、1人の現地人が近づいてきた。

35歳ぐらいやろか。
名前は忘れたが、やさしそうな男性。

「こんにちわ。
どっから来たの?
ここには何をしに来たの?」

簡単な挨拶から会話が始まる。

会話といっても9割はなんとか受けとめるだけやが、スペイン語初心者なのを気遣いやさしい球を投げてくれたので、なんとも受け取りやすかった。


まず初めに彼は、自分がこの教会の管理人をしているということを紹介してくれた。

朝も昼も夜も、ずっとずっとここを見張っているらしい。


その次に彼は、サンパブロという村の今昔を教えてくれた。


今この村はとても静かで安全やが、昔はタチの悪い若者が盗みを働いたり、ドラッグに溺れたり、大変やったらしい。

毎日不安な日々を送ってたそうや。

が、村の人らが追い出したのか?あるいは自ら出ていったのか?
そんな若者たちは皆、サンマルコスへ移り住んでいったそうや。

サンパブロだけでなく、近隣の村の若者たちも皆、サンマルコスへ移り住んでいったみたい。

で、現在。
小学生や中学生のNEWエイジたちが、まじめに暮しながら勉学に励んでいるんやと。

それに関しちゃ納得!

この会話中にまわりに寄って来た子供ら全員、トゥトゥヒルとスペイン語の両方話すんやもん。

すごいわ!


その後いろいろ話したが、1番印象に残ってるのは日当の話。

この村では1日働いて35ケツァレス(約350円)。

メキシコ・レチュギージャスで1日140ペソ(840円)。

半分以下や。

あまりにも低すぎる気がする。
が、彼は言う。

「安いけど、物価も安いから大丈夫だよ。
ただビールは買えない。
一度呑んでしまうとクセになってしまうから…」

なんせグアテマラはビールが高い。
25ケツァーレスもする。

毎日呑もうもんなら、余りは10ケツァーレス。

家族抱えて一日10ケツァーレスは厳しいと思う。

僕ら2人で自炊しても、毎日米だけで3.5はかかる。
残りでトマト3やジャガイモ1.5、玉ねぎ3等を買ったらすぐに終いや。

食べ盛りの子供が1人2人おったら、あっちゅーまに無くなる額。

服買う金なんてまったくないやろう。

だから、サンパブロの子達が着てる服はたいていボロボロや。

このお兄さんの子供にしても、まわりに寄って来た子供らの制服にしてもボロボロや。

サンペドロやサンファンと比べると、貧しいのかもしれない。

それでもみんないい笑顔。
やさしく接してくれた。

1時間ほど話しこんだ後、彼にさよならを告げた。

「今度はいつここに来るの?
また会えるといいね」

そう言って彼は見送ってくれた。

サンペドロからサンファンまで、1人10ケツァーレス。

2人で20ケツァーレスのタク代払うのがなんとなくアホらしくなり、歩いて山道を下りサンファンへと向かった。


サンファンやサンペドロみたいに、民芸品や観光的なモノはないかもしれないが、サンパブロには彼がいる。

旅の醍醐味は何よりも人や!

山や海、川や谷などの大自然アート。
有名な建築物や美術品などの人工アートに、歴史や文化。
食に酒に、薬や音。
それも確かにステキやろう。

でも、そこに住む人たちの魅力が1番!

サンパブロでそれに触れれたことは、最高の思い出や。

ボロは着てても心は錦!
僕もこうありたいもんや。

金は欲しいがそこそこでいい。

メキシコ帰ったらぼちぼち稼ぐかぁ。

目標は1日30ペソや!
(現在レートで180円)

ただ、まだ部屋空いてるんかなぁ~。
空いてますように!
Ojalá~!
(オハラ~:そうでありますようにの意味)

2011年10月1日土曜日

グアテマラ歯科事情

歯茎の中にたまった膿を排出するため、ここグアテマラにて、まさかまさかの根管治療(神経とか虫歯の治療のこと)を行うことになったワケやが、意外や意外、日本よりも海外で根管治療を行う方が、成功率が高いということが判明した。

というのも、根管治療の際に最低限使用しなければならないはずの”ラバーダム”というゴムカバーみたいなんが、日本では現在、あまり使用されていないらしいからや。
(歯医者にもよるみたいやが、日本の保険制度の関係上、患者全額実費負担やないと、歯医者側が赤字なるらしい)

日本と違い、アメリカでは当たり前のように使用されているというラバーダム。

同じアメリカ大陸にあるからやろか、現在通院してる歯医者でもしっかりと使用している。


なんでも、このラバーダムを使用していない場合の根管治療成功率は40%。
ラバーダム使用時の成功率は90%。
…らしい。

ホンマかウソかわからんが、これがホンマなら不幸中の幸い!

成功率が50%もUPするなんて!

「グアテマラで治療してよかった~」
ってことになるワケである。

が、これもまた医者による。


いくらラバーダムを使用しているからとはいえ、医者が真剣に治療に取り組んでいるか否かで、この成功率%は変わってくるのではないか?
と、僕は思うワケや。


通院初日。
検診とレントゲンだけやったので、なんなく診察は終わった。
事の重大さを伝えられ、禁酒を余儀なくされる。
言葉がわからないなりにも、理解するまでしっかりと説明してくれる彼女。
なかなか真面目な医者やなと感心した。


二度目の通院。
問題の歯に被せられた銀歯を見て、日本の医療技術に感心をよせている。
ーやっぱり真面目で熱心な医者やないかー
と思ったのも束の間。
この日から、彼女に対する”真面目なお医者さん”というイメージは段々と崩れさっていくのである。


銀歯の話が終わると、彼女と助手は世間話を始めた。

治療中やというのに、やれパン買う金がないやの、やれマンゴーが食いたいやのと、仕事にはまったく関係ない話を延々と続ける。

助手は話に夢中で、吸引ホースで僕のお口にたまった唾液や消毒液を吸い込むことを放棄。

医者も医者で、それに気づかず会話に夢中。

そして僕は、自らの唾液により窒息寸前。


結局1時間の治療時間中、ホースで唾液を吸い込んでくれたのは3度ほど。

しかも、吸い込みも甘々。

おかげでほぼ飲みこんでしもたやないか。
気分悪っ!


三度目、四度目もほぼこんな調子で治療が行われた。

毎度毎度、食べ物の話で盛り上がる彼女たち。

忘れさられた僕の唾液は、次第に喉の奥から盛り上がる。

まるで、逆流を起こした下水管の排水口から、汚物が外へと押し出されるかのように、唾液が上がってくる。

そうして出来た汚く臭い水たまりは、段々ラバーダムへと近づいて行く。

せっかくラバーダムを使用し治療する歯に対して、周りからの細菌や唾液の侵入を防ごうと試みても、医者や助手が話に夢中で真剣に見てなけりゃ一緒や。

せっかく上がった成功率50%も、遊び半分・仕事半分でやられちゃ半減。

成功率は65%ぐらいにまで下がっちゃう。

せめて彼女が日本人やったなら、
「バファリンの半分はやさしさで出来てるんやで」
と言えば、
「はっ!ゴメン!
もっと真剣にやるわ」
となるんやろうが、日本語も話せないのに日本語しか話せない日本人を小馬鹿にしちゃう外国人なワケやからして、そんなこと言っても、
「はぁ??」
と、一言返されるだけや。


しかしながら、2〜3年前から噛むだけで痛かったこの歯が、段々と物を噛めるようになって来たのは事実。

なかなかやるやんグアテマラ医者!
なかなかやるやんラバーダム!
と、思いながら5度目の通院がやって来た。


この日は神経の掃除ラストの日。

これが終われば後日にクラウンや(歯の被せ)。


いつも通りにラバーダム装着。

すると医者が、
「クラウンする? せん? どないする?」
と尋ねてきた。

いやいやいや、するもせんも、あんたが前回治療後に、クラウンしなあかんてゆーたんやないか!
と思いながらも、全く口がきかれへん状態なので、とりあえずうなずく。


「オッケー!
じゃあ、今日歯を切断するね!」

ーえ? なんそれ?
切断?
聞いてへんで!ー
と、思いながらも、ナチュラル ボーン テレサ・テンな僕は、このまま流れに身をまかせることにした。


すると、今までとは打って変わり、2人は食べ物の話をしなくなった。


ーもしかすると今から行う治療は、かなり難易度の高い治療なんか?
真剣に取り組む気になったんか?ー


2人の熱心さが伝わる治療が、今まさにここで行われる!
…予定であった。
が、そう甘くはなかった。


助手「今度の週末出かけたいんやけど、車出せる?」

ー知らんがなー

医者「ちょっと無理かな」

ーオリックスレンタカー行け!
オリックスレンタカー!ー


ー今話さなあかん?
週末の予定ー


プルルルル…
助手の電話が鳴る。

助手「はい。もしもしー」

ーえ? 出るんや!
しかも長電話?
医者。助手を怒って!


そうこうしてると、医者仲間が尋ねてきた。
ちなみにこの部屋には、入り口にドアどころかカーテンも仕切りもないので、誰でん彼でん入り放題。

ゆうきちゃんはいつも、同室にある椅子に腰掛け、治療風景を眺めてるぐらいやから。


医者仲間「自分もう飯食った?」

医者「いや、まだよ」

医者仲間「一緒行こうや」

医者「うん。まだかかるから待ってて」

医者仲間「ええ! まだかかるんや? 腹減ったから先に行くわ」

医者「まぢで! ほな、早く終わらすから待ってやぁ」

医者仲間「らじゃー」

ー早く終わらす?
こいつは何をゆーとるんや?
歯の治療ってそんな簡単か?
お前もらじゃーやないし!
てか、助手まだ電話中!?ー

怒らすつもりか笑わすつもりか、なかなかチャームな女医さんや。

楽しいっちゃあ楽しいが、出来れば歯の治療は平穏無事に済ませたい。


アホな医者仲間が立ち去ると、すぐさま新たな来客が。


医者「オラ! ロコ(気狂い)」

ロコ「…」

医者「オラ! ロコ(気狂い)」

ロコ 「…」


医者「フエラ! ロコ! フエラ! ロコ!(出て行け気狂い! 出て行け気狂い!)」

ロコ「…」

医者「お~。トント ペロ~(頭悪い犬やわ~)」


ー犬かい!ー


仕事半分・遊び半分っつーよりも、もはや舐められてる感タップリの根管治療。

犬の名前がロコならば、飼い主自信もロコ。

ペットが飼い主に似るんか、飼い主がペットに似るんかはともかく、早く犬を追い出してくれんことには、飛んできた犬の毛が治療中の歯に入り、
”日本発! 歯の神経が犬の毛で出来た男!”
と、世界まる見えあたりで紹介される危険性間近!

まる見えは好きやが、神経が犬の毛になるのはちっとも嬉しくない。

3万5千円も払って神経を犬の毛に変えるつもりはサラサラない。
僕はそんなにロコやない。


そんなこんなで無事(?)に、神経の掃除は終わり、奥歯は半分ほどにカットされ、後は安物のクラウンを被せられるのみ。
それにて根管治療は終了する。

成功率は40%以下か!?
なんやかんやと90%か!?

不安は隠せない。


季節が変わり、冬の寒さが身にしみる頃。
右下奥歯の神経が、夏の毛から冬毛に変わるのかどうかは、犬のロコにも医者のロコにも、ましてやお天道様にもわかるまい。

そもそも犬に名前つけるなら、ロコやなくコロ。
間違っても気狂いなどと命名してはならないが、この犬に関しては特別に許可してもええやろう。


ここで一句!

日本から
遠く離れた
空の下
大枚はたき
犬毛神経

2011年9月24日土曜日

グアテマラ尿事情

だんだんこの宿の家族たちが、話しかけてくれるようになってきた。

今日(9月21日)は、酢豚とお好み焼きのレシピを教えたお礼か、お母さん手作りの財布をいただいた。

しかも、サンペドロカラー(民族模様)。

めちゃくちゃ嬉しい!

「recuerdoーレクエルドー(お土産)にあげる」
と言ってくれた。

めちゃくちゃ嬉しいので、明後日にお好み焼き。
週末にはまた酢豚を作ろう。
そして、直接見てもらおうと思う。

なんせ百聞は一見に如かず!

特に言葉の通じない僕らにとっては、話すよりも見てもらう方が早いのや。

そして、財布をもらってふと思ったことがある。

ー良しも悪しも日々の行ないは、そっくりそのまま自分に返ってくるんやなぁー
と。

先週。
あまりにも暇なので、近隣の村であるサンファン・ラ・ラグーナへ行った。

乗り合いのトラックに乗り、ガタゴト道を走り、揺られること約10分で、サンファンに到着する。

サンペドロとはまた違ったおもむきのあるこの村は、草木染めで有名な場所である。

カンペチェという名の木の樹液や、マゲイ(サボテン)に巣食う小さい虫の血などを染料に、自然な色合いの製品をたくさん作っては、それを売って生活をしている。

僕らはこの村にある土産屋を何軒か回り、そのうちの一軒、”IXOQ AJKEEMーイショック ・アッケーム??ー”という名の店で、可愛らしい財布を発見した。

ちなみにIXOQ AJKEEMは、Tzutujil(トゥトゥヒル語)で、機織りをする女性という意味らしい。

スペイン語では、Mujer tejedorームヘール テヘドール。
ほんま全然ちゃうわ~。

その店で、
ー世話になったレチュギージャスの人達に土産をー
と、財布を大量に買い込んだワケである。

それが今こうして返ってきたのか、
「お土産に!」
と、突然ポンと財布をいただいたのだ。


偶然か必然か?
まあ、とにかく何かを貰うってのは嬉しいもんやね。

そして、嬉しい気分のまま散歩するのは楽しい。
ので、散歩に出かけた。

坂を上り、広場のベンチに腰掛ける。

通りすがりの爺ちゃんに挨拶をすると、そっから会話が始まった。

布や服を作って生活をしているという爺ちゃん。
すぐそこの家で機織りをしているという。

近いし覗きにおいでよ。

ーやった!
   見学出来るんや!ー

ってことで家に向かうと、見学ではなく、何のこっちゃない売りつけやった。


爺ちゃんはそそくさと場を去り、代わりに奥さん登場。

笑顔で、
「土産にいかが?」
と、布片手に話しかけてくる

そう。ルンルン気分で忘れちゃいたが、ここはれっきとした観光地。
レチュギージャスのような田舎町と違い、招待=飯or酒のような計算式はナイ。

が、
「また今度」
って明るく断れば何の問題もナイ。

しかし、何故か機織り屋のハズが酒も販売していたので、ついつい買ってしまった。

”ほにゃらら”という、アルコールにパインやリンゴを漬けたという安酒。
(名前忘れたので、ほにゃららと記載しているだけで、ホンマにほにゃららって名前の酒ではない)

漬けたと言っても怪しいもんで染色に近い色。
が、125mlで6ケツァル。

とにかく安い!
そして甘くてうまい!
いちご風味。
パインとリンゴを混ぜたのに、何故かいちご風味。

なんか面白いので2カップ分買う。

計12ケツァル。
15ケツァル払ってもお釣りは返ってこないが、おばちゃんの中では12ケツァル。

ー12と15はまったく違う数字やが、きっとおばちゃんの中では同じなんやー

「ポケットの中に隠して持って帰れ」

なんで?
なんか怪しい酒なのか?
それとも裏家業なのか?

その謎も解けないまま、土産を買わない日本人は、サッサと家から追い出された。


切ない気分を天が察したのか、雨がポツリポツリと降りだし、道の脇からアンモニアの臭いが湧き出してきた。

くさい!
めちゃ小便くさい!

そう。このくっさい臭いの元はすべて、グアテマラの尿事情のせいである…。



立小便しようが野グソしようが、ポリにさえ見つからなければ余裕のよっちゃんイカれニッポンと違い、メキシコでは意外や意外、立小便する人間に対する目はかなり厳しい。

真昼間から道端で立小便しようものならば、狂人扱いされるばかりか場合によってはポリさえ呼ばれ、下手したら連行されてしまう。

かと言って、日本みたいに公衆便所がそこかしこにある訳でも、スーパーに便所がある訳でも、大昔に開便宣言をしたローソンがある訳でもなく、ごくたまに貸しトイレ(1人20円ぐらい)を見かけるぐらいや。

だから、頻尿マンの僕にとっては、それはもう地獄地獄。

外出前の放尿は、必須行為なワケである。

ところがここグアテマラの尿事情は、やや。
いや、かなり違う。


とにかく立ち小便は当たり前の行為なのである。

しかも、何故か決まって立ち小便しているのは、40〜50歳の大の大人たち。

恥ずかしげもなくチンコをさらけ出しては、道端にてジョロロロロ‥

キレの悪い黄金水を、母なる大地に向かって垂れ流す垂れ流す。

これは別に酔っているワケでも、深夜における隠密行動でもなく、真昼間の、しかも人んちの前や、メインストリートにおける大胆な行為。


目が合えばシレッと、
「ブエナスタルデス(こんにちわ)」
とか、
「アミーゴ!」
っと声をかけてくるのである。

が、小便親父に友達呼ばわりされるのは、あんまり気持ちのいいもんでもない。

しかも、ここは観光地。
羞恥な行為によって快感を得るような、感行恥ではないハズやのに。

そんな大胆行為だが、なんとお上からも許されている行為のようで、ポリの真横だろうが何だろうが平気平気。

ライフル片手に突っ立ったポリの真横で、これまたライフル片手に突っ立ったまま放尿する姿には、尊敬の念さえ感じちまうほどや。

これはちょっと、今の僕にはまだまだ出来そうにない。

ひょっとしたら、グアテマラ人限定で許されている行為かもしれないし。

放尿した瞬間に射殺されてしまっては、あまりにも情けないやろう。

人生最後の吐き台詞が、
「チョロッ」
では、情けなさすぎるやろう。

そんな形で歴史に名を残すぐらいなら、兎我野町辺りの風呂臭いラブホテルで、腹上死した方がよっぽどマシや。
「チョロッ」
よりは、
「ドピュッ!!」
の方が、ビックリマーク2つ分マシや。


そして、このグアテマラ尿事情。
実は、立ち小便だけでなく、座り小便にも同じことが言える。

そう、男性だけでなく、女性も野外にて出しっ放しちゃうってワケや。


この町ではまだお目にかかってはいないが、ウエウエテナンゴでは何度か目撃した。

これもやはり若いコではなく、40〜50のセニョーラ達。

なんやろ?
もしかしたらコレは、一時グアテマラで起きたブームの名残りなんやろか?

日本で80年代にケミカルウォッシュが流行ったみたいに、グアテマラ80年代にはケミカルに対抗して、ナチュラルウォッシュが流行ったんやろか?

「放尿?
うん。アウトドア派かな?
なんつーか、汚れた自然を俺の尿がキレイにしてるっつーか。
つーか。つーか。つーか‥」

当時のナウい若者たちによる、脱トイレ宣言!

「か~え~れ! ト~イ~レ!」

かなり熱い戦いの果てに、政府公認、
”野外放尿自由令”(1987年)が制定されたのかもしれない。

(覚え方としては、イクわな外に尿出しに)

帰国する頃にはきっと、日本でもこの野外放尿自由令が、無事に制定されていることだろう。

なんてアホなこと考えながら、買ってきたいちご風味の酒を呑んでたら、ある物が目に入った。

胡麻のようで胡麻ではない、何やら白くて粒状の物。

そう、これは紛れもない、いちごの種である。

いちごの種がパインの芯や、リンゴの種とはあきらかに違う形状の物であることは、ある程度の知識を持った方ならおわかりだろう。

そこには確実に、パインやリンゴの要素はない。

どっからどう見てもいちごの種である。

自分で作ってる酒の中身がわからないほど、もうろくした年でもないやろに。

まあ、確実にいちごの酒であろう物を、リンゴやパインと言い切るのならば、それはそれでいい。

その気持ちはすんなりと受け入れようと思う。

ただ、現地人であるこの宿の主人・ルイスにこの酒の名を尋ねると、
「フレッサ!」
と、数秒悩んだ後に答えを出してくれた。

赤い色から推定したのか、沈んでる種を目にしたのかは、定かではない。

しかし、彼は確かにフレッサーいちごーと答えたワケや。

ってことは、これはもう確実にいちごの酒ってことや。

パインやリンゴなどではなく、いちごの酒・フレッサ。

何故おばちゃんがパインとリンゴと答えたのかは、わからない。


ただ正直言ってしまえば、どんな酒でも呑めば一緒。
ぜ~んぶ、尿という名の腑抜けアルコールに変わってしまうだけなんやから。

ここで呑んだ酒はすべて、母なる地球へ帰るだけ。

そう考えれば細かいこたぁ、どうでもよくなる。

そして今日。
僕は初めてグアテマラにて立ちションをした。

気持ちい~!

2011年9月22日木曜日

グアテマラ食事情

そういえばこっちに来てから随分と、トルティーヤを口にしていない。

何故ならメキシコに比べてトルティーヤ屋さんが少ないってのと、メキシコのトルティーヤと比べてグアテマラのトルティーヤが分厚いからや。

この分厚いトルティーヤ。
メキシコで言う所のゴルディータに近い気がする。

ちなみにゴルディータとは、スペイン語でまるまる太っているの意。

その名の通り、食べるとすぐ腹が膨れるハズ。
なのだが、メキシコのゴルディータと比べて、グアテマラのんはあまり膨れず、すぐに腹が減る。

まあ、
「ゴルディータいらんかえ?」
と営業しているワケでもなく、
「トルティーヤいらんかえ?」
と営業しているワケやから、文句の言いようもない。


だが、そうなってくると、やっぱメキシコのトルティーヤが食べたくなってくる。

薄いから具も挟みやすいし、揚げればチップス(トトポス)にもなるから、麦酒のツマミにも最適や。
サルサ漬ければ至極の一品!

メキシコ人のように、
「トルティーヤのない国には行けない!」
と、そこまでトルティーヤ一途って訳でもないし、唐揚げ作ればすぐ挟む。
ポテサラ作ればすぐ挟む。
煮魚作ればすぐ挟む(さすがにお好み焼きは挟まんかった)。
みたいに、何でもかんでも挟むつもりも毛頭ないが、やっぱりなんだか恋しいなぁ。

以外と米は恋しくないのに、トルティーヤは恋しい。
かと言ってトルティーヤ作るのは大変難しいし、なにぶん時間がかかりすぎる。

なので、この国での僕らの主食は主に、米・麦・オート麦になっている。

金があれば屋台やレストランを行ったり来たり出来るんやが、節約しないと長居出来ないので毎日自炊や。

まあ、仮に金があったとしても、毎日毎日外食も飽きるやろうし、グアテマラ料理にはイマイチ興味を感じないので、きっと自炊が主になるやろう。


米にしても麦にしても、トルティーヤほど腹は膨れないが、それでもなんとか腹を膨らますような調理を、日々心がけている。


例えば朝食。
ほぼ毎日オート麦(アベナ)を食べている。

このアベナやが、メキシコ来るまでまったく知らんかった食材。
日本で買うと結構高いみたいやけど、こっちやと1kg=80円ぐらいでかなり安い。

米などに比べてめちゃくちゃ栄養あるみたいやし、水で軽く溶いて火にかけりゃあ、まるでお粥。
塩粥にしても、玉子粥にしても、野菜粥にしても、なかなかイケる。

とろ味成分を利用すれば、片栗粉や山芋の代わりとしても使える。

実際、2日に1度は食すお好み焼きの中や、こないだ作った酢豚にも入れて実証済みや。

あと、ホワイトソース作りにも適しているんではないやろか?

コンソメスープに牛乳・バターと共に突っ込みゃ、手軽にシチューも出来そうや。

ダマが気になるなら、突っ込む前にミキサーにかければいい。

なかなか使い勝手のいい食材や。

そして、もう一つこっちに来るまで知らなかった食材がある。
それは”レモラチャ”。

ヌリアはベヘタベルと言っていたが、正式にはレモラチャらしい。

日本ではてんさいとか、砂糖大根とか呼ばれてるみたい。
そういやアレグリアでは、てんさいの砂糖を使用していた。

上白糖に比べて少し高いが、漂白してないし、体にもいいし、美味いから。

赤カブのような形をした、このレモラチャという野菜。
味は、甘くみずみずしい。
グアテマラでは茹でて薄切りにし、酢や塩、ライムをかけてサラダにするみたいやが、僕らは少し硬めの食感が好きなので、生のまま酢をかけて食べてる。

うまい!
結構クセになる!

ビタミン豊富な健康食材らしい。
が、食べすぎるとうんこが赤紫色になって出てくるので、痔持ちや内蔵疾患の方にはオススメ出来ない一品や。


朝はアベナにレモラチャ。
昼はお好み焼きや米。
夜は野菜スープにアベナや、小麦のみで作る揚げパン。

何やかんや食べてる気がするが、やはりトルティーヤに比べると満腹感は少ない。

少ないで思い出したが、この国の量単位はかなり少ない感を味わわす単位や。


穀物類にしても、野菜にしても肉にしても、市場での買い物時グアテマラでは、
「1リブラ(454g)いくら?」
という販売方法が主流のようで、メキシカンみたいに1kgナンボではない。

これやと2リブラでも908g。
1kgに満たないのである。

kg買いに慣れてしまってるせいか、何故か損した気分。

かと言って3リブラ買ってしまうと1362g。
キロを祐に超えてしまう。
2人で食べるには多すぎる量や。

このなんとも言いがたい切なさ。
主婦、もしくは主夫の方なら、なんとなく気持ちをわかっていただけるのではないだろうか??

ちなみに僕らは今現在、1リブラ(454g)の豚肉を購入した際、4日かけて消費することにしている(実際問題、この1リブラってのも微妙。店によってはボッてるやろう。
なんせ怪しい店は、目盛り部分がそっぽ向いてるから)。

2人で一日110g程度。

少ないようで、…やっぱり少ない。

成長期をとうに過ぎたとはいえ、これではなかなか腹が膨れない。
が、毎日肉を食べようと思うのなら、これぐらいがいいのかもしれない。

野菜・肉・穀物・果物をバランスよく食べることは、体にいいことやと思うし。

別に健康思考でもなんでもないが、極力医者にはかかりたくない。
なんせ医療費がバカにならん。

その為にはきちんと栄養、きちんとガソリン(酒)を供給しなければ。

今はある物を購入するために、日々の酒を我慢してはいるが。

にしても、この町は日によって物の値段が変わる。

うーん、不思議。

昨日3ケツァルやったハガキが、今日は4.5ケツァル。

野菜にしても、米にしても微妙に変わるし。

この不安定さは中々憎い。

プロハポン! プロハポン!
(多分生粋の日本人て意味)

なんて叫んでる暇があるならば、プロプレシオ(純粋価格)にて、販売を行ってもらいたいもんや。

が、プロプレシオでないからこそ得することもある。

こないだリカーショップでジョニ赤が、3500円で販売されていた。

てことは、ジョニ黒も最低でも3500円はするワケや。

でも僕らは700円でジョニ黒を購入した。

これはきっと、店番の子供が勘違いしたからこそ起きた、素晴らしい奇跡なんじゃなかろうか?

これが日本みたいにしっかりと料金表示していたならば、起きなかった出来事やろう。

このいい加減なボッタクリシステムが生んだうれしい奇跡。

ただ1つ心配なんは、店番してた男のコ。

あとで親父にめちゃくちゃ怒られたんちゃうやろか?

うー…ん。(考えんと) こ。

2011年9月20日火曜日

トゥトゥヒル語

9月18日(土)
独立記念日のあおりを受けてか、昨日から泊まってる団体客が未だうるさく騒ぎよる。

昨日の昼からやから、丸一日寝ずに騒いでるんちゃうか?

おかげで僕らも寝れてない。
アメリカンヒッピーや、ヨーロピアンヒッピーもなかなかやるが、グアテマランヒッピーもたいがいや。


とりあえずだるいので、声をかけられても返事はしないことにした。

言葉が達者でない分、態度で解らせるしかないからや。

とはいえ集団の力は強い。
今回宿泊してるのは、15人近い団体。

2〜3人ほどのグループなら希望もあるが、さすがに10人を超えると、
「まあ、えっか」的な考えが上回り、よっぽど頭のいい人間たちでない限り、静まることはないやろう。

反抗心からますますうるさくなる可能性すらある。


ここのオヤジからしたら薬買ってくれる上客やろうから、訴えたとしても何の手助けもしてはくれんやろう。

それはもう、オヤジの態度で一目瞭然。
僕らの顔見たら一瞬にして目をそらし、そそくさとどっか行きよる。


まあ、僕らが客を選べるわけやないから仕方ない。

オヤジにも生活があるんやし。
日本人は黙って泣き寝入り。
もしくは、丑の刻参りをするしかない。

丑三つ時になったら、カンペチェの木(染色に使われるグアテマラに生息する木)に釘を打ち込むしかない。
飛び出てきた樹液を浴びて、グアテマラ色に染まるしかない。

グアテマラ人に対抗するには、グアテマラ人になるしかないんやから。


ただ、こんなアホな客達を、オヤジの子供たちはかなり嫌がってるみたい。

そらそやろ。

この宿の子供たちは、基本的にお客に対していい顔をしない。

マリファナやコカイナばっかやって大音量で朝まで騒ぐ、アホな大人たちを軽蔑してるんやろう。

僕らに対しても初めはそうやった。

宿泊してから一週間ぐらいは、挨拶しても無視気味やった。

そりゃ、やって来たんが小汚い格好したモヒカン野郎なんやから、アホな大人たちと一緒にされても仕方ない。

が、実際んとこハッパは吸わない。薬もやらない。

僕の歯痛のせいもあり、たま~に昼から酒を呑むだけで、後は机に向かって勉強してるか、散歩行けば買い物袋片手に帰ってきては、煮物やったりお好み焼きやったり、酢豚やったりカレーライスやったり、グアテマラ人が見たこともないような日本食を作り、ヘタクソなスペイン語で、
「味見する?」
って話かけてきたり、折り紙作って遊んでたりするもんやから、だんだん人畜無害な奴らやっちゅーのを理解してくれたみたいで、少し前からよく話かけてくれるようになってきた。


昨日にいたっては、
「私たち団体客は大嫌い。
うるさいから」
と、同じ宿泊客である僕らに対し、グチをこぼすまでに。


そこで、彼女たちと話してるうちに、娘の1人・ヘイディから、ここサンペドロ・ラ・ラグーナには、スペイン語とは別に”トゥトゥヒル語”っつーのがあるってことを教えてもらった。

実はここに来てすぐ、サンペドロの人らはスペイン語とは何か違う言語を話してるなってのには、2人してうすうす気づいてはいた。

いくらスペイン語初心者やと言っても、半年近くも生活してれば、英語話してるんか、スペイン語話してるんか、他国の言葉話してるんかどうかぐらいは分かる。


メキシコ人と違い、あまり絡んで来てくれないグアテマラ人たちと生活してれば、話すよりも盗み聞くことの方が多いから、なおさらその違いに気づくわけや。


「そっかそっか。トゥトゥヒル語って言うんや」


とは言え、ここの一家もオヤジとお袋がトゥトゥヒルをよく知ってるだけで、娘たちは100知ってるわけではないみたい。

それでもスペイン語とトゥトゥヒル語を半々で話してる気がするし、お手伝いのお姉さんに関しては、ほぼトゥトゥヒルっぽい。


オカンからトゥトゥヒルを、オトンからスペイン語を学ぶ彼女たち。

小さい頃から二ヶ国語を学ぶなんてスゴイなぁと感心する。


そんなトゥトゥヒル語。
スペイン語とは全く似ても似つかない言語である。

例えば、おやすみとかこんばんわの意味で使われる”ブエナスノーチェス”が、トゥトゥヒル語では”ショカッア”。

”アディオス(さよなら)”は、”ナアン”。

”アグア(水)”は、”ヤ”。

”マードレ(母親)”は、”ヌテ”
‥全く違う。

そして、発音もスペイン語や英語というよりは、若干アジアンテイストな気がする。

旅帰りにベトナム寄るつもりで持参した、ベトナム語の本を見ると、なんかこんな感じや。

いっとき一緒に遊んでたベトナム人・チャンの発音にも似てるし。


もしかすると、
ーアジア人とグアテマラ人の祖先は親戚筋なんか?ー
と思ってしまうが、歴史に詳しくない僕が知る由も無いコト。

ただ1つ言えるんは、言葉って面白いなぁってことだけ。

でも、面白いと覚えたいは全く別。

スペイン語もまだまだやのに、トゥトゥヒル語覚えるとか、想像を絶する話。

バイラール(踊る)=ショホホ
バカ(牛)=ワカシ

うーん。
全くちゃうわ。

せやけど、昔々の話やが。
全くちゃう言葉を無理くり教えこませたんやとしたら、スペイン人に限らず、侵略者っちゅーのはどうしょうもない悪人やなあ。

今もしも、日本がロシアに侵略されて、無理くりロシア語の学習を強要されたなら、僕はこのまま日本には帰らずに旅を続けるやろう。

無理くりは嫌やから、好きな国で楽しく勉強したいわ。

Casa Cannabisーカーサ・カンナビス

9月17日(金)
この宿に来て約2週間。

9月15日が独立記念日ということもあり、この週はぼちぼち宿泊客が訪れているものの、
「僕ら以外の収入源はないんちゃうか?」
っつーぐらい暇。

それでもここの家族たちの食生活はなかなか豪華なもので、朝はコーンフレークに牛乳。
昼は毎日のように鳥肉。
オヤツにはさつまいもや大量に買い込んだパン。
夜は夜で、これまたガッツリ食べている。

こんな暇な状態やのに、どこにそんな余裕があるの?

家族や手伝いのお姉さん達を入れたら、毎日8人分の食費がかかるのに‥

と聞きたくなるが、その余裕の元は全てマリファナである。

宿から5分ほど離れたとこにあるオヤジが経営するコーヒーショップ。

ここもほぼ毎日暇そうやし、オヤジはどうやらコーヒーに関して素人な感じ。

このコーヒーショップが、オランダ人に対するメッセージなのかどうかは知らないが、とにかく毎日のようにマリファナを求めて宿に人が訪れる。

観光客しかり、現地人しかり、求める奴らがあとを立たない。

たまに泊りに来る宿泊客も全員それが目当てらしく、朝から晩までプカプカプカプカ葉っぱを吸ってはむせている。

やめりゃいいのにむせては吸い、むせては吸いを繰り返す。

まったくのバカチン行為。

そして、葉っぱを吸わない僕らを見て、
「吸う?」
と、必ずのように間違った親切心を押しつけてくる。

きっと、葉っぱを買う金を持たない、貧乏ハポネスを気遣っての一言なんやろうが、僕らは正直ゆーて酒と食とコーヒーにしか興味がないので、
「わ~い、わ~い!」
と、おこぼれにありつこうとは思わない。


即座に、
「グラシアス。ペロ、ノーキエロ。
ポルケ、ソロトマール」
(ありがとう。でも、いらないよ。
なぜなら、酒しかやらんから)
と答える。

これが、酒おごったるって話なら全く別なんやが。


いっそのことここの宿名、
”POSADA LA CRISTALINASーポサダ ラ クリスタリナス”
(水晶の宿??)
ではなく、
”CASA CANNABISーカーサ カンナビスー”
(マリファナの家)
にすりゃあええんちゃうか?
とも思うが、そんなことしちゃあ、オヤジの愛娘たちが学校でいじめに会うやろう。
それは可哀想や。


それにしても、マリファナ好きの外人どもは頭が悪い。

どこをどうすればそんなことが出来んのかが不思議なぐらい、頭が悪い。


共同生活の場やとゆーのに、な~んも気にせず一晩中大音量でトランス聞いて騒ぐ騒ぐ。

ありえんぐらいうるさい。
これならまだボニーんちで飼ってる豚の方が静かや。

そして、騒ぐだけでは飽きたらない、豚よりうるさい豚どもは、ハンモックに靴のまま寝転がる。
テーブルに足のっける。
テーブルの上に座る。
部屋はアホみたいに汚すわ、そこらにゴミはばら撒くわ、数えあげりゃきりがないほどの行儀の悪さで気分を害す。

俺が親なら灸(やいと)すえたるんやが、親じゃないのでそんなことしたら、ただのキチガイ。
下手したら警察行きや。

とにかくこいつらは、僕らにとって確実に仲良くはなれない人種や。
というより豚種か?

今後、世界規定でこのヒッピーかぶれの腐れ外人ども専用の豚小屋を、一般の宿泊施設とは別に作り、仕事してへんポリ共々、離島にて隔離するべきやろう。


早く来週なって宿泊客が0にならんかなぁなんて、毎日のように考えながらふて腐れてると、カーサ・カンナビス(旧姓:ポサダ・ラ・クリスタリナス)
には、実はもう1つ収入源が存在するという事実にきづく。


それはもうかなりの収入源であり、金持ちになるためには必須と言えようアイテムや。


…そう、白い粉である。


白い粉っても、小麦粉やベーキングパウダー。
ましてや、天花粉などでは全くなく、コカインという名の悪い粉(スペイン語ではコカイナ)。


そんな悪いもん売ってりゃ、そりゃあ毎日贅沢出来るわ。


そして、そんなもん食ってりゃ、そりゃ一晩中眠らずにトランス聴きながら奇声も発するわけですわ。

20代のアホ学生だけならまだしも、40〜50歳のセニョール達が、マリファナと酒だけで眠らずに一晩を過ごせるわけもないんやから。

確実にコカイナの力が必要になってくる。

そう考えると、カーサ・カンナビスやなくて、カーサ・シャブリーナにした方がええんちゃうか?
とも思うが、若干卑猥な感じもするので、やめた方がいいやろう。


ホンマ、けったいな宿で一月契約してもうたもんや。

宿代払う前に、売人であることだけはしっかりと告白しといてもらわんと困る。

まさか、払った後に言われるとは思わんかったからなぁ。

聞いてたら泊まってはなかった。

それにハッパだけならまだしも、粉まで売ってるとは。

このサンペドロ・ラ・ラグーナって町は、好きもんにとってはパラダイス。
この宿なんて、まさに水晶の輝きに思えるんやろうが、僕らからしたらただの化石。

ただうるさいだけの町や。

目の前には山や湖があって綺麗やし、ちょっと移動すりゃ色んな民芸品も売ってるし、長閑な田舎の空気を満喫できる。

それが薬のせいでぜ~んぶ台無しや。

な~んか、どっかに安酒場付きの宿はないもんかね。

いっそのこと作ったろか?
酒オール500円。
宿泊客にはツマミ一品サービスするような安宿。

たま~にロッカンロールライブがあるような。

もちろん薬は禁止。
エッチもこっそりならいいけど、大音量は禁止ね。

なんせ外人は声がデカイから。


しかし、言葉の壁はまだまだ高く。そして、厚い。

この壁はきっと、乗り越えるよりは乗り越えてきてもらう方が早いし、ぶっ壊すよりはぶっ壊してもらう方が楽やろう。

生まれてこの方30年間。他力本願な人生を歩んできたんやから、こんな楽な考えばかりが浮かび上がって来るのも仕方がないといえよう。

だが、ここらで一丁この重い腰を持ち上げて、壁を壊すもええやろし、よじ登るのもええやろう。

せっかくまだまだ時間があるんや。
このカーサ・カンナビスにて、他力本願独立をはかるのも面白いかも知れない。

だが、まずは餃子を作る方が先決。

なんせ今現在、僕らは酢と醤油。それに小麦粉と唐辛子まで持っている。

ラー油とごま油はないものの、挽き肉とキャベツさえ買えば、簡単に餃子が作れるではないか。

考えただけでもヨダレが出る。

ああ、ビールが呑みたい!
餃子とビールで人生バラ色。

紹興酒ないんは残念やが、代わ
りにラムでも燗して呑んだろか。

2011年9月9日金曜日

新世紀禁酒法時代

9月7日(水)
一ヶ月間のグアテマラ生活を決めたものの、正味ひま。

僕らが住むサンペドロの、目の前に広がるアティトラン湖の周りには、数個の民族村があるから、一日一個回れば一週間ほど観光出来るっちゃあ出来るが、あんまり興味もないし。

だから、今日はバカルディを探し求める旅にでた。

ってのも、昨日買ったXLがリッターで90、750mlで75ケツァルなのに対し、バカルディ(しかも、確かダークかORO)が700or750mlの瓶で60ケツァルぐらいやったのを、ウエウエテナンゴのスーパーで一度目にしたからや。

ちなみにバカルディとはキューバのラムである。

ボトムにコウモリのロゴがついてる奴ね。


ひたすらに町をあるいて回る。

しかし、一向にバカルディは見つからない。

あるのはXL同様、”BOTRON ORO”なるグアテマララム。
5年物で75ケツァルらしいが、XLの味を知った後では怪しいもんや。

着色の匂いがプンプンする。

グアテマラウィスキーもなんか怪しいし、仕方がないのでガンジャストリートを歩く。

ガンジャストリートは湖沿いにある一本道。

レストランやBAR、カフェがあり、その陰を売人共がうろつくヒッピーハッピーZONEや。


何となく物が高いイメージがあるので、うろついても無意味な気がするが、探してみんと分からへん。

片っ端から酒の置いてる店を冷やかす。

しかし、やはりバカルディは置いておらず、ロン・ムラタ(キューバの安ラム)や、ハバナクラブ3年(これまたキューバのラム)が置いてあるだけ。

一瞬、ハバナクラブ3年にしよかなあと思ったが、90ケツァルするのでやめた。

日本とそんなに変わらない。

そして、ロンサカパ23年は350ケツァルと、やはり高い。


(もうバカルディは置いてないんかなぁ?
60ケツァルでええラム呑むんは厳しいかなぁ?)
と、あきらめそうになりながらも、挫けずにもう一軒冷やかしに行った。


が、やはりバカルディはない。

珍しくジョニ黒は置いてあるが、バカルディはない。

ジョニ黒かぁ。
呑みたいなぁ。

なんかソーダで割って呑みたい気分。

でも、メキシコで200ペソ(約1400円)ぐらいしたしなぁ。

こっちでも150か160はするやろしなぁ。

まあ、聞くだけ聞いてみるか?
どうせ暇やし。

「ジョニ黒いくら?」

「70」

「えっ! ホンマ? ホンマに70(約700円)?」

しつこく聞く。
すると、店番の少年。

電卓を叩いて見せる。

確かに!
液晶に映し出された文字は”70”

まぎれもなく70や。

この店に置いてあるXLも75やし。

間違いではない。
この店が特別安いワケでもない!

まさか!
ジョニ黒が700円程度で買えるなんて!


ええっ!
確か日本で2000円ぐらいやったはず!
三分の一やん!

もちろん速座に購入。
売れ残りか、税金の関係かは知らんが、とにかく安いのは確かや。
いえい!


ソーダはなかなか見つからなかったので、間違ってかったTe Verdeなる甘い飲料水をチェイサーに、ストレートで味わう。


うまい!
久しぶりのウィスキー。

日本じゃブレンデッドはあまり呑まないが、なんやゆーてもブランド物。
うまいわぁ~。

甘い香り。
ほどよいキツさが心地よい。

これをソーダで割れば、辛さがやわらかくなって、より甘みが増すんやろなぁ。

軽くライムのピールでもかけて。

なんて想像したら、やっぱソーダが欲しくなる。

なので、次はソーダ探しに向かった。

これは案外簡単で、あっさり見つかった。

SALUTARISーサルタリスーという名のソーダ。
猿とリスでも、クリとリスでもない、サルタリスという名のソーダや。

355mlで4ケツァル。
若干高いが、まあしゃあない。

次の機会にデカイボトルでも探そうではないか。



そうこうしてると、歩き疲れ? か、空腹疲れか、なんか体が重いし、ベンチに腰掛け休憩。


「何しよか?」

「いいかげん歯医者行かん?」

ってことで、歯医者に向かう。

ここはレチュギージャスではないので保険はきかない。
だから、保険いらずの歯医者さんへ向かう。

「どない? すぐ治る?」

「いやいや、これは時間かかるよ。
歯茎に膿たまってるし、レントゲン見たら神経の周りにバクテリア大量発生してるし」

薬物治療と清掃で、3週間程度は見て欲しい。

ほっとくと別の歯もいわすよ」

まぢで!?


帰ってから調べてみた。
多分病名は”歯肉膿瘍(しにくのうよう)”。
歯茎に何らかの傷口が出来て、そっから細菌が侵入した際におこる病気らしい。

ひどい場合は頬が腫れ、悪化すると歯周膿瘍になるらしい。

僕の場合は、前々から弱っていた右の歯一部分だけなので、歯肉膿瘍なんやろう。

確実にヌリアんとこでなった病気や。

歯ブラシで磨きすぎて、この歯茎を傷つけたのも覚えてるし、あの汚い水たまりの水でうがいさせられていたことも覚えてる。

歯茎を傷つけるのはよくやっちまうが、細菌侵入は初めて。

そらまあ、魚やアメンボ、カエルにボウフラまでもが生息する水たまりの水や、細菌が発生するのも仕方がない。

ヌリアが毎日歯が痛いと言うてるんもそのせいやろう。

頼むから水買いなはれ。



治療後も歯医者にて、ときどき検診が必要らしい。

まあ、検診に関してはレチュギージャスでも可能やろう。

ただ、見るか抜くかの二択しかないレチュギージャスでは、今回のような見解は出来なかったはず。

レンタクアルトしてまで、ここにとどまってよかった。

ゆーても観光地の歯科医。
腕に自信はあるやろう。

治療費の合計は1500ケツァルと少々かかるが、まあ仕方がない。

2000ケツァルかかると多めに見たら、だいたいニ万かかることになる。

海外保険にゃ入ってないからオール自腹やが、実は近年では、日本の国民健康保険が海外でも適用される。

それを事前に調べていたので、書類持参で旅に出た。

これなら帰国してから7割返ってくるので、結局6千円ぐらい。

日本の歯医者と変わらん。

書類とレシートさえあれば、日本に郵送して、家族が代理で申請することも出来るみたいや。


ただ返金価格は、海外で支払った金額の支払い時のレートで7割。
か、
日本で同じ治療を行ったとした場合の妥当価格の7割。
の、安い方らしい。

ケチ臭く思えるが、きっと不正行為を防ぐためなんやろう。


まあまあ、これで金の心配はヨシとして、1番の問題は酒や!

これが1番問題なんや!

恐る恐る医師に聞く。

「今日酒呑んだらダメやんね?」

「うん。
てか、治るまであかんよ」

ち~ん!(メキシコ流のがび~ん)

出たぁ!
まさかの一ヶ月禁酒令!!

せっかくジョニ黒安く買ったのに!
ソーダ発見できたのに!

最悪や…。

最悪って言葉は、きっと今日のこの事を言うんやろう。

この歴史に残るであろう、2011年・9月。

新世紀禁酒法時代を、あなたはあざ笑いますか?

それとも涙流して痛みを共にしてくれますか?

2011年9月7日水曜日

夢のRon Zacapa

9月6日(火)

ホテル・エレナをおさらばし、歩いて5分ほどのとこにあるホテル、”POSADA LA CRISTALINAS
ーポサダ・ラ・クリスタリナス ー”へとやって来た。

何故ならここは安いから。

普通に一泊するだけやと、2人100ケツァルで、エレナより20高い。

しかし、一ヶ月単位でレンタクアルト(貸し部屋)として借りれば、2人で一月(30日)1500ケツァル。

1日50ケツァルや(約500円)。

ホットシャワー&便所。テレビまで部屋にあるし、Wi-Fiもつながりがいい。

エレナよりキッチンも綺麗やし、コーヒーも無料。
冷蔵庫もある。

エレナにも冷蔵庫はあったが、コンセントはささっておらず、挿そうにもコードが短くて挿さらなかった。

これじゃただの生ぬるいBOXや。
オブジェにもなりゃしない。
嫌がらせか?

水タンクにもコケ付いてたし。

ただ宿主がいい人なのと、目の前に広がる絶景はなんとも言えない酒のアテになった。

アティトラン湖にナリス・デ・インディオ(インディアンの鼻って名のついた顔の形した山)は、この町の名物やから。

だから、なかなかいい5日間を過ごしたが、長居するとなると、一日80は厳しい。

なので、景色はぼちぼちやが、それ以外は全てに置いて優れてる、このホテルにしたってワケや。

民族のおばちゃん達の入湖シーンも拝めるしね。

オールヌードだよ。
ボッキンニーチョ!

まあ、レチュギージャスに戻れば家賃0円なんやが、涙のお別れをしといてたった一ヶ月で帰るのもね。

せめてもう一ヶ月。
10月に帰ろうと決めたワケや。


一服のコーヒーを飲み、食材の買い出し。
ホテル代が安くなったので、祝いに現地人御用達のラム、
”XLーエキスエレ”を買った。

1リットル約900円。

まあまあ高いので味に期待していたが、ケツァルテカやべナードと対して変わらん味。
若干呑みやすいだけ。

もう買わんでええかなぁ。

ホンマはロンサカパ23年を買いたいんやが、何故か日本と体して値段が変わらへん。

グアテマラまじで酒高いなあ~~。

仕方がないから貰いコジキ達は、安モンのラムをライムと塩で味ごまかして呑むワケです。


ロンサカパあたりをおごって貰えることを期待しながら‥


その琥珀色した液体を、一しずく口に含んだならば、甘く狂おしく燃えるように踊る、眠れる森のラム・ロンサカパ。

ああ、夢のまた夢…。

XLでも呑もう。
うまくはないけど。

2011年9月6日火曜日

来ちゃったよグアテマラ

8月30日(火)
オアハカからウチタン→トゥクストラ・グティエーレスを経由し、サンクリに着いたのが朝6時。

パトロンからのメールもないし、長距離移動で疲れたし、とりあえず一泊した。


翌日。
いつまでたっても返事がないので、パトロン所有のレストランまで行くが不在。

管理人のマリアに聞いても何も知らへんみたい。

「返事ないってことは必要ないってことやし、ここらでいっちょ観光でもするかぁ」
ってことで、一ヶ月早いがグアテマラ行きを決行することにした。


乗り合いバスでコミタンまで行き。
そこで、シウダー・クアウテモック行きの乗り合いバスに乗り換える。

シウダー・クアウテモックに、メキシコの出入国手続きをする場がある。

僕らは出国。
ツーリストカードを渡し、無事に手続き完了。
手数料は無料やった。

二年前、パレンケからグアテマラに抜けたときは、ナンボか取られたが。

まあ、いいや。
ラッキー!


こっからはタクに乗ってラ・メシヤまで行く。

国境の町 ラ・メシヤ。

「ペソをケツァル(グアテマラの金)に変えるよ~」
と、レートの悪い交換屋が近づいて来ては去っていく町。

ここにはグアテマラの出入国手続きをする場が。

なんやかんや話しながら、あっちゅーまに手続き完了。

これまた無料。

多分グアテマラ出る時に金がいるんかもしれん。

メキシコ入る時は確実にいる。
ツーリストカード買わなあかんから。


ラ・メシヤのバス停まで15分ほどかけて歩く。

国境の町で一泊し、テキーラでもやったろかなと思ったが、1人1晩50ケツァル(約500円)。
2人で1000円やったので、ウエウエテナンゴへ移ることにした。

チキンバスに乗り、2時間かけてウエウエテナンゴへ。

正直僕らは、このチキンバスが嫌いで嫌いで仕方ない。

ボロいし、汚いし、スリに会いそうで不安やから。

しかし、乗らなければ前には進めないので乗るしかない。

ラ・メシヤの町がも少し静かなら、移動せずに長期滞在するんやが。

ウエウエテナンゴに着きホテルを探す。

荷物抱えてうろつくんもだるいので、一発目に値段を聞いた、1人1泊35ケツァルの、”LA ESTANCIA”っつうホテルに泊まることにした。

ラ・メシヤよりも2人合わせて30安い。

シャワー&便所は別やが、静かそうやしゆっくり寝れそうや。

荷物を置き、一応ほかの安宿を探す。

すると、バス停の近所に”25Q”って名前のホテルを見つけた。

25Q(ケツァル)!?

まさかなぁと思い尋ねると、まさかまさかの1人25ケツァル(シャワー&便所別)。

わおっ!
やっちまった。
こっちのが安いやん。

2人で約500円やん。

スタッフの愛想は悪いが、明日まだこの町にとどまるならば、ここに変えようかなぁ。



9月1日(木)
”LA ESTANCIA”ーラ・エスタンシアは見事に期待を裏切ってくれた。

静かどころかうるさすぎ。

隣の部屋の兄ちゃんのイビキはうるさいわ、なんか夜中に人が出入りするわ、車も行ったり来たりするし、全く寝れんかった。

ので、町を出ることにした。

目指すはケツァルテナンゴ。

有名な日本人宿あるみたいやから、なんぞ面白いもんでもあるやろうってことで向かうことにした。

日本人宿には絶対泊まらんけど。
おもろないから。


2時間かけてやってきたケツァルテナンゴ。

バスを降りた瞬間に、なんかめんどくさそうな匂いがしたので、即座に違う町に移ることにした。

バス停をうろついてると、バスの運ちゃんが、
「サンペドロ行かん?
こっから3時間。湖とか山あるよ~」
と、誘ってきた。

田舎か?
と聞くと、微妙に頷くし、
「ホテルは1人10ケツァル(100円)でいけるよ」
と言うので、甘い誘いに乗り、僕らはバスに乗り込んだ。


3時間後。
San Pedroに到着。


目の前に湖が広がり、周りは山に囲まれ、コーヒー豆がそこらに生えた、なかなかいい感じの町。

だがしかし、田舎ではなく観光地。

アメリカ人も中国人も、ちゃっかり日本人までいるではないか。

照り焼き豆腐バーガーなる屋台まであるし。

僕の想像してた、マフィアが牛耳る漁村では全くなかった。

しくった!

てか、ガイドブックやっぱいるわ。

地理すら分からんし。

出ようかなぁと思いながらも、洗濯物もたまってるし、ホテルの兄ちゃん愛想いいし、とりあえずこの”HOTEL HELEN”ーホテル エレンーに、二泊することにした。

ちなみに1人1泊40ケツァル。
2人で約800円。

シャワー&便所も中にあるし、何でか知らんが1番広い3人部屋に案内してくれたし、部屋も綺麗。

お湯も出るし、屋上に洗濯物も干せるし、共同キッチンもあるし、読み込み遅いがWi-Fiも使える。

なかなかいいホテルや。

探せばまだ安いとこありそうやが、まあまあ二泊だけやし、いいやろう。

それに1泊10ケツァルの宿は無いらしいし。

当たり前か。



9月2日(金)
この観光地には、カヌーや馬乗り、トレッキングなどのレジャー産業がたくさんある。

僕らはそんなん全く興味ないが、たまには観光客してみるかってことで、とりあえずカヌーに乗った。

カヤックやるんは高校以来。

15年ぶりやし乗れるか不安やったが、余裕で乗れた。

まあ、底の平らなレジャー用やから、よっぽどのことがない限りは転覆せんが。

しかし、舟から見る景色は最高やね。
やっぱ自然はいいやね。

空気も綺麗やし。

なんかそこらへんでよく犬が死んでるし、パン売りのおばちゃん、パン買わんかったら舌打ちするけど、なんとなくこの町は気にいった。

もう少し滞在するか。


その後、町を徘徊。

宿を出て右に突き進むと、ガンジャ売りのおっちゃんとコカイン売りのおっちゃんが、旅行者に薬を売りつける為に腰かけてる。

確かに、町を歩いてる旅行者を見ると、薬好きそうな顔したやつばっか。

フラフラフラフラ歩いとるし、気持ち悪い。

多分ここにくる観光客の9割は、ドラッグを求めているんやろう。

夜なったらトランス音で騒いでるし。

こいつらがおらんかったら尚いいんやが、おらんくなったらなったで町の人らは困るんかも知れん。


スペイン語学校や、レンタルームもあるし、若いヒッピーかぶれが集まるのも無理もない。

奴らが好きな自然もある。
山や湖を眺めながらやるブツが、きっと奴らにとっては最高なんやろう。

俺にはまったく理解出来ひん世界。

何よりかにより酒が1番やがな!

酒をやれ! 酒を!


バイヤーが腰掛ける通りの手前の坂を登れば、町の中心。

日本人が経営する、照り焼き豆腐バーガー屋台をそそくさとスルー。
話すと面倒やからスルー。

銀行に両替に行った後、路地裏のBARで麦酒を呑む。

現地の爺ちゃんと少し話したが、酔っ払ってるし早口やから、全く意味がわからんかった。

ただ、
「俺は貧乏や」
の、一言だけしか理解出来なかった。

きっと酒をおごって欲しいんやろう。

まあ、おごったが。

しかし、あんま長居するとややこしそうやったので、いちおう地酒やという焼酎を買って速攻帰ってきた。


名前は”QUEZAL TECA”ーケサルテカー
小瓶で100円(125ml・36度)。

多分さとうきびやと思うが、
「何が原料かわからん」
と、BARのオヤジは言うし、味覚的にはウソもんの味やから、日本のビッグマンみたいなもんなんかな?

昨日買った、VENADOーべナードーの方がまだ上手いかも。

値段も量も一緒やし。

にしても、グアテマラは酒が高い!

メキシコで1.2リットルの麦酒が約180円で帰るのに対し、ここでは1リットルで220円ぐらいする。

高い!
もしかしたら探せば、まだ安いのんあるかもしれんが、実際問題どやろか?



9月3日(土)
地元の床屋にて、人生初! モヒカンにした。

土曜日やからかほとんど店が閉まってたが、タクシーの兄ちゃんに聞いていい床屋を紹介してもろた。


シャンプーはないが、カット一律20ケツァル(約200円)。

安いし、グアテマラの理容師やから、なんとなく不安やったが、バリカンのアタッチメントをちょこちょこ交換しながら、最後には残った髪をいい感じにすいてくれた。

正味日本の床屋よりも技術あるんちゃうかな??

かなりいいで!

格好ええ!

今までやってきた髪型ん中で1番ちゃうかな??

WAO!!
グアテマラ最高!

しかし、毎日毎日暇やから、地酒探しでもしよか?

てか、コーヒー栽培の仕方覚えたいなあ~。


しかし、グアテマラは京都みたいや。

道を尋ねるとたいがい、上がるとか下がるとか言う。

大阪人の僕にはなかなか難しい説明や。

出来れば43側とか2号線向かって右とかゆーて欲しいもんや。

2011年9月5日月曜日

またまたさよなら根無し草。

8月27日(土)
昨日は雨のせいで馬には乗れず、marren(マッレーン)と旦那・ manuel(マヌエル)の家でchaplin(バッタ)をご馳走になった後、タコスまでご馳走になり帰宅した。

そして、
「今日こそ馬に乗ろう」
ってことで再び待ち合わせ。

待ち合わせ前にサンクリのパトロンに30日(火)に行くと伝えた後、手始めに、”Espina Dorada”ってメスカル屋さんでメスカルを購入。
このメスカル屋には、昔NHKが取材に来たらしく、写真と名刺が置いてあった。

確かに、日本人からわざわざ取材に来るぐらい、ここのメスカルはウマイ!

メスカル屋近くにある、マヌエルの隠れ小屋に移動し、三人で昼から酒盛り。

上手い!

瓶の中に入ってたイモムシも、何かにゅるにゅるして上手いし。

ビールも混ざっていい気持ち。

するとマヌエルが、
「うさぎ殺して食おう!」
って言うので、猟銃持って草むらへ。

しかし、残念ながらうさぎは見当たらなかったので、ビールの空き缶を標的に射的をする。

人生初の銃体験。

案外簡単に的を打つことが出来た。

二発打って二発とも命中。

おもろいやん!

その後、ロックスタイルな兄ちゃんを1人拾いマヌエル宅へ。

大量に買い込んだビールを片手に、ヘロヘロなりながらツイスト踊る。

「馬に乗ろうぜ!」

酔った勢いで馬に乗ることに。

が、ツアー用の馬と違い、調教など全くされていない暴れ馬。

近づくたびに後脚が蹴り上がる!

当たれば最後、骨は砕けるやろう。

そんな暴れ馬に、みんなヘロヘロなりながら近づき、驚き、またがった。

どうやって乗ったかとか覚えてない。

なんせ酔いどれ。
記憶はあいまい。
あるのは勢いのみ!

そうこうしてるうちに空も暗くなり、アホどもは夜の町に繰り出した。

車に乗りこみ、あても無く彷徨いながらビールを呑む。

そして、たどり着いたのは69BAR。(BAR 69)

40年前のホコリはかぶっちゃいないが、ハミケツホットパンツ姿の姉ちゃん達がうろつく、ちょっぴりエッチな69BAR。

便所の隣にゃベッドまである。

またまたカップルで来るような場所で無い所に来ちまった。

ここで、今宵最後のビールを呑み。

早々に帰宅した。
っても、帰宅したのは夜10時。

ヌリアに言われた門限7時を祐に超え、玄関前にオーロラ出現させて床についた。

あっ。オーロラってゲロのことね。



8月28日(日)
朝一ヌリアに怒られた。

そらそうや。
無理矢理決められた門限でも、一応頷いた限り守るのが当たり前。

だから素直にごめんなさいと謝った。

するとヌリア、
「あんたらはボランティアであって観光者じゃない。
だから、外出は一日4時間まで。
もしくわ友達の家に行かずに、ここに連れておいで」
そして、
「ここが嫌いで外出するの?
なら、出ておいき」


数時間後。
僕らは身支度し、彼女に出ていくよと伝えた。

が、せめて明日まで、いや、もう数日待ってくれと言われたので、
「ほな明日!」
と、明日出て行くことになった。

まあまあ、予定通りの29日(月)出発。
30日サンクリに着く。

ホンマはもう一ヶ月ここに滞在してからグアテマラ行く予定やったが、価値観の違いと自由のなさに耐えれないので仕方ない。

彼女は言う。
「ここでは全てが自由や」
と。

が、一日4時間までって、めちゃくちゃ拘束しとるがな!

これやから女性の言う自由ってのは、信用出来ひん。

「今日何食う?」

「はるくんの好きなモンでいいよ。
自由にきめて」

「ホンマ?
ほなうどんは?」

「うどんはちょっと…」

「そっか。ならお好み焼きは?」

「う~ん。いらんかな?」

「たこ焼き…とか?」

「嫌。パスタが食べたい!」

はなから決まっとるがな!

勝手に食っとけ!

だいたいパスタみたいなもんは、女同士で食いに行けと。

あんな対してうまくもないのに、1000円2000円するようなボッタ料理に金払う意味がわからん。

自宅でしっかりアルデンテにしたパスタに、好みのソースかけて食うほうがウマイし、音たてんとこうと必死に食う様がイライラさせる。

僕は立ち食いうどん屋に一緒に行って、ズルズル麺すいながら、ちゅるんって、お汁飛ばす姿が見たいんや。
かわいいから。

小指立てながらフォークをクルクル回すのんは見たくない。
みにくいから。

まあ、話はそれたが結局自由がないので出て行きます。
ってこと。

マヌエルとマッレーンに別れを告げ、トラコルーラって町で色々おごってもらい。

「この町にまた戻っておいでよ。
次はこの家に住みなよ。
トマト栽培法も教えるし、部屋もあるし、ここならお湯も出るし。
遺跡や町の案内もするよ」
とまで言ってもらう。

確かに金持ちみたいで、家も広いし綺麗や。
遊びの制限もないし、女性連れのヒッチは危ないからやめときなとも言ってくれる。

酒は呑んでも、マリファナやドラッグはいけないよ。

そういやヌリアは、若いうちはドラッグとロックはやるもんさ
と、言っていた。

まあロックはやりゃあいいが、ドラッグはあかんやろ!

メキシコで生まれてアメリカに出稼ぎに行き、金持ちになったメキシコ人。
欧州から金を持って流れ着いた、よそモンの金持ちヒッピー。
先進国で生まれたのに、相変わらず貰いコジキなハポンのカップル。

なかなかいい感じのコラボレーションかなと思っちゃいたが、上手くは混ざらなかった。

何故なら、メキシコに住んどいてメキシコ人を馬鹿にするエスパーニャ。
流れ着いたヒッピーを、ただのハッパ狂いとののしるメキシカン。
そして、酒と自由が好きなだけで、愛や平和、地球や自然を語るんが鬱陶しいことこの上なく感じるハポネス。

その3組が混ざり合うには、裸足で歩く=ヒッピー。
と思ってる、厚かましく小汚いアメリカンが必要不可欠だからや。

しかし、この町にこれからやって来るのは、マギー・チュンなるマジシャンチックなChinaメンと、果物だけで命をつなぐ、間違ったジョン・レノン一家、総勢14人。

うん。
トラブルのよ・か・ん。
なんだかイケナイことが起きそうなよ・か・ん。


翌日。
8月29日(月)
やたらとやさしくなったヌリアから、メシ代にと手渡された100ペソ紙幣を握りしめ、グエンヅラインを後にした。


とどまることを知らない、水よりも酒をかけてもらう方が大好きな、日本の根無し草。

合言葉は、
Hacia donde van las nubes
アシア ドンデバン ラス ヌベス
〜雲の流れる方へ〜
や。

初稼ぎ de オアハカ

8月24日(水)
朝起きると、
「ハル! 大変! 問題が起きた!」
と、ヌリアが慌ててかけよってきた。

どうやらナジェリが発作を起こしたらしい。

ナジェリの元に駆け寄ると、過呼吸気味にハアハア言っているでないか。

これはどうしたことやろか??

聞くと彼女はasmaーアスマー
ぜん息持ちらしい。

「マッサージでなんとか治せんか?」
とヌリアは言うが、どっちか言うたら薬の方が必要やろ?
と、僕は思った。

だが、ゆうきちゃんが器官のマッサージを知ってたので、1時間ほど2人で背中をさすったり、指圧したり、頭が痛いと言われれば頭のツボを押したり、過呼吸ならばと袋あてがった結果、余計に苦しめたり…

そんなことしてるうちに、彼女はだいぶ落ち着いた。

「もう大丈夫。ありがとう!」

僕らはとりあえず仕事に戻ることに。

肥料場に向かう途中、けいこさんに出くわしたので、事の始終を話すと、
「私、喘息の薬とスプレー持ってるよ」
というので、今度はけいこさんと三人でナジェリの元に。

あの喉にシュッと吹きかけるスプレーと、薬を渡そうとした。

そしたら、
「いらん!」
の一言。

何故?

何故なら彼女にはかかりつけ医がいるという。
それも自然療法士。

だから、彼以外の医者や、化学薬品には頼りたくないのだとか。

自然治療。
確かに、自然に治癒することは素晴らしいことだとは思う。

しかし、朝もはよから人様に迷惑かけるぐらいならば、なんかしらの薬持っといてもいんじゃないの?
と僕は思う。

だって、今日この場にヌリアしかいなくて、薬も無くて、病院にも行きたくないっつって、もしも取り返しのつかんことにでもなってたなら、
「あんた一体どうするつもりなんや?」
って話や。

まあ、それでも自然療法にこだわるってんなら、勝手にすればいいし、その意気込みは認めるよ。

自称・ベジタリアンやと言いながら、野菜がなくなったら肉食べる奴よりもスジは通ってるから。

ただ、あなた。
3時間後に受け取りましたよね?

確かに受け取りましたよね?

喘息の錠剤。

1錠だけ欲しいと言いながら、ちゃっかり1シート奪い取りましたよね?

Por que?? ーポルケー
(なぜ?)

Quien sabe! ーキエン サーベー
(さあね)



8月25日(木)

前日に飲んだ錠剤が効いたのか、元気モリモリでナジェリは帰った。

マッサージのお礼にと、ゆうちゃんに50ペソ手渡して。

オアハカに来て初めての稼ぎ!!

イェイ!
ビールでも呑も!


仕事が終わり、歯医者に向かうことになった。

僕の歯の治療ではなく、まことさんの抜けた銀歯をはめ込む為に。

昨晩抜けたらしい。

ナジェリの発作といい、まことさんの抜歯といい、ここにはなんかあんのかな??

僕は僕で、歯茎が化膿してるみたいで、赤く腫れた上からなんか白くなってるし。


歯医者での治療が済み(ちゃんとした歯医者で100ペソ・保険証いらず)、”Súper mercado El tejate”
にビールを呑みに行った。

すると、店の姉さんMarren(マッレーン)が、
「馬乗りにおいでよ。明日」
っと誘ってきたので、明日馬に乗ることになった。



8月26日(金)
Netしに行ったら、前働いてたサンクリ農場のパトロンから返信があった。

「8月28日に旅行から帰ってくるから、その時なら多分会えるよ」。

7月に送ったメールにやっとこさ返信が。

まあ、九月末に出国し、10月に戻ってきてから働けそうなら行けばいいか?
と、返信せずに帰宅した。


昼食時、ヌリアがひたすらに、
「グアテマラ出国する際にはヒッチハイクで行け!
2人はやり方知らんやろう。
だから、まこととけいこに聞け!」
と、ヒッチハイクを進めてきた。

もうこれで3度目や。

確かにヒッチで行けば交通費はタダ。
めちゃくちゃ嬉しい。

ヌリアもお兄さんのロベルトとずっとヒッチ旅して来たし、まことさん達も3年半、ヒッチとバスを乗り継いで、ここまでやって来た。

2組とも一切危険な目に会わずにやってこれた。

が、僕には女連れでヒッチするのは無理や。
もし僕が、マッチょでケンカが強かったとしても、絶対にしない。

金取られたり、殴られたりするぐらいなら、
「しゃあないか」
で済むが、自分の大切な人の身に万が一のことがあったとき、「しゃあないか」
では済まへん。
一生取り返しがつかへんし、死ぬまで哀しい思いをしなくちゃならない。

だから、僕からしたら女連れでヒッチをするのは、ただの無責任のアホがする行為やと思う。

ちっともカッコよくない。
ので、ヌリアに言った。

「僕は日本でならヒッチしたことあるから、やり方がわからんことはない。
だから、男同士でならするよ。
でも、女の子連れてはしない。
何かあったら哀しいから」。

すると、
「大丈夫やって、わたしとロベルトも、まことらも大丈夫やってんから。
そんなバスみたいなシステムに頼って金払うのは馬鹿のすることで、とてもくだらない行為や」
と、彼女は言った。


僕は思った。
ここを出て行こうと。

彼女は確かにいい人やろう。
少し怒りっぽいが、それは年のせいもあるやろし、言葉がなかなか通じずにイライラするんかもしれない。

この大きい土地に1人で住んで寂しいやろし、何かしら手助け出来ればとも思う。

でも、価値観が合わない。
それだけは、もうどうしょうもない。

金払ってへんだけで、結局車というもんに頼ってるくせして、それを馬鹿にするんはよくない。
間違ってるやろう。

拾ってくれた人が一生懸命働いた金で買った車に、ガソリン代も高速代も払わず、同乗させてもらう。
下手したらたまにメシや酒をご馳走になったり、家に泊めてもらうことまであるヒッチ。

感謝することはたくさんあっても、馬鹿にすることは一切ない。

10年もヒッチで旅しといて、そんなこともわからんなんて、全く意味のない旅しかしてきてへんがなと。

結局ハッパが吸いたいだけのヒッピー野郎なんかと。

だから出ることにした。

井戸水のせいか歯も痛いし。





2011年9月4日日曜日

馬×鶏×俺カケ小便

8月23日(火)
ガビィがこんせいで、2日前から仕事が増えた。
夜8時~9時の間にニワトリを道具倉庫に閉じ込める仕事や。

というのも、先週掃除した家は元々ニワトリたちの住処やった。

それが、掃除の際に追い出した為、行き場を無くした二匹のチキンは毎朝6時になると嫌がらせのように、僕らの部屋やヌリアの部屋の前で、
「コケコッコ~」
と数十回も雄叫びをあげるように。

これはかなりキツイ!
腹立つほどにうるさい。

それにしびれを切らしたヌリアが、2日前から鶏を小屋に閉じ込めることにしたのだ。

そして、昨夜からそれは僕ら2人の仕事になった。

なんせニワトリたちが夜7時頃になると、僕らの部屋の前に置いてあるベンチに座るもんやから、2人がやらなしゃあない。

ヌリア1人で二匹抱えるのも大変やし。

まあ、夜暗くなったらニワトリは鈍くなるから、捕まえるのは容易いし、2分で終わる仕事やから楽っちゃ楽やが、夜のティータイム後の作業やから、なんかしらめんどくさい。

もっと早く寝てくれんかなぁ。
つか、ガビィ早来いや!
鶏小屋作れよ!

昨夜来た三人と共に朝食を食う。

ナジェリはヨガしながら瞑想に耽り、日本人カップルのまことさん&けいこさんは市内観光。
僕らは相変わらず仕事だ。


午後になり、クリスチャンが3日前に初娘が出来た事を伝えに、友達を4人と女の子1人連れてやってきた。

アレイナが異常に腹減ってたんは、生まれる直前やったからみたいや。

4kgの健康児らしい。

にしても、クリスチャンの友達ってば、なかなかキャラの濃いメンツばかりや。

1人はプロレスラーになりそこね、魂がどっかに行ってしまったジョン・レノン。

1人はオウム真理教みたいな白い服着た、お笑いコンビ(名前忘れた)の片割れ、又吉の歯が抜けたヨーロピアンバージョン。

1人は科学者になったアルシンド。

マトモなんは又吉の奥さんと子供だけ。

しかし、大麻好きなんが一瞬で分かるような顔ぶれ。

そんな、いつでもどこでも大麻をキメてそうなタイマーズたちに、肥料の作り方を再び教わった。

まず、枯枝を地面に横1m、奥行き1m感覚に敷く(下から空気を入れるため)。

その後、枯葉や枯れ草を敷く(嗅いでスパイシーな香りのする物や、いい匂いのする物は駄目。油分が強すぎて肥料には向かないらしい)ー5㎝。

その上に緑の葉や草ー5㎝。

次に土ー1㎝。

それを繰り返しながら、時に生ゴミや人糞。
鶏のクソや馬のクソ(きのこが生えてれば尚良し)を混入し、1mの高さまで積み重ねた後に水を少しかけてフタをする。

で、下準備オッケー。

2日置き、ナタを突き刺し、中が熱くなっていれば良好!

そのままナタで数カ所えぐり、穴を開けて空気を入れる。

そして、毎日大量の水や小便をかけてれば、一ヶ月半後に完成するそうや。


小便は3日寝かせるといいらしい。
ただ、それでも臭いがキツイ場合は水割りにする。

人糞はオガクズと混ぜ、半年寝かせるといいらしいが、小便を混ぜてはいけない。

馬糞は乾燥させるといいらしいが、道に落ちてるやつがすでにいい感じやから、そのままでもええんちゃうかなぁ。

ただ、きのこが生えてるやつを混ぜてフタしとけば、きのこが数倍に増える。
より良い肥料になるらしい。

まあ、まだ完成してないのでなんとも言えんが、10月が楽しみや。

ホンマは出来た肥料をミミズに食わせりゃ、もっといい肥料になるんやが、この土地にミミズはいないので仕方ない。


オアハカでは、ミミズの肥料ーロンブリコンポスターが、1kg=300ペソ(約2200円)で売れるらしいから、土地とミミズ。根気と元気があれば、かなりの金持ちになれる。

まあ、そもそも土地持ってる時点で金持ちか。

にしても、1kg=2200円はボリすぎな気がする。

この町の蚊取り線香も、48ペソ(ホンマは12ペソ程度)でボリ過ぎやし、オアハカはなかなか気の抜けん町や。


しかし、農業は面白い。

糞から作った肥料を野菜や果物に食わせ、それを人が口にする。

そして、肛門から出てきた汚物や、小便・生ゴミをまたまた使い方、作物を育てて口にする。

何一つ無駄のないサイクル。
ナチュラルなリサイクルって素晴らしいね。

馬×鶏×俺の小便カケることで、栄養タップリな野菜や果物が出来上がるんやから、有機農業するのも悪くない。

ミミズは嫌いやったが、現在は軒下で一匹飼っている。

まだまだか弱い、ピンク色した赤ちゃんベイベー。

いつか大量に増えてくれたならば、より良い肥料を作るための手助けをしてもらおう。

俺はそのお礼にと、彼らに俺の糞尿を食わす。

健全健康かつ、無駄のないスカトロプレイ。

有機農業=SMプレイ
って考えたなら、さまざまな辛さに耐えることも、これまた快感の1つ。

う~ん。
メルシー!

買ってきたトイレットペーパー

8月18日(木)
昨日結局、トイレットペーパーを買ってきたのやが、
「買わなくてよかったのに。
なぜならこの町で買うと高いから。
また別の日に買いに行くつもりだったのよ」
と、Nuriaに言われた。

そうやったんや!
しくった!

まあ、ええ。
あって困るもんでもないやろ。

今日は朝から今住んでる部屋の掃除と、便所の掃除をした。

「地面が濡れてるから今日は掃除にしよう」
と彼女は言ったが、きっとホンマの理由は友達が来るからやったみたい。

なんせ12時になり、3人の友達が来た時に、部屋や農場の紹介をしてたから。

今日やって来たのは、イタリア人のクリスチャンと、その奥さんアレイナ(ドイツ人)。
そして、2人に土地を貸している農場主・スイス人のフランシア(女性)。

どうやら8年ぶりの再開らしい。

オアハカの町で偶然出会った時に聞いた住所をあてに、訪れたのだとか。

みんなでメスカルで乾杯した後、トークタイムが始まった。


クリスチャンは、肥料作りの話をさせると止まることを知らない熱い男。
有機肥料の作り方を延々と語る。

アレイナやフランシアからしたらなかなか鬱陶しい奴なのかもしれないが、僕はこういう奴大好きや。

好きなことを熱く語れるってのは、かなり素晴らしいことやと思うから。

ただ、ムーミン谷からひょっこり顔を出す大量のニョロニョロは(鼻毛ね)、ちゃんと処理するべきや。
まだ20代半ばなんやから。


嫁のアレイナは、とにかく腹が減ってるから、話はどうでもいいって感じ。
僕らが作った雑炊、かなりがっついてた。

お腹に赤ちゃんおるから、そら腹も減るやろうが。


そして、フランシアはカッコいいおばちゃん(確か58歳)
白髪の短髪がめちゃくちゃ似合ってる。
スイス人やのに保険には入ってない。

だから、周りのスイス人から、
「頭おかしいんちゃう?
保険にも入ってないなんて!」
と、よく言われるそうや。

しかし、こんなにも多国籍が集まれば、結構勉強になるもんや。

知らなかったことをたくさん知れるいい機会。

この席で非常にいい話を聞いた。

それは、ドイツともしもし(電話越しの)の関係についてや。

イタリア語の乾杯が”チンチン”って言うのは、なかなかよく聞く有名な話。
結構みんな知ってると思う。

この日もその話が出た。

クリスチャンが、
「日本人女性にチンチンって言ったら、彼女が赤面しながら日本語でのチンチンの意味を教えてくれたよ」

「男のコのまだ成長しきってないマラのことだろ」
と。

確かにそうや。

しかし、チンチン=マラやと簡単に説明すりゃあいいもんを、わざわざ”成長しきってないマラ”とまで説明するとは、この日本人女性もかなりの好き者らしい。

そんな話をしているとアレイナが、
「私も赤面したことあるわ」
と切り出した。

「日本人の友達が電話で、”もしもし(むしむし)”って言ってきたとき驚いたわ」
と。

「むし(Muschi)はドイツ語でマンコ。
電話かけてきて、第一声がマンコマンコって!
さずかにビビったわ」

…そら確かにビビるわ。

僕でもビビるわ。

それにしても、またまた歯が痛い。
いいかげん虫歯ちゃうか??

8月19日(金)
鶏小屋作りに使用する木材に、軽油を塗った。
雨とかから木を守るためらしい。

その後、Isaac(イサック)ともう1人じいちゃんが芝刈りをしに来た。

仕事がひと段落し、みんなで朝食を食べる。
すると、じいちゃんとNuriaが宗教戦争をおっぱじめた。

彼女は無宗教。
じいちゃんはキリスト教。

なんで宗教持たへんねんってな話になったそうで、ゆうきちゃんはテーブルがひっくり返ることを期待しながら見ていたそうやが、僕はこの地方の名物”トラユーダ”とかなんとかいう、でっかいパリパリトルティーヤを食べるのに夢中で、全く話を聞いてなかった。


まあ、宗教持つも持たんも人の自由。
否定も肯定もせず、
「ふ~ん」
って聞いとくんが1番や。

ただ僕はイスラム教だけは勘弁や。
なんせ豚玉が食えんくなる。

それだけはかなわん話や。

ってか、イスラム教の人らも、豚玉食ったら考えが変わるんではないだろうか?

そういえばヌリアは、
「豚だけは汚いから食わない」
と言ってた。

イスラムの影響??

でも、そういえば今日、イサックたちが持ってきたハム食べてました…よね?

ハムって、豚肉ちゃいましたっけ??

あっ。
僕の勘違いかな?


まっ。いっか。

結局テーブルがひっくり返ることはなかったんやし。



昼頃に、刈った芝を荒地にまいてたら、ガビィっていう名のメキシコ人がやって来た。

鶏小屋作りの手伝いにやってきたそうやが、庭をしばらく眺めた後、
「今日はやっぱ仕事したくないから帰るわ。
また明日ね」
と、僕ら2人にガムを渡して帰っていった。

なんかスナフキンみたいな不思議な奴やった。
帽子はノッポさんみたいやったし。



8月20日(土)
この土地に唯一ある荒れきった畑。

その畑を本日授かることになった。

「あんたらの為の食料を育てりゃいいじゃん」
って。

だから、まずは雑草を抜いた。

かなり生えまくってるから一週間はかかると思う。

抜いた草と、ロベルトの聖地にある湿気った土&枯葉&小枝。
そして、馬糞。

これに水と小便ぶっかけて置いてりゃ、肥やしになるやろう。

そして、ガビィは来なかった。



8月21日(日)
シーツを洗った。
漂白剤と洗剤を合体させるという荒技を使い洗った。

どうやらメキシコには、”混ぜるな危険"という文字はないみたいや。

そして、今日もガビィは来なかった。



8月22日(月)
メキシコに来て、何度かインターネットを利用しているが、使用料の相場は1時間=10ペソ(約70円)が相場のようや。

だが、ヌリア情報ではラチゴロの図書館まで行けば、1時間=5ペソでネットが出来るという。
半額や!
しかも、1台しかないグエンヅラインと違い6台もあるというではないか。

僕らは仕事終わりで図書館へと向かった。
歩いて10分弱。

実家からJR塚本まで歩くよりも全然近い。

図書館に着くと、若い姉ちゃんが1人いた。

「パソコン使える?」

「うん。でも、ネットはないよ」

「えっ?」

何やそれ??

結局、近くのインターネット屋さんを紹介された。
1時間=10ペソ。

グエンヅラインと一緒やし。
閉まってるし。

グエンヅラインに戻ってきたら、ガキ共が一台のパソコンに群がって使えんし。

しゃあないので家に戻ってくると、夕方にメキシコ人のナジェリがやって来た。

その後、遅がけに日本人のまことさんとけいこさんがやって来た。

計3人。

今日来るなんてことは一切聞いてなかったらしい。

だから、ナジェリは床が土の家に、日本人カップルは庭にテントを張って宿泊することになった。

まあ、みんな急に来たわけやから、ヌリアがゴザを買う暇も、僕らが部屋を移る時間もなく、たまたま日本人カップルさんがテントを持っていたこともあり、今の快適な部屋は運良く確保出来た。

ラッキーや。

きっとトイレットペーパー買ってきたから、運がまわってきたんやろう。

しっかし、ガビィはいつまでたってもこんなぁ。



消えたトイレットペーパー

8月13日(土)
馬の糞を拾い集めた。
馬の糞を拾い集めるのは、ドラクエ以外では初めてや。

もちろん売るわけでなく、食べるわけでもなく、肥やしに使う為に集めた。
しかし、集めてきたはいいが、土とも、枯れ草や枯れ木とも混ぜへん、水もかけへん、放ったらかしで、ホンマに肥やしになるんかいな??



8月14日(日)
ここに来て初めての日曜日。
今日は仕事なんかどうなんか微妙やなあと思いながらも、一応仕事着で外に出てみた。

するとNuriaが、
「今日は休む? 働く?」
と聞いてきたので、
「休む」
と答えた。

やったぁ!

飲み水が無くなったので、井戸水を汲み上げる手伝いをした後、トルティーヤを買いに行った。

家を出てすぐに、ゆうきのチャリがパンクしてることに気づいたので、ゆうきを帰らせ1人で買いに行った。

初めてのおつかい。
Letras de negroって店までトルティーヤを1kg買いに行く。

だが、ただ単に1kg買うだけではない。
というのも、この町ではトルティーヤ1kg=10.5ペソ。

しかし、彼女から預かったのは10ペソ。
これでは50センターボ足りない。

じゃあ、一体どうすんねん?
つったら、
「1kg=10.5。
でも、私はいつも10しか払わない。
だからハル。一枚二枚減らされてもいいから、これで1kg買ってきてちょうだい」

なかなか難しいことをいうお人や。
スペイン語わからんって、何回ゆーたらわかるねんやろ。

まあ、でもやらなしゃあない。


チャリをこぐ事3分。
Letras de negro なる看板はどこにもなかったが、地元民に聞き、無事に目的のトルティーヤ屋さんに着いた。

「トルティーヤおくれ!」

「何キロ分?」

「1kg!…でも、10しかないねん」

「いいよ」

ちょっちビビッてたが、思ったより簡単に買えた。

ルンルン気分で家に向かってると、向かい側からゆうきちゃんが、チャリを引いてやってきた。

どうやらパンクではなく、空気がないだけやったみたい。

でも、空気入れ貸してと彼女に言ったら、
「お前がパンクさせたんかぁー!!」
と、凄いけんまくで怒鳴られたそうや。

パンクやないてわかったら、落ちついたみたいやが。

こないだはこないだで、ドアが開けっ放しってので、めちゃくちゃ怒られた。

鶏が入ったら部屋が荒らされると。

どうやら物が壊れるうんぬんに関して、彼女は非常に敏感なようや。

あと整理整頓に関しても。


下手したら食べ物の中に、馬糞でも入れられるかなぁと思てたが、なんとか平穏無事に朝食を済ます事が出来た。

機嫌悪いかなぁともおもたが、今日はここに来て一週間祝いってことで、朝からメスカルを呑ませてくれた。

ラッキー!

その後、近所の商店でビールを呑んでたら、地元民からメスカルをご馳走になった。

昼から呑んでる輩やから、たち悪いかなと思ったら、意外と紳士。
乾杯を交わしたあとは、まったくからんでこなかった。

かっこいー!!

時間はだらだらと流れ17時になり、Nuriaと共にとある場所へと向かうことに。

僕らが住んでる町から歩いて5分の隣町・LACHIGOLOーラチゴロー。

この町の外れに、60年前にNuriaの兄ちゃん・Robertoが植えた木がたくさん育った場所がある。

荒れ地の草をかき分け、今では使われていない線路を横切る。

彼女は言う。
「ヨーロッパにしても日本にしても鉄道が盛ん。
それは素晴らしいことだ。
それなのに何故、メキシコ人は線路を無くしたのか?
ロコ(狂ってんの)か?」

ホンマにこっちの人らってば口が悪い。
すぐにロコとかトント(阿呆)とかいう。
まあ、日本も変わらんか…。

線路を横切った先には、数百本の木がそびえたっていた。

60年前というと、1950年代。
まだまだエコなどとは無縁だった時代に、ロベルトはエコに生きるべきやと思い、この地にたくさんの木を植えたそうや。

めちゃくちゃキレイに木が生い茂ったこの地を、彼女は聖地と呼んでいる。

ここには兄ちゃんが生きていると。
だから兄ちゃんと話す間、2人はその辺でチュッチュッしといてと、放ったらかしにされた。


ここに2人で住んでいたのは二年間だけ。
電気も何もない中で、2人っきりで生活してたんやそうや。

きっとその時のことを思い出しながら、ロベルトと話してたんやろう。

その間、僕らは蚊と戦いながら、墓の周りをうろついていた。

ロベルトの墓ではない。
現在この土地の所有者であるイタリア人の、亡き奥さんの墓である。


彼女とロベルトの会話が終わり、インターネットの店を探しながらGUENDULAINーグエンヅラインーへと向かう。

しかし、日曜日ってこともあり、インターネットの店は全て閉まっていた。

ここから先、店はない。
このまままっすぐ帰るだけやなと思っていたら、途中でNuriaのバイクが止まった。

そして、1人の男性を紹介された。
名前はPato(パト)。

98歳になる母親・Maríaと共に暮らしている。

Nuriaを、
「Como Sócrates(コモ ソクラテス)ーソクラテスみたいやー」
と崇める彼に、ビールとこれまたメスカルをご馳走してもらった。

ほんまオアハカ人はメスカルが好きやなあ~。
そして強い!

8月12日もそやったが、今日にしても、メスカルをストレートでガバガバ呑んでいる。

メスカルといえば、まあ簡単にいえばテキーラみたいな物やおもてくれたらいい。
味は全然ちゃうけど、ハードリカーってことに変わりはない。

ウィスキーにしても、ジンにしてもハードリカーやろ。

味はちゃうけど、きっつい酒なんやから、そらまあちびちび呑むわけですわ。

それがオアハケーニョたちときたら、ストレートグラスに入れて二~三口でグイッと呑み干しちゃう。
ご丁寧にも片手には、チェイサー用の麦酒まで用意して。

昼夜お構いなしに呑む。
せやけどあんまり酔ってへん。
うん、強い!

ベラクルスではみんな、コーラかなんかで割ってたのに。

同じメキシコ内でもこうも違うもんなんやぁと、しみじみ思うわけですわ。

ホンマ地方によって、酒も食べ物もさまざまやわ。

ベラクルスっ子が、さとうきび焼酎”caña”なら、オアハカっ子は、アガべ(サボテン)焼酎”メスカル”。

チアパスにポッシュがあれば、他方にはプルケもある。

アメリカ近くではワインまで作ってるし、僕がいつか行きたいと思ってるチワワの方にも、オモロイ酒が潜んでそうや。

ペルー行ってピスコも呑んでみたいし、またベトナム行ってル・カンも呑みたい。

この世界には呑みたい酒がなんぼでもゴロゴロしとる。

しかし、その為にはやはりビザが必要かなぁ。
働きながら旅せんことにゃ、俺らの夢が終わっちまうぜ。



8月15日(月)
今日突然。
トイレットペーパーが新聞紙に変わっていた。

節約の為だろうか?

僕らが一週間そこそこで、2ロール使ってしまったことに対するお仕置きだろうか?

それとも、新しい紙を買うお金が切れたのか?

謎や。
もしかしたら買ってきた方がええんかな?

それとも、しばらくウンコ我慢した方がええんかな?



8月16日(火)
Nuriaからマッサージのお返しにと、お守りを2つもらった。

1つは、握りしめたコブシの形した、幸運を手中に治めるお守り。
そしてもう1つは、夢を叶えるターコイズ。

毎日必ず三食出してくれるから、そのお礼にと二回マッサージをしただけやのに、まさかお守りをくれるとは。

感謝感謝や。

ちなみにオアハカの町では、マッサージ・1時間250ペソ(約1800円)らしい。

僕ら2人で30分30ペソ(約200円)やのに。

いつかオアハカで荒稼ぎしたろか??


相変わらずトイレットペーパーは新聞紙のままやが、天気もいいので散歩した。
Lachigoloを超え、歩くこと1時間。
Tlacochahuayaートラコチャウアヤーという町の、有名っぽい教会に着いた。

が、時間も無かったし、教会内がアンティークな作りとも知らなかったので、スルーして帰って来てしまった。

またいずれ行こうと思う。

メルカド(市場)で飯も食えるらしいから、日曜日がいいやろう。

ビールやりながらが最高や!

そして、家にトイレットペーパーがあればもっと最高や!



8月17日(水)
今日はもう一個の家の掃除をした。
僕らがここに残るなら、住んでいいと言われている家。

Nuriaがカウチサーフィンで出会った日本人カップルと、中国人が1人、もうすぐやってくるらしい。

彼らが来たら、僕らはそこへ引越ししないといけないので、本日掃除することになった。

この家は部屋が2部屋あり、今住んでいる部屋より広い。
レンガ作りで暖かいし、離れにあるのでより自由。
だが、床が土。

改装途中に金が無くなった為に、床が土のままなのだ。

これでは掃除のしようがない。
掃くたび歩くたびにホコリは舞うし、ベッドの上以外では靴も脱げない。

それに、ここにあるシングルベッドで2人が寝るのはなかなかしんどい。
かなり小さいから。

床に一枚ゴザみたいなん敷いてるけど、すぐに土まみれなるし。

ここに僕ら2人と中国人1人の計3人が寝るってのは、なかなかキツイ話や。

それに、見ず知らずの中国人が2〜3日遊びに来てから帰った後、気がついたら部屋に置いてたトランクが、ジャンボ餃子に変わってたってのもよく聞く話。

名前もマギー・チェンって!

何やら怪しい匂いがプンプンや。
下手したらあの人の弟子やろ?

まあ、トランクの皮が餃子の皮に変わっただけなら、軽くなった分、持ち運びが便利やとしても、中身がニンニクと挽き肉になってしまったなら、
…白飯が食べたくなるがな。

でも、ここにはラー油がないから、なかなか食えん話や。
残念。

そんなこと考えてたら、チェンとの生活もなかなか面白そうな気がしてきた。

ならば日本人カップルだけ断ってチェンだけを呼び、僕らは今の部屋のままでいるのが最善策なんちゃう?

何故、後から来た日本人に、僕らの憩いの場を奪われなければならないのかが不思議やもん。

何も知らん日本人カップルが、
「わあっ。素敵な部屋やわぁ。
ベッドも広いし最高!」
なんつって、パンパンやらかし始めた日にゃあ、小便混じりの土団子でも口に詰め込んだろか!

まあ、居候やから文句は言えんが。

一日3時間働くだけで、三食宿付き。
水も電気も使い放題なんやから、文句は言えない。

でも、でもね。
日本人として生まれた僕にとって、床ってほんまに大事やねん。

裸足で歩きたいねん。
靴は家の中では脱ぎたいねん。
床にも座りたいし、寝転びたい。
ゴザの上を靴で歩かんといて欲しいねん。
せっかく掃除した床、平気で土足で上がりこむ人らの気持ち、まったく理解出来ひんねん。

だから、もう、カウチサーフィンで人呼ぶのはやめて欲しいなぁ~。

そうしてくれたら、無くなったトイレットペーパー。

いますぐに僕が買ってくるから。

それも4ロール入りね。

ヒッピーに捧ぐ

8月9日(火)
ファックの日に、ここでの初仕事が始まった。

とりあえず朝7時ぐらいに庭をうろついてたら、
「まだ寒いし、地面も濡れてるし、部屋の中にいときなさい。
仕事開始は8時か9時よ」
と、Nuriaさんに言われた。

確かに、昨夜降った雨のせいで地面は濡れてるし、とにかく寒い。
昼間の暑さがウソのように夜中も寒かった。

Lechuguillas出発前、一年五ヶ月間も伸ばした弁髪を遂に切り落とし、ほぼスキンに近い状態にまでカミソリで髪を剃った。


地球、愛、平和、自然、ガンジャ…
そうつぶやきながら、誰かさんのようにベランダから飛び降りてもよかったが、まだまだ僕の頭はイカれてないので無理や。

フライナ~ウ!
ノーセンキュー!

ファックミー! ファックミー!
はちきゅうはちきゅうアバンチュール!

しかし、つるつるの頭はスベスベしていてかなり気持ちいい。
ので、このままスキンを続けようかなぁと思ったが、激烈に寒いし、蚊にアホほど刺されるので、やっぱ伸ばそうと思う。

8時半ぐらいになり、まずは細かい板を道具倉庫にしまう。
袋2つ分なので5分程度で終わった。

その後、朝食。
お粥みたいなんとパン。
そして、コーヒー。

朝は毎日こんな感じやそうや。

朝食が済むと、ぬかるみの上に刈った雑草を敷く作業が始まった。

こうしないと歩きづらいし、雑草もアホほど生える為、上から雑草を敷いて道を作りがてら、新たな雑草の成長を妨げるみたいや。

その後、小さな川を作った。
雨水が木や土に流れていく為の川。
この土地は勾配があるので、基本的には外側から内側へと水が流れるが、よりよく流す為に作ることになったんやろう。

12時頃に仕事が終わる。
後はすべて自由な時間や。

15時か15時半の昼飯までは、シャワー浴びたり洗濯したり、部屋を掃除したり、好きなことをするための時間。

そして、昼飯後も好きなことをするための自由な時間。

20時前にカフェタイムをしたら、一日は終わる。

なんやかんやのんびりした時間が、ゆっくりと進んでる。

こんな感じでええんかなぁ?
と少し思うが、

「ここですることは仕事じゃないよ、遊びよ」

「急がずにゆっくりしよう」

と言ってくれるので、こんな感じでいいんやろう。

”Aquí,todo los días hay mañana”
( ここには毎日、明日がある)

今日出来なくても明日がある。

焦らなくていい。
少しずつ少しずつやっていけばいい。

作ること、食べること、考えること、休むこと。

そのすべてが生き物にとって必要なこと。

必要なことやからこそ、焦らずにゆっくりとやって行けばいい。

地球と一緒にゆっくりのんびり回っときゃええんや。

早く回るんはツイスト踊るときだけでいい。
キチガイみたいに、狂ったまま飛んできゃいい。


忙しく働かなければ、そないに腹も減らん。

少し動いて、少し食べて、たまに羽のばして。

急かせか働いて、稼いで、時間を無くして、心の余裕まで無くしてまう。
そんなようなことはしない。
それがここのスタイル。

なんせNuriaさんは、ここに暮らしてからは一切金を稼いでないらしい。

もう何十年も無収入で暮らしている。

1965年に兄ちゃんのRoberto(ロベルト)と30年間世界中をヒッチで回ったのちに、この土地に住み着いたらしい。

現在はお兄さんが亡くなっているので、1人で住んでいるが。

「ここは好きだから売らずに残そうと思ってる。
売ってしまうと、きっと家が建ち緑が無くなるから。
でも、私はそろそろ違う土地に住みたい。
だから、ここを管理してくれる人を探しているの。
管理人が見つかれば旅に出るつもりよ」
と、Nuriaさんは言う。

「もし2人がここに残ってくれるなら、自分たちの家にして住めばいいよ」
と。

今僕らは客間で寝泊まりしている。

ここには客間以外に、Nuriaの家、キッチン、便所、シャワールーム、修理途中のもう1つの家(ここがゆくゆくは僕らの家になる予定。残るならね)、そして、作りかけのキッチンとシャワールーム。

すべて離れにある。
これから二匹の鶏の為の鶏小屋も作る予定や。

そして、とにかく土地が広いので、作物を育てることも余裕で出来る。

今はNuriaさん1人やからなかなか手入れも大変やが、僕ら2人と、もう1組カップルが住めば、楽しくやって行けそうな気がする。

彼女自身はお金はいらないみたいやが、別に僕らが稼ぐことに関してはいいみたいやし。

なんせ手持ちの金も、貯金も少ししかないので、多少は稼がんとキツイ。

僕の考えでは、ここで育てた野菜を使って食の大半をまかない、余るようなら売るなり物々交換したりして、調味料や他の食材を手に入れりゃいいんちゃうかなと思う。

ビザがもらえりゃこそこそせずに、マッサージで少しずつ稼ぐのもいい。

言葉を覚えれば働きに出たり、営業かますことも出来る。

2人だけやと、1人が働きに出たらここを管理するのが1人になって大変やけど、4人おれば2人が狩りに出て、2人が家を守ればいい。

三人寄れば文殊の知恵なら、四人寄れば文殊の知恵以上のモンがわいてくるやろし。


う~ん、憧れの原始スタイル。
ウンバボー!

まだ来たばっかやから、どないなるかわからんが、僕らの約束の地がここであるならば、残りの人生、まだまだ現役ヒッピーのNuriaさんに捧ぐのもいいやろう。

Nuriaさんのカルマが旅をすることなら、Nuria&Robertoの思い出の地を守っていくことが僕らのカルマなんかもしれんし。

しかし、まあ、明日のことは明日にならにゃわからんけどね~。
なんせ、ここには毎日のように明日があるんやさかい。

”Aquí,todo los días hay mañana”
(アキー トード ロス ディアス アイ マニャーナ)

この言葉をヒッピーだけでなく、すべてのイカレポンチどもに捧げよう。

”ウィッピー! ワッパー!”
”ヒッピー!    ハッパー!”









お前のタクには死んでも乗らねぇ

タクシーと聞くと、あなたは何を思い浮かべますか?

リュック・ベッソンとやらが監督してる映画『TAXI』か?
それとも、ロバート・デニーロ主演の映画『タクシードライバー』か?
もしくわ、あのイキすぎたサービスがウリのMKタクシーか?

僕の場合タクシーで思い出すことといえば、泥酔しすぎて『京都・磔磔』から大阪までタクで帰って来て、諭吉一匹払わされたことや、
泥酔しすぎて行き先伝えずにタクで眠りこけ、西淀警察まで連れて行かれたことや、
これまた泥酔しすぎてあまりにも起きないので、自宅前に救急車呼ばれたことなど…

とにかくタクシーと聞くと、泥酔と思い浮かべてしまう。

タクの運ちゃんホンマにごめんなさい。


しかし、ここオアハカでは、タクシーと聞くと何人かは、
「8月12日!」
と答えるだろう…。

8月12日(金)
昼1時すぎ、グエンヅラインに唯一あるインターネットの店に行くと、停電のためパソコンが使用不可能だった。

「すぐに電気くるよ~」
と、おばちゃんが言うので、とりあえず暇潰しに町を探索することにした。

すると、探索するまでもなく、近所の広場でタクシードライバーたちが、酒盛りをしているのを発見した。

まずは軽く挨拶をして通りすぎたが、大量に用意されたビールとツマミが目に入ったので引き返し、チャリを停めてベンチに腰掛けた。

近すぎてもやらしいし、遠すぎても難しいので、10メートル行くか行かんかぐらいの距離にあるベンチに腰掛けた。

昼間っから仕事もせず、教会どころかポリ署まで隣接しているこの広場で、このオッサンどもは一体何のための酒盛りをしているのだろうか?

罰あたりもええとこやし、ゴビエルノ(政府)クソくらえで盛り上がってる。

そして、僕らは何を期待しているのだろうか?

「おい! チーノ!」
と、言われるであろうことか?

それとも、
「おい! 一緒に呑もうぜ!」
と、言われるであろうことか?

それはもう確実に後者であり、150%そうなることは確信している。

なんせ俺にはバッカスがついている!

ベンチに腰掛け明るい空の下、くだらない話を五分ほどしてたら、
「お~い!」
と、集団の中の1人が手招きしながら叫び始めた。

はいはいはいはい、よしよしきたきた!

ね?
やっぱり。

きたでしょコレ!
コレよコレ!

タダ麦酒。
かぁ~、たまらんね!

「え? 僕ら?」
なんて、わざとらしく一体何用?
みたいな感じで近づいていく。

すると来た!

「麦酒いるか?」
の一言。

きゃっほーい!
うーれしーいなぁ~!

すかさず笑顔で「はい」と答える。

しかも、2人ともが1番好きなVictoria(ビクトリア)。

ラリホー!

しかも、アガベ(サボテンの種類)から作られる蒸留酒・Mezcalまで提供してくれた。

あ~も~イク~!

この瞬間、頭の中で違う人種同士が性交をカマした!

これを世間一般ではチャンポンといい、僕・THEワールドではファッキンニューイヤーという。

たまに生み出された雑種が、ゲロと言う汚い名前で呼ばれることがあるが、ホンマのところはテロや。

テロ in the 便器。

しかし、それはホンマは夢という説もある。

まれに便器に虹が出る。
股間から雨にじみ出る。
肛門から膿にじみ寄る。
それ見て彼女逃げよる。
一夜を逃した切ない夜。
賢治宮沢銀河鉄道の夜。

 ああ、…星になりたい

まあ、とにかくただ酒呑めればなんでもいい。

でも、タクの運ちゃんと昼から呑むんは初めてや。

そもそも何でタクの運ちゃん達が昼間から仕事もせずに、酒を呑んでんねやろ?
日本ではあり得ないであろう光景。

だが、その謎はすぐに解けた。

「オアハカでは8月12日は、Día del taxi(ディア デル タクシー) ~タクシーの日~なのさ」

そう、今日はオアハカで働くタクの運ちゃん達にとって、とても大切な祝い日らしい。

11時にミサを終わらせたら、神様に感謝ってことで教会前で呑むそうや。

その後、少し働いたら、夜は夜でバカ騒ぎするらしい。

クルマのフロント部にも花飾って、まるで日本の正月みたいや。

そんなめでたい日に偶然出くわした、おめでた野郎ハポネッサ。

タクの運転まったく関係ない2人が、おこぼれで麦酒三本も四本もガバガバ呑む。
ついでにメスカルとツマミも。

何人かがほろ酔い状態で仕事に戻る。

僕らはも少しお酒をもらう。

ポリ署の真ん前で麦酒呑んで、そっから車に乗って仕事に出るタクの運ちゃんも、世界広しといえど、そうそうおらんやろう。

日本もそれぐらいのことやりゃええんや。

酒呑んでも平気で運転出来るぐらい、強いドライバーを育てあげるべきや!

罰金がどうのこうのやない。
すべては自己責任。

2〜30万払って勉強しても事故るやつは事故るし、メキシコみたいに一万払って免許買うだけの簡単システムでも、事故らんやつは事故らん。

そうだろベイべー!
わかってんのかいベイべー!

金さえ払えばノープロブレム的なシステムを作り上げてまうから、責任逃れがまかり通っちまう。

日本の腐った国道を、逃リズム共がビュンビュン走り回る。

怖いぜ。
これはとても怖いぜ。

赤ら顔で運転するこの町のタクの方が、よっぽど怖くないぜ。

でも、やっぱり飲酒運転はよくないぜ!

だから、お前のタクには死んでも乗らねえ~。

8月12日のオアハカタクシーには、死んでも乗らねえ。

ハイにはなりたいが、灰にはなりなくないからさ。

自由が炎上したら、この世にはもうな~んも残らへんで~。

パキュ~ン!






ヒッピーに捧ぐ

8月9日(火)
ファックの日に、ここでの初仕事が始まった。

とりあえず朝7時ぐらいに庭をうろついてたら、
「まだ寒いし、地面も濡れてるし、部屋の中にいときなさい。
仕事開始は8時か9時よ」
と、Nuriaさんに言われた。

確かに、昨夜降った雨のせいで地面は濡れてるし、とにかく寒い。
昼間の暑さがウソのように夜中も寒かった。

Lechuguillas出発前、一年五ヶ月間も伸ばした弁髪を遂に切り落とし、ほぼスキンに近い状態にまでカミソリで髪を剃った。


地球、愛、平和、自然、ガンジャ…
そうつぶやきながら、誰かさんのようにベランダから飛び降りてもよかったが、まだまだ僕の頭はイカれてないので無理や。

フライナ~ウ!
ノーセンキュー!

ファックミー! ファックミー!
はちきゅうはちきゅうアバンチュール!

しかし、つるつるの頭はスベスベしていてかなり気持ちいい。
ので、このままスキンを続けようかなぁと思ったが、激烈に寒いし、蚊にアホほど刺されるので、やっぱ伸ばそうと思う。

8時半ぐらいになり、まずは細かい板を道具倉庫にしまう。
袋2つ分なので5分程度で終わった。

その後、朝食。
お粥みたいなんとパン。
そして、コーヒー。

朝は毎日こんな感じやそうや。

朝食が済むと、ぬかるみの上に刈った雑草を敷く作業が始まった。

こうしないと歩きづらいし、雑草もアホほど生える為、上から雑草を敷いて道を作りがてら、新たな雑草の成長を妨げるみたいや。

その後、小さな川を作った。
雨水が木や土に流れていく為の川。
この土地は勾配があるので、基本的には外側から内側へと水が流れるが、よりよく流す為に作ることになったんやろう。

12時頃に仕事が終わる。
後はすべて自由な時間や。

15時か15時半の昼飯までは、シャワー浴びたり洗濯したり、部屋を掃除したり、好きなことをするための時間。

そして、昼飯後も好きなことをするための自由な時間。

20時前にカフェタイムをしたら、一日は終わる。

なんやかんやのんびりした時間が、ゆっくりと進んでる。

こんな感じでええんかなぁ?
と少し思うが、

「ここですることは仕事じゃないよ、遊びよ」

「急がずにゆっくりしよう」

と言ってくれるので、こんな感じでいいんやろう。

”Aquí,todo los días hay mañana”
( ここには毎日、明日がある)

今日出来なくても明日がある。

焦らなくていい。
少しずつ少しずつやっていけばいい。

作ること、食べること、考えること、休むこと。

そのすべてが生き物にとって必要なこと。

必要なことやからこそ、焦らずにゆっくりとやって行けばいい。

地球と一緒にゆっくりのんびり回っときゃええんや。

早く回るんはツイスト踊るときだけでいい。
キチガイみたいに、狂ったまま飛んできゃいい。


忙しく働かなければ、そないに腹も減らん。

少し動いて、少し食べて、たまに羽のばして。

急かせか働いて、稼いで、時間を無くして、心の余裕まで無くしてまう。
そんなようなことはしない。
それがここのスタイル。

なんせNuriaさんは、ここに暮らしてからは一切金を稼いでないらしい。

もう何十年も無収入で暮らしている。

1965年に兄ちゃんのRoberto(ロベルト)と30年間世界中をヒッチで回ったのちに、この土地に住み着いたらしい。

現在はお兄さんが亡くなっているので、1人で住んでいるが。

「ここは好きだから売らずに残そうと思ってる。
売ってしまうと、きっと家が建ち緑が無くなるから。
でも、私はそろそろ違う土地に住みたい。
だから、ここを管理してくれる人を探しているの。
管理人が見つかれば旅に出るつもりよ」
と、Nuriaさんは言う。

「もし2人がここに残ってくれるなら、自分たちの家にして住めばいいよ」
と。

今僕らは客間で寝泊まりしている。

ここには客間以外に、Nuriaの家、キッチン、便所、シャワールーム、修理途中のもう1つの家(ここがゆくゆくは僕らの家になる予定。残るならね)、そして、作りかけのキッチンとシャワールーム。

すべて離れにある。
これから二匹の鶏の為の鶏小屋も作る予定や。

そして、とにかく土地が広いので、作物を育てることも余裕で出来る。

今はNuriaさん1人やからなかなか手入れも大変やが、僕ら2人と、もう1組カップルが住めば、楽しくやって行けそうな気がする。

彼女自身はお金はいらないみたいやが、別に僕らが稼ぐことに関してはいいみたいやし。

なんせ手持ちの金も、貯金も少ししかないので、多少は稼がんとキツイ。

僕の考えでは、ここで育てた野菜を使って食の大半をまかない、余るようなら売るなり物々交換したりして、調味料や他の食材を手に入れりゃいいんちゃうかなと思う。

ビザがもらえりゃこそこそせずに、マッサージで少しずつ稼ぐのもいい。

言葉を覚えれば働きに出たり、営業かますことも出来る。

2人だけやと、1人が働きに出たらここを管理するのが1人になって大変やけど、4人おれば2人が狩りに出て、2人が家を守ればいい。

三人寄れば文殊の知恵なら、四人寄れば文殊の知恵以上のモンがわいてくるやろし。


う~ん、憧れの原始スタイル。
ウンバボー!

まだ来たばっかやから、どないなるかわからんが、僕らの約束の地がここであるならば、残りの人生、まだまだ現役ヒッピーのNuriaさんに捧ぐのもいいやろう。

Nuriaさんのカルマが旅をすることなら、Nuria&Robertoの思い出の地を守っていくことが僕らのカルマなんかもしれんし。

しかし、まあ、明日のことは明日にならにゃわからんけどね~。
なんせ、ここには毎日のように明日があるんやさかい。

”Aquí,todo los días hay mañana”
(アキー トード ロス ディアス アイ マニャーナ)

この言葉をヒッピーだけでなく、すべてのイカレポンチどもに捧げよう。

”ウィッピー! ワッパー!”
”ヒッピー!    ハッパー!”









2011年8月31日水曜日

オールド&ヒッピー

8月7日(日)
ついにレチュギージャスを後にした。
家族やボニー一家と再び会うことを約束。
ロマンとの別れ際泣きそうになり、呑んだくれフアンの涙目に感動し、結局ガウデの息子からマッサージ代30ペソを貰えぬまま、小汚いバスに乗りこんだ。

ベラクルスに到着すると、ボスの娘・ロシオと、その恋人ホルヘが待っていた。

グロリアの手作り料理である、モーレとミニージャを渡す為に待ち合わせしていたのだ。

荷物を渡した後、即座に別れを告げようとしたが、バスが当日の夜23時出発しかないということと、仕切りにロシオがバス出発まではどこに行くのかを聞いてくる為、結局ホテルには行かずにロシオの家で休憩することになった。


出発までの間に色々話していると、電話のかけ方を聞いたつもりが電話をかけて欲しいと伝わったのか、ロシオが携帯から次の行き先、Oaxacaにある、”El ranchito(エル ランチト)”の女主人・Nuria(ヌリア)に電話をかけてくれた。

ここに来て初めての、電話越しでのスペイン語での会話。

若干緊張したが、明日の朝6時半にオアハカの二等バスターミナル”AU”に到着することを伝えることが出来た。
彼女は8時に迎えに来てくれるという。

そして、電話越しの声から、ヌリアがお婆ちゃんであることが判明した。

僕は婆ちゃんっこやから、婆ちゃんが大好きや。

乳首の珍毛は数日前に無くなったが、運がやってきた予感。

次の農場では、なんとなく楽しくやっていけそうな気がした。

今回はWWOOFではなくイビキのうるさいホセからの紹介やし、一日三時間半の手伝いでいいみたいやし、カップルの為の部屋もあるってゆーてるし。

ただ、飯がついてるんかどうかだけが心配や。

まあ、無けりゃ無いで草でも食うか!

8月8日(月)
予定より約2時間遅れでオアハカに着いた。

言葉が通じてなかった為に、ヌリアを一等バスターミナルで三時間も待たせてしまった。

まあ、僕らは僕らで二等バスターミナルで二時間待ったが。

結局三人が出会えたのは朝の10時。

それからタクシーに乗って、グエンヅラインにある”El ranchito”を目指した。

にしてもNuriaってば、なんてヒッピーなんでしょう。

海外やパーティーなどで、よく見かけるヒッピーめいたのとも、ヒッピールックがお好きな若者とも違う。

ヒッピーであることを主張していないのに、ヒッピーであることがあからさまに解る。

とにかくオーラがヒッピーや。

この先、
「ヒッピーて一体なんなん?」
って聞かれたら、
「彼女や」
って答えることにしたいぐらいヒッピーや。

彼女自身もこう言っている。

「昔からずっとヒッピーやってきて、今はここに住んでるの。
あっ。ドラッグはやらないよ」。

今年68歳。

「子供が四人に孫もおるけど、みんなヨーロッパに住んでるし、知らん!
私はいま自由だ~!」

町からタクで約20分。
ランチョに到着すると、僕らの他には誰もいなかった。

どうやら僕らだけが手伝うらしい。
でも、まあとりあえず今日は仕事はナシ。

MEZCAL(メスカル)で乾杯し、明日から楽しくやって行こうぜ!
的な話をした。

とにかく朝3〜4時間働いたら、後は自由らしいし、飯も3食あるし、専用の部屋もめちゃくちゃキレイやし。

のんびりやって行こうと思う。

なんせ僕らは、自由で貧乏。
そして、彼女はオールド&ヒッピー!

怖いもんナシや!

メキシコ人はコロナが嫌い

とうとう8月に入った。
なんやかんや延びたが、8月7日(日)にこの町を出る。

ちなみに今は5日(金)。
出発は明後日。

先週に引き続き、マッサージが忙しい。

なんせ小さな田舎町。
日本人が出て行くということが、一瞬にして知れ渡る。

だから、ここぞとばかりにマッサージの依頼が殺到するし、
「家にご飯食べにおいでよ」
とのお誘いもちょこちょこ入る。

嬉しい限りや。

出て行くというとみんな、
「この町を嫌いになったの?」
と聞いてくるが、そうではない。

大好きやからこそ出て行くのだ。

このままあと二ヶ月も居候していては、逆に町の人らが僕らを嫌いになるやろう。

「ええかげん帰れよ」
と。

だがしかし、また帰ってくるつもりでおる。

町の人たちや、レオン一家やボニー一家にまた会いたい。

レオン一家にいたっては、家族扱いしてくれている。
だから僕も家族のように思っている。
”ファミリア エン メヒコ”!

そういや、最近仲良くなった、ロマンの娘の15añosにInvitación(インビタシオン:招待)されている。

メキシコでは15añosと言って、15歳になった女の子を盛大に祝う習慣がある。

成人式のように、ハタチになったチンコマンコを一斉に集めたはいいが、ロケット花火打ち上げられたり、しばかれたり、説教するつもりが、逆に絶叫する羽目になるような、アホアホパレードではない。

15歳の誕生日に、その女の子の為だけに、家族や友達、町の人たちが総出で祝う。

ドレス来て、タキシード姿の男のコにエスコートされ、ビール呑んで、ええ飯食って、踊り狂う。
まるで結婚式や!

まだ行ったことないので、ぜひ行きたい。

あっ。
男の15añoはないよ。
しょせんただの種馬や。



このまま行くと、またシモネタ系日記になってまいそうやので、ここらでキモチを切りかえるとしよう。

「メキシコのビールといえば?」
と日本人に尋ねると、大半が
「コロナ」
と答えるのではないだろうか?

コロナの瓶に差し込まれたライムを、人差し指で中に落としては乾杯する。

まあ、これが主流やろう。
僕も昔はよくわからないままに、こうして呑んでた。

でも、コロナはあまり好きやないので、ごくごくたまにね。

しかし、実際メキシコに来てみると、こんな飲み方してる人は1人も見たことがない。

こっちでは、cerveza(セルベッサ:麦酒)を注文すると、ライムと塩が皿にのっかって出てくる。

それを好みに合わせ、ライムを絞っていれたり、塩を瓶や缶、またはグラスの淵につけて呑む。

メキシコではそれが主流や。

でも、コロナは若干苦味があるせいか、まんまで呑んでる人の方が多い気がする。

それに、コロナよりSol(ソル)の方が人気がある。

きっと薄味のビールに、塩とライムがよく合うからやろう。
僕もソルの方が好きや。

でも、日本のビールはキリンがいい。
クラシックラガーの苦味が好きや。

昭和、大正、明治シリーズが売ってた日にゃ、大喜びで買い込む。
苦味とコクがたまらん。

が、この太陽の国で生活する男たちは、苦味があまり好きではないようや。
クッキーとかチョコミルクとか、甘いモン大好きやし。

だから、乳搾りの爺ちゃん・ロマンは、コロナが嫌いで呑まへんし、マルセリーノも、
「ソルとコロナ、どっちが好き?」
と聞いてくる。
「ソル」
と答えると大喜びやが、
「コロナ」
と答えた日にゃ、きっと手に持ったトンカチで頭カチ割られるやろう。

ロベルトに至っては、一度口に含んだコロナを、
「うわ、まずっ!」
と、店の真ん前で吐き捨て。

「こんなクソみたいなビール呑めるか!」
と、悪態をつくほどや。

もしかしたら日本に置いてあるコロナは、メキシコで売れ残った結果、シブシブ送られてきた物なのではないだろうか?

それも腐りかけ手前のコロナを。

そうやとしたら納得がいく。

メキシコで呑むコロナと、日本で呑むコロナとの味の違いに。

日本でコロナを呑むならば、”michelada”(ミチェラーダ:ビールにサルサやライムを入れた、バカうまカクテル)にするべきや。
味が誤魔化されるばかりか、めちゃウマやから。

日本に帰ったさいには、ぜひぜひ皆さん、合言葉”ミチェラーダ”で、乾杯でもしようではないか。

とびきりうまいミチェラーダを作りますよ。

だから、たくさんの発泡酒を用意しといてよ。

多分普通のビールじゃ、逆にまずくなるから、発泡酒あたりが最適やと思うし、日本じゃコロナは高いから、なかなか買えないし。

なんかむしょうにBARやりたくなってきた。

あ~おっ!

ー僕の好きなメキシコビールー
(メキシコに行くことがあれば、ぜひぜひ参考に)

ーリッター編ー
とにかく安く、量呑みたいなら、カグアマ!

Sol(ソル)…日本でも結構置いてる薄味セルベッサ。
ライムと塩を絞れば完璧すぎるほどにうまい!

脂っこい豚の頭肉のタコスを食べるときに、相性ピッタリじゃけん!
確か1180ml…23〜25ペソ。

Victoria(ビクトリア)…正味言うことなしの酒やね。
安いわ。コクあるわ。ミチェラーダにしてもうまいわ。
しょっぼいつまみとも合うわ。

この町にないのが残念なぐらいに、うますぎるセルベッサ。
確か1200ml…20ペソ。

Superior(スペリオル)…金はない。
でも呑みたい!
わがままいうならつまみも食べたい!
そんなときにはスペリオル。
若干薄すぎる味も塩とライムで気にしない気にしない。
酔ってしまえばこっちのもん!
確か945ml…15ペソ。

Indio(インディオ)…これがまたなかなか見んなぁおもたら、コンビニに大量に置いてあったりする。

ビクトリアにひけをとらへんコク。
そして男らしいボトルデザイン!

ああ、もう、今すぐ呑みたい!
サルサ舐めながら、夢見ながら!
確か1180ml…19ペソ。


ー高級小瓶編ー
うまいねんけど高いから。
どうせ呑むならこじゃれた酒場で、もひとつおまけに誰かのオゴリで。

Negra modelo(ネグラモデロ)…うまいね。うまい!
それしか言えんね。
つまみはいらん。逆に邪魔!

でも、ちょっと重いから一杯でいいし、小腹空いてる時に呑みたいね。
黄昏ながら。

Bohemia(ボエミア)…ネグラモデロを超えた極上セルベッサ。
週末や給料日に呑みたい男の酒。

メキシコ麦酒界のプレミアムモルツ!
でも、あのいや~なアロマはないからご心配なく。

自由奔放にチンポ丸出しで呑みたいね~ん!
ボヘミア~ン!

※共にオゴリで呑んでるから値段はわからん。
Lechuguillasの海沿いレストランでは、共に15ペソ。
でも、いつもニーチョのオゴリ。
Viva! Baco(バッカス)!















2011年8月30日火曜日

八月の迷走王

パパントラから帰ってきてからは、カルロスの手伝いやマッサージやらで、何やかんや忙しいまま一週間が過ぎた。

そして、とうとう運命の日がやって来た。

7月29日(金)。
朝食を食べているときに、ボスに言った。

「来週この町を出て行くよ」。

「何故?」

オアハカの農場を手伝う必要があるのだと説明すると、それならば仕方ないと納得してくれた。

が、ボスもグロリアも悲しんでいた。
正直僕もさびしい。

ボスやグロリア。そして、この町の人たちは、ホンマにやさしくしてくれるから。

でも、遅かれ早かれいつかは出て行かなあかん。

それが来週なんか来月なんかの違いなだけ。

それならば早い方がいい。
長くいればいるだけ辛くなる。

ベッドも相変わらず固いから、日に日に体にもガタがきてる。

人のマッサージをしてる場合ではないレベルに達している。

それに、八月に入ればより暑くなるやろう。

豚の臭いが増す前に、この小屋から出て行くのが得策や。

数日前に一匹売られていったとはいえ、まだまだ臭いの元は断ち切られてはいない。

それに、蚊の交尾を眺めるのにも、もう飽きた。
これほどまでに生命の誕生を呪ったことはない。

ボウフラだけは勘弁してくれ。


そして、忘れていたが僕は、タンポポ教の教祖。

新たな風に乗り、まだ見ぬ場所へふらりふらりと向かうのが、タンポポ教の基本的教え。

教祖がうっかり根付いてしまったならば、誰が悩める子羊たちを堕落した方向へと導くのだろう?

誰かが水を与えてくれることに慣れすぎていた。

水を与えられるのは、雨の日だけで十分や。

僕は丁寧に育てられるプランターではなく、放置プレイ大好きな雑草みたいなもんなんやから。

お世話されると萎えてしまうが、ほったらかされるとグングン成長しちゃうんだよ。

そんなもんだよ雑草わ。

そして、寝転ぶと意外と気持ちいんだよ雑草わ。

朝立ち・旅立ち・一人立ち…

ああ、ビザが欲しい。家が欲しい。職が欲しい。

正社員になりたいなんてワガママは言わないよ。

だけど、だけども、ある程度の収入は欲しいなぁ。

昨日はマッサージで350ペソと、リッタービールを3本稼いだ。

これが毎日でもあればかなりの高級取りやが、たま~にしかないんやもんなぁ。

都会ならもっと稼げるんやろうけど、なんせ労働ビザはない。

だから、無資格闇マッサージ師は、田舎の小さな豚くさい小屋で、こそこそと稼ぐしかない。

ゴビエルノ(政府)にバレないように。

なんせこの国のゴビエルノとポリはイカれてるらしいから、見つかると何されるかわからん。

まあ、大阪のポリもたいがいイカれてるが。

たまに信号待ちで隣にチャリポリが止まり、思わず、
「あっ! ポリや!」
と言ってしまうことがある。

するとポリは、
「誰がポリや!」
と、頭をはたいてくる。

なんでやねん?

誰がポリやて、あんたがポリや。
あんたがポリやなくて、誰がポリやねん。

ご丁寧に背中にポリスとまで書いてるくせに、自分がポリやということを理解していない。

きっと自分のことを、犬やとでもおもてるんやろう。

金さえ払えば犯罪を見て見ぬフリするこの国のポリと、自分のことを犬やと思っている大阪のアニマルポリスメンと、一体どっちがイカれポンチなんやろう??

まあ、そんなことはどうでもいいか。

1番の問題は、俺たちに明日があるのか無いのかや。

まあ、明日ぐらいはあるとして、

「…未来、あるのかな?」


















パパントラ? or パンパントラ?

7月20日(水)
前日に叫びすぎたせいか、裸でワイン呑んでたせいか、風邪をこじらせ寝込んでしまった。

熱も出てかなりしんどい。

それでも、ハニーのバースデー祝い in メヒコ。

せめてもと思い、残りのワインと、テキーラ NEW ボトルを開けて乾杯した。

2人がテキーラを好きになるきっかけとなった、"Real Haciendaーレアル アシエンダー"
という名前のやつをやっつけた。

寝て呑んで食べて、また寝てを繰り返すうちに、あっという間に夜になり床に入るが、外を走る車の音がうるさくて、まったく眠れない。

それに、宿の人間がドアをバンバン開け閉めする音を聞くたびに、イライラする。

客がおることを忘れているのか、夜中になっても話声とシャッターを開け閉めするガラガラガラ~という音が何度も何度も鳴り響く。

そういや昨晩もそやった。

何故や?
普通宿の人間も夜中には寝るやろう?

一体何をしてこんな遅くまで起きてるんや?

僕ら以外にも子連れの夫婦が一組泊まってるんやから、気を使いなさいよと言いたい。

そんな感じで眠れないまま、夜中の2時か3時をまわった頃、廊下から女性のわめき声が聞こえてきた。

「あ~」

一瞬、なにか事件でも起きたのか?
と驚いたが、よく聞くと何のこっちゃない、ただの夜のルチャ・リブレ(プロレス)や。

「あ~! あ~! お~いぇ~! ああ~!」

何度も何度も女は喘ぐ。

こんな夜中に。
こんな大声で。

恥ずかしくはないのだろうか?

他に客が泊まってることを知らないのだろうか?

それとも羞恥プレイか?

ここまでされたら笑うしかない。

深夜の廊下でパンパンパンパン‥
パパントラ。
いや、パンパントラ。

これはもう尊敬に値する行為。
しょせん男と女はチンコとマンコ。
アダムとイヴの真の名前も、チンコとマンコやろう。

すべての始まりはファックでしかないんやから。

しかし、ここで疑問が1つ。
一体やってるのは誰なんやろう?

宿屋の夫婦か?

それとも息子が彼女とやってんのか?

まさか、もう一組の夫婦ではあるまい。
ガキ連れなんやし。

しかし、なんぼなんでも宿の人間が、大声でおっぱじめたりはしないやろう。

しかも廊下で。


そこで僕は考えた。

1.深夜になっても人の話声がちょこちょこする。

2.誰かしらが出入りしている雰囲気が漂っている。

3.宿の名前が”Mesón del conejoーメソン デル コネホー”
(うさぎちゃんの宿)である。

これから推測するに、この宿は売春婦御用達の宿なんだろうと。

ならば、すべてにおいて納得がいく。

シャッターの音も、人の話声も、廊下での1ラウンドK.Oも。

きっと、酒に酔ったちょい悪オヤジが女口説いて、イタズラに廊下でおっぱじめたんやろう。

宿の人間も、ちょっぴり困り顔で苦笑いしてたんではなかろうか?

それにしても、あの狭い廊下で、どんな体位でリブレしてたんやろう?

バック?
駅弁?
正常位?

それとも、ミルマスカラスもビックリな体位で、この酔いどれルチャドールは、猛攻撃をかましていたのだろうか?

見たわけじゃないので答えは風の中。

ただ言えるのは、フィニッシュ決めた後の女のクシャミ1つで、男のナニは瞬時に萎えたであろうことだけ。

そして、僕は心の中で、
(Salud-サルー-(お大事に))
と言ってあげた。

今後、うさちゃんの宿なる名前のついたホテルには、何があっても泊まるまい。

僕は特にプロレスが好きなわけじゃないから。

リングの上にしてもベッドの上にしても、所詮ショーの方が盛り上がるんやろう?

チンコは使ってもガチンコではあるまい。

まあ、それでも三こすり半劇場よりは、ショービジネスか?

さよなら岩谷テンホー!
さよならパパントラ!
さよならうさぎちゃん!





場末の酒場でツイスト&シャウト!

lechuguillasを離れ、Papantla(パパんトラ)っつう観光地にやって来た。

仕事ではなく、たんなる息抜きに。
ハニーの誕生日祝いをするにも、豚小屋の隣りの小屋では格好もつかんしね。

7月19日(火)
町からタクシーで15分ぐらい走った所にある、『El tajin-エルタヒン-』という、有名な遺跡に向かった。

ボス情報では、町→遺跡=1人20ペソとのことだったので、1人15ペソのタクシーの方が安いはず。

だが、ボス情報は意外と間違ってることが多いので、もしかしたらもしかするかもしれない。

考えんとこう。

初のエルタヒン。
森林に囲まれた平地に、ピラミッドが数個立ち並ぶ。

遺跡マニアの僕がこの遺跡を批評するとすれば、まちゃあき風に言えば、
星1つ!!!!!

数は多いが、何か決めてにかける。

これといって見所がない。

有名なわりには意外としょぼい。
51ペソもするのに。

ただ、遺跡の隅を流れる小川が、キレイやったから良しとしよう。

そして、遺跡前でやってるこれまた有名な催し物を見る。

ボラドレスと呼ばれる催し物。

伝統衣装に身を包んだオヤジたちが、笛吹きながらポールの周りを儀式的ダンスしながら回る。

めちゃくちゃだるそうに踊る。

きっともう、同じ踊りを踊ることに疲れたんやろう。

毎日毎日繰り返す、同じ踊りを踊ることに飽きた中年男性。

そんな彼の気持ちを、心から理解したいとは思わない。

なんせこっちは、1人20ペソも払ってるんやから。

勝手に"およげたい焼きくん"でも聴いときゃいいがな。

仕事や仕事! ちゃんと踊らんかいな!

踊りが終わると、1人1人順番に、ポールを登って行く。

ポールの高さは30〜40メートルぐらいや思う。

てっぺんに四人登り終えると、ロープをぐるぐるポールに巻きつける。

そして、コマのようにポールを回し、その動きを利用して逆さ吊りになったオヤジたちが、ポールの周りを回りながら降りてくる。

一本のロープが命綱。

ちぎれたら、脳天かち割れて死んぢまうやろう。

太っちょのおっちゃんが1人、腰に巻きつけたロープと、ズボンのゴムが緩んで落ちそうになっていた。

落ちまい落ちまいと、腰のロープとズボンを必死に押さえつける姿は、決して美しいとは言えなかった。

きっと太りすぎているために、肉圧でロープもゴムもしっかりと締まらんのやろう。

仲間のうちの誰かが注意すべきや。
「飛べない豚はただの豚だ!」
と。

一通り見終わり、
「ここから町までは70ペソや」
と、観光客をぼったくろうとするタクシーをパスし、行きと同じ1人15ペソのタクで町に帰ってくると、同じ催し物が教会前で無料でやっていた。

しかも、みんな痩せていて動きがテキパキや。

わちゃあ!

そういえばここに来る前にボスが、
「Papantlaは小さい町やから何もないで」
と言った。

が、実際来てみると、レチュギージャスどころか、カランサよりもデカイではないか。
ホテルにWi-Fiもあるし。

しかし、たしかに何もないっちゃあ何もない。

でもそれは一部の人間からしたらの話で、物欲でなく酒欲の多い僕らからしたら、何もないことはない。

どこの町にもきっとそれはあるはず。

‥イカれた奴らが溜まる場所。

‥とびきり安く酔える場所。

そう、それはカンティーナ(酒場)。

僕らが歩くのは、いつだってティンゴン(最高)なカンティーナを探す為や。

トボトボと町を歩くこと数分。

やはりあった!

一瞬、扉が開いたのを見逃さなかった。

看板すら無い怪しげな扉のむこうには、数人の人影が見えた。

まだ4時すぎやいうのに、仕事もせずに酒を組み交わしているんやろう。

すてきや!
素敵すぎる!

これはすぐさま行かなければならない。

酒場の向かい側でビラを配る兄さんに、安いかどうか尋ねる。

これが1番大事。

すると安いとは答えたが、後ろにいたお姉さんが微妙な顔をした。

この微妙な顔は、
「えっ。安いかぁ?」
の顔ではなく、
「安いけどヤバイんちゃう?」
の方の顔やった。

ボラーチャ(酔っ払い)共がたむろしている臭いがプンプンや。

期待に胸膨らませ、重たい酒場の扉を開けた。


薄暗い店内。
ポツリポツリと現地人が、イスに腰掛けビールを呑んでいる。

西部劇に出てきそうな作りのバー。
なのに、この雰囲気にまったく似つかわしくない、シンセサイザーによる生演奏が行なわれていた。

よそ者の東洋人を見つめる冷たい視線。

いつもなら明るいメキシカンが1人か2人、
「へい! ハポネス? チーノ?
サル~!」
と、声をかけてくるはずなのに、今日に感しては、今すぐ帰りなさい的な雰囲気が流れている気がした。

しかし、ここで帰ってはダサい。
ダサすぎる。

が、いちおう隅っこの方のテーブルを選び腰掛けた。

カウンターに腰掛け、
「アイスミルクをくれ」
と注文してもよかったのだが、犬みたいな顔をした奴に、
「よそ者は帰りな」
と言われるのも嫌やし、左腕のサイコガンはとうの昔に無くしてしまっている。

だから、安全策として隅を選んだのだ。

カグアマ・ビクトリアを注文し、2人で乾杯!

メキシコ時間では19日だが、日本では20日の朝6時。

ハニーのバースデーを祝うには、なかなかこじゃれすぎた場所だ。
ここは。

愛想悪い店員が、客の席に着き酒を呑む。

負けじと売春婦も男性客の横に着き、ミニスカートからハミ出たボンレスハムを、右へ左へ大忙し。

ハムの人・別所さんでもこんなに忙しくはないだろう。

さっきのお姉さんの微妙な顔は、こーゆーことを思ってのことやったんやろう。

確かにカップルで入る店にしては、少々似つかわしくない。

ここは早々に、とりあえずもう1本だけ呑んだら出よう!

なんて考えてたら、ちょっぴりイカついオッちゃんと目があったので、かるくあいさつした。

すると、オッちゃんが、なんか手振りで伝えてきた。

店内がうるさいので聞こえないが、何を伝えようとしているのか、瞬時に理解した。

そう、
これは、
いつもの、
お決まりの、
貰いコジキの、
とてもうれしい、
It's a ショータイム!

た・だ・ざ・け!

キンキンに冷えた、新しいリッター瓶がテーブルの上に運ばれてくる。

イェ~イ!

貰いコジキ歴・30年。

子供の頃と違い、今では働けば金を稼げる大人。

好きな服も買えれば、好きなバーに行くことも出来る。

やのになんでやろ?
おごってもらえる瞬間て、なんでこんなにもうれしいんやろう。

嫌なことも何もかも忘れ、うれしさを噛み締めることが出来る。

そして、今、口に含んだこの黄金色した液体が、世界で1番うまい呑み物なのだ。


新たにもう1本おごってもらう。
と、同時にオッちゃんが相席することに。

顔は怖いが、やさしく無口なセニョールが、腰掛けてまもなく口を開いた。

「俺は1985年に韓国に行ったんだよ。
だから、お前たちに酒をお・ご・る・の・さ」。

僕は思った。
日本人であることは隠そうと。

これは、日本人であることがバレた瞬間に、運ばれてくるビールがストップすることを嘆き悲しむのが嫌やという、やらしい
気持ちではない。

日本人であることがバレた瞬間に、発狂したメキシカンにしばかれることを恐れるあまりの、安全策や。

が、しかし。
ゆうきちゃんに聞くと、もうすでに日本人であることは伝えているらしい。

ということは、予想するにこのオッちゃんは昔、韓国で誰かしらに世話になったから、同じ東洋人であるハポネスに、お返しをしよう。
と、いうのではないだろうか。

なんというラッキー。
VIVA 韓国!
VIVA メヒコ!

そして、VIVA ハポン!

ツマミ売りのにいちゃんが売りに来た、イカの酢漬けを肴に酒がすすむ。

幸せやなぁ~!
夢心地。

が、貰いコジキ学でいうと、幸せは長くは続かない。
夢心地のまま終わるには、何事も潮時が肝心。

それに呑みすぎると肝腎をいわす。

だから、そろそろ席を立ち帰ろうとするのだが、
「えっ。もう行くの?
もう一本おごるから、まだ呑もうよ」。

この言葉を聞くと、頭ではわかっていても、体が勝手に反応し、再び席についてしまう。

悲しいかなパブロフの犬。
いや、ただの駄犬か?

日本人がこの店に来たんは初めてやということもあってか、オッちゃんのテンションは上がり、結局おごりでリッター瓶が5〜6本空き、腹はパンパン。

ビールは好きやがビール党ではないので、そんなに量は呑めない2人。

若干吐きそうやし、そろそろホンマに帰らんと、誰かしらが不幸になるってときに、救いの神がやってきた。

シンセサイザーの兄ちゃんや。

何か一曲演奏してくれるみたい。

これは、
「ええ演奏だったよ。ありがとう!」
と言って、この場から切り良く帰れるチャンス。

「メキシコの音楽は好きかい?」

「好きやで」

「どんなジャンルが好き?」

ここで悩んだ。

町中を流れるメキシカンミュージック。
この国の雰囲気に合ってて好きやが、ジャンルと聞かれるとわからない。

日本にいても、エイトビートがなんなのかよくわからない僕。

遠く離れたこの国の音楽のジャンルなど、わかるはずもない。

が、ここで何かしら答えないと、帰ることは出来ないどころか、
「日本人はメキシコが嫌いなのか?」
と、ボコられる恐れすらある。

ヤバイ!
どうしよう!

そこでとっさに出て来たのは、やはりこれ。

僕らの合言葉。

「ロッカンロール!!」
(メキシコではロックンロールでなく、ロッカンロール)

すると兄ちゃん。
立ち尽くし考えこむ。

(さすがに無理か…)

そう思った瞬間、彼は静かに歩き出し、シンセサイザーの前に立つと、
「へーい、みんな~。
今からハポネスのために、ロッカンロールをやるぜ!
ツイストしやがれ、こん畜生!」
的なマイクパフォーマンスをした。

そして、
まさかの、
シンセサイザーによるロッカンロール生演奏が始まった。

誰の何ていう歌か忘れたが、聴いたことのある有名なロッカンロール。
を、兄ちゃんはスペイン語で歌ってる!

何や兄ちゃん、ロッカンロール好きなんやん。

この薄暗い酒場の中を、ロッカンロールが響き渡る。

すると、冴えない顔した酔いどれ共と、冷めた面した店員たちが、一斉に踊れ踊れとツイストコール!

ここで踊らにゃただのアホ。

ただのアホで終わるぐらいなら、せめて気の狂ったアホで終わりたい。

だから、僕は踊った。

たしなむ程度にツイスト!
呆れるぐらいにシャウト!

ア~オ!
ワ~オ!
フォ~!

場末の酒場でツイスト&シャウト!

回りに回った勢いのまま、僕らは店を飛び出した!

ついでに、
「明日3時にまたここで会おう!」
という、酔いどれ共との約束も頭から飛び出し、無事ホテルへと帰宅した。


このパパントラという案外大きな町にもしも行くことがあるならば、是非とも看板のない酒場を探し訪れてみて欲しい。

きっと言うだろう。
「日本人はアホみたいにツイスト踊るんやろ?」

そして、きっと怒るだろう。
「日本人は3時が何時かわからんのか!」
と。