2012年1月12日木曜日

あけおめて何やねん?

Noche Buenaーノーチェ ブエナー
いわゆるクリスマスイブの夜に、レオン宅でフルーツポンチを飲み、モーレ(数種類の唐辛子とチョコレートなどを煮込んだバカウマ料理。もちろん覚え済み。)を食べて過ごした。


それから大晦日までは、漁師・ファニオが釣った魚ではなく、捕らえたイグアナ(ガロボ)とウサギをご馳走してもらったり、海岸の別荘地に住む貴婦人宅で、スパークリングワインをたしなんだり、我が家で牛アバラ肉カレーを作ってみたりと、呑んだり食ったりで、あっちゅーまに時間が過ぎてった。

人生初のイグアナの味は、さきイカみたいな味やった。


そして、迎えた31日。
昼からマーティーの家でビール呑みながら、チチャロン(豚の皮のフライ)や豚肉を肴にんだんだ話した。
その時マーティーは、
「あなた達はもうメキシコ人なの?
それともまだ日本人なの?」
と、尋ねてきた。

「まだ日本人やで」
と答えると、
「メキシコが好きなら、私の養子になる?」
と言ってきたが、果たしてそんな簡単に養子になれるんやろうか?

なれるならなりたいわ。
メヒカーノに。


まあ、そんなマンガみたいな話はさて置き、夕方からは母さんと一緒にタマーレス(とうもろこしのちまきっぽいけど、ちまきなど足元にも及ばないぐらい美味い、メヒコ料理)を仕込んだ。


夜になり家族が揃うと、タマーレス&バーベキューしながら、酒をやった。
が、22時からマーティーん家に再び招待されてたので、昼も行ったのにまた向かう。


そして、食ったり呑んだりして騒ぐが、この場に集まってるみんなの1番のお目当ては、年越し花火。


なんせメヒコでは年が変わると、古着を着せた人形に火をつけて燃やした後、花火を打ち上げる。
それがこの国の、年越しの伝統行事らしい。


準備のためか、マーティーん家では、大人ぐらいの背丈のある人形に、昼間から服が着せられていた。

それを知っていた僕は、結構ルンルン気分でここへやって来たワケや。

しかし、何故か人形の顔は、メキシカンな感じではなく、映画・チャイルドプレイでおなじみのチャッキー。

ちなみにメヒコでは、チャッキーではなくチョッキー。

そして、ジャッキー・チェンは、ジャッキー・チャン。

どっちも、なんか可愛らしくて弱々しい。


この行事には、古い服を着せた人形を燃やすことで、
「古い年とおさらばしよう!(Adiós de año viejitoーアディオス デ アーニョ ビエヒート)」
という意味があるそうや。


人形がズタボロなって、花火が終わったら、
「Feliz año nuevoーフェリス アーニョ ヌエボ(新年おめでとう)」
と叫び、みんなで抱き合う。


どの国でも無事に年が明けるってことは、なんやかんやハッピーなことやね。


その後、再びボスん家に帰り、ぶどうを12粒食べた。

これまた新年行事で、目を閉じた状態で静かにぶどうを頬張りながら、頭の中で願い事(Deseoーデセオー)を唱えるのだ。

12粒あるのは、一月ごとに願い事を唱えていいから。
要するに、月ごとに願いを変えていいっちゅーんやから、日本の初詣と違いかなり欲張り。


僕に関しては、目を閉じるとハニーのことしか思い浮かばない頭になっちゃってるワケやからして、何をお願いしたかはまあ、だいたい想像出来るやろう。












「…ああ、金が欲しい
    愛よりも金が欲しい」

こうして無事、2人は新年を迎えることが出来た。

しかも、メヒコで年を明かすのは二度目。

一度目は、イタリア人やらアルゼンチンババアやらと、多国籍料理をつまみながら、若者が若干ひいちゃうようなテンションで過ごした。


そして、今回は現地の人らと現地スタイルで過ごした。



いやあ、しかし、まだ30年しか生きてないが、毎年毎年。
いや、毎日毎日思うことがある。



「俺ってハッピー!」

そらそうや、名前に幸せがついとるんやから、幸せなハズがない。

親父とオカンに感謝せなね。

そして、ハニーには日々感謝。

なんせ世界が認める、ハルとユウキやからね。

”ハルとユウキ”

”愛と誠”

「このキーワードだけは、世界平和にはかかされへん」
と、金正日氏あたりがイマゴロ地獄で嘆いとるやろう。


正味な話、世界平和かどうかは知らんが、とりあえずここ”レチュギージャス”の平和は守れてる気がする。

どうゆう意味でつけたんか知らんけど、牛乳屋ラウルが最近、子牛二頭に俺らの名前つけて嬉しそうに呼んでいるから。


「こいつがハルで、こいつがユウキや」
と。

そんな冗談言いながらメキシコ人が乳を絞り、日本人が乳を呑んで美味い美味いゆーとるんやから、世界の片隅じゃあ平和が守れてるワケや。

世界の真ん中じゃあ危険が生まれてるが。

何とかしてよ。世界のヤマちゃん。
手羽先揚げとる場合やないで!



しっかし、2012年。竜の年。
一体どんな年になるんやろうか?

とりあえず元旦からマッサージが7人も入ったことやし、仕事と金には困らなそうや。

仕事と金に困らんてことは、酒にも困らんやろう。


こんな無職の戯言ついでに、この場を借りて、
「あけおめて何やねん!」
と、言わせてもらいましょうか。


ほな皆様、明けましておめでとうございます。

Sweet Soul Music

最近RCのナンバー、
”Sweet Soul Music”
を気に入ってよく聴いている。

この歌でいっちゃん好きなフレーズはもちろん、
~踊りたがってるのさ お揃いで作ったこの靴が 今も~
や。

ここを聴くと、なんかわからんがむしょうに心が弾み、おそろの靴を履いて、スウィートソウルミュージックで踊りたくなってくる。


しかし、僕らにはお揃いで作った靴などない。


「お揃いの靴かぁ。かっこいいよなあ!
欲しいなあ!」
なんて話てたら、ふとあることを思い出した。


そう、前回のこの町というか、アホ家族の農場で住み込みボランティア生活をしているとき、いつも気前のいい弁護士ニーチョが、
「俺のアミーゴやぁ!」
と、連れていってくれた靴工房の事を思い出したのだ。


ここレチュギージャスと、カランサの間に、その靴工房がある町は存在する。

なんしか近い。
歩いて行ける距離や。

そういや大阪で靴工房があるとこなんて知らんしなぁ。

そう考えると、今ここで靴作っとかなあかん!
そんな気がした。

確か、一足1500ペソ(約9375円)て言ってたし。

日本でブーツをオーダーしたなら、きっと一足4〜5万はかかるんじゃなかろうか?

かなり安い気がする。
メヒコ人はアバウトやから、少々不安やが、
「よし!作ろう!」
ってことで、靴工房まで向かった。


工房に着くと、数ヶ月前たった一度話しただけの僕たちを、店の兄さんはしっかり覚えてくれていた。

しかし、この日、親父さんが不在だったので、出直すことになった。


12月24日(土)
フルーツポンチを教わる前。
僕らは再び工房へと向かった。

今度はちゃんと親父さんがいてた。

足のサイズを測り、ブーツのタイプを選ぶ。
っても、ショートかウエスタンのみ。

せっかくメヒコで作るんやし、ウエスタンにした。

続いて革選び。
牛オンリーでも、蛇と牛のコンビネーションでもイケるってことで、これまたせっかくやから、コンビネーションにすることにした。


まずは牛革選び。

「黒にしよか?」

「茶色かなぁ?」

「オレンジ系もいいやん!」

なんて迷いながら、あまり目にしたことのない、灰色がかった柔らかい焦げ茶色のような、そんな渋く不思議な色の革を選んだ。


続いて蛇皮選び。
あまり暗い感じも嫌やし、かといってハイカラすぎるんも嫌やから、赤黒いヤツを選んだ。


これでかなり渋いのが出来るんちゃうか?

Torro y Culebraートロ イ クレブラー
(牛と蛇)
で作る、100%本革ブーツ。

この町の牧場にうようよいる、牛&蛇を殺してるのか、はたまた別の町から仕入れてるのか?

その辺はどっちゃでもいいが、ホンマに一足一万以下で買えるのかどうか?

そこんとこが1番気になるところ。

親父さんに尋ねる。

「クアントバーレ デ ウナ ボタ?(一足いくら?)」

「700ペソ」

え!!
マジで!

安っ!

一足700(4375円)て!

二足で一万以下!

これは安すぎるやろう!


あまりの安さに腰を抜かしかけつつ、顔はしっかり二ヤケながら帰路についた。



ーそして、10日後。

念願のおそろの靴を取りに行く。

10日という、手作りにしてはやや早すぎるようなペースで作った靴は、やはり要所要所で荒っぽさがあるが、そこがまたメヒコらしくていい。

そして、思った以上に渋い出来上がり。


早くこの靴を履いて、2人で踊りたい。

もちろん夜ストLIVEに繰り出すつもり。

しかし、この町の夜の安酒場で、ならず者達が暴れることはあっても、夜ストLIVEがあることはないので、日本帰るまでは2人の部屋のキッチンで踊ろうか。

そして、もう一足ずつ作ろうか?

う~ん。
悩んじまうなぁ。

とにかくうずうずしてる。
踊りたがってる!

お揃いで作ったこの靴が。
今も!!!!!

フルーツポンチ

ーフルーツポンチ。

それは、シロップ漬けの缶詰フルーツを混ぜ合わせ、場合によっちゃ寒天やら小豆やらが入った、ちょっと贅沢なおやつ。

子供から大人まで、フルーツポンチを愛する人は、
「ぼちぼちいてるんやないかなぁ」
と、思う。

僕はどちらかといえば、フルーツポンチを食べるよりは、
「フルーツポンチを逆さから読んでみて!」

「えっ!?
ち…ちん。  もう!」
と、生娘を恥ずかしがらせる方が好きや。


そんなフルーツポンチ。
ここメヒコでは、ノーチェブエナ(クリスマスイブ)やフィンデアーニョ(大晦日)に食べるのが伝統だという。


せっかくやから作り方を教えてあげるとグロリア母さんは言うが、
「フルーツポンチ。…正直全く興味ねぇ~!!」


が、教えてもらうことになった。

まずは準備。
リンゴ、パイナップル、ガヤーバ、テホコテ。(全部果物)
それに、干しぶどう、干しスモモ、砂糖とさとうきび。

そこに缶詰は用意されていなかった。

一体メヒコのフルーツポンチとは何なのや?
と、母さんに尋ねる。

母さんいわく、日本のフルーツポンチと違い、メヒコのフルーツポンチは温かいらしい。

ちなみにこっちでは、Ponche(ポンチェ)。
もしくわ、Te de fruta(テ デ フルータ)という。


温かい果物と聞き、より一層興味は薄れたし、確実に不味そうやから食べるのも嫌やなあと思いつつも、仕方なく教わる。


しかし、まあ、教わるって言ってもかなり簡単。

まずは果物を切る。
(干しぶどうと干しスモモは切らない)

りんごは変色するので、水に漬ける。
塩水ではなく、ただの水だ。

だから、若干変色した。
しかし、ここメヒコでは細かいことは言いっこなし。

りんごが少しばかり変色してようが、朝飯のスープにブユ(小蝿)が浮いてようが、何も言わずに食べるんや。
それがここのスタイルなんや。


果物を切り終えると、お次はさとうきびを切る。
竹みたいな分厚い皮を削ぎ落とし、一口大に切る。

これがなかなか力がいる。
が、まあまず、日本帰ってからさとうきびを切ることはないやろう。

母さんが言うには、
「さとうきびなけりゃあ黒砂糖(赤砂糖)でもいいよ」
らしいし。

切り作業が終わったら、沸かしておいた大量のお湯に固い物順にぶち込み、後は煮込むだけ。

なんとまあ簡単な料理なんだろうか。

そして、かなり美味しくなさそうだ。


しかし、その時はやってきた。

そう。味見。

母さんが言った。
「ハル。プロバール(味見)して!」

「うん」

母さんが鍋にスプーンを突っ込み、果物の煮汁を少しばかりすくい上げる。

それが恐る恐る僕の口に運ばれてくる。

まずそうやし、熱そうやし、一瞬、
「イジメちゃうのこれ?」
なんて疑問が脳裏に浮かんだ。

嫌々ながら、遂に煮汁が舌に着地した。


…ゴクッ。



「…うまっ! 何これ! めちゃ美味!」


とにかく美味い!

日本のフルーツポンチなんか足元にも及ばんぐらい美味い!

果物本来の甘みと、天然さとうきびの甘みがギュッと詰まったフルーツティー。

砂糖はホンマに少ししか入れてへんから、変な甘さはまったくない。

香りもいいし、想像していたもんとは、似ても似つかん絶品料理や!

これはホンマに美味い!
日本に帰ったらぜひ作りたい!

そして、ホワイトラムを少し入れて寒い夜に呑むんや。

こっちでは安モンのさとうきび焼酎を入れるけど、日本じゃラムを入れて呑もう。

体も芯からあったまって、たまらんぐらい酔えるハズや。


やっぱり食わず嫌い、呑まず嫌いはあかんね。
なんせ、料理修行も兼ねた旅やからね。

もっと勉強せなね。


フルーツポンチは缶詰よりも、逆さから読ますよりも、メヒコ流が最高や!
と、気づいたイブのお昼過ぎ。

今頃日本じゃ、イブにイカれた若者が、ラブホテルのフロント前で、三角座りしながら部屋が空くのを待ってるんやろうなぁ。

だっせぇぜ!!
そんなカップルだっせえぜ!

はっ!?
10年前の俺や!

ぜんぶロヘリオのせい

12月17日(土)
15añosーキンセアーニョスー当日。
朝も早よから”Casa Campesino”では、着々と準備が進められていた。

Casa campesinoーカーサ カンペシーノーとは、田舎の家。もしくは、農家みたいな意味。
レチュギージャスに唯一存在する、公民館みたいなとこである。


スタートが19時からなので、僕らは家で飯作ったり、プランターに水かけたり、火を起こしたりしながら時を待つ。


んだんだしていると、あっという間に穏やかな時は過ぎ、初めてのキンセアーニョスへと足を運んだ。

向かう途中でレオン一家と合流。

カンペシーノに着くと、何故かそこにはあの腐れポンチ、ロヘリオが存在していた。

ゲッ!?

ボスの手前、嫌々あいさつを交わす。
そして、シレッとサヨナラするつもりが、何故かこいつも相席することに。

仕方がない。

ロヘリオは、レオンの勤務先のパトロンのバカ息子。
30過ぎて、未だに働いたことがないという、人生のツワモノで、チェ・ゲバラをこよなく愛している。
そんな、ある意味で革命児な彼が、僕らとの相席を望んだのだから、相席するしかないのだ。

もちろん話かけはしないし、話かけるなという雰囲気をかもし出していたせいか、たいして話かけてもこなかった。

まあまあ、そいつは無視し、次々に運ばれてくるビールを、浴びるように呑みまくる。

日本の結婚式と違い、乾杯の音頭はなく、それぞれが勝手に酒をあおる。
自由や!
まあ、結婚式っぽいだけで、結婚式ちゃうしね。

しばらくすると、晴れ舞台の主役であるサイアンが、教会からオス2人にエスコートされながら、カンペシーノへとやってきた。

そして、挨拶的なモンをすませたあと、各自持参したプレゼントを渡し、おめでとうを告げる為に、彼女のもとへと向かう。
もちろん僕らも向かった。
レオンの孫たちと共に。


その後はもう、呑めや騒げや踊れやのイカれ三昧。
前夜にさばいた肉を肴に、ビール、カーニャ(さとうきび焼酎)、テキーラを、これでもかっつーぐらいにアホほど呑みまくる。

「もう十分やで」
と時計を見ると、0時をまわっていた。

(腹もいっぱいやし、そろそろ帰りたいなぁ)
ってところで、ウィスキー&ソーダが登場!

「こんなもん出されたら帰られへんがな!」

しかし、腹がいっぱいなので、ちびちび呑む。

ちびちび呑みながら世間話していると、1人の酔っ払いが近づいて来た。

「ライター貸してくれ」

「ごめん。持ってないわ」

この町じゃ見かけんツラした男や。
隣のカランサの人間か?
それとも、全く違う町から来たのか?

どっちにしろよそモンか。

向かいテーブルのおっちゃんから火を借り、そいつは僕の隣に腰掛けた。

そして、なんやかやと話かけてくる。

「どっから来たの? 中国?」

「髪型イカしてるね」

軽く10分ほど相手したろうか?

なんかだいぶ目もやばいし、こいつを追い払うか、僕が席を立つかせんとややこしくなるなと考えていると、
「あっちでツレが呼んでるよ」
と、まわりの人らがそいつに伝えに来た。

それでもこいつはなかなか席を立とうとしない。

すると、そのツレらしき奴がこっちへ近づいてきた。

そして、そいつを立たせ話出した。

(立ち話せんと連れて帰りゃいいのに)

そう思いながら2人を見ていると突然、後から来た男がこいつの胸ぐらをつかみ出した。

そして、右拳がうねりをあげ、先人は僕らのテーブルの上へと、ぶっ飛ばされた。
闘いのゴングが鳴らされたんや。

飛び散る琥珀色の液体。
グラスは割れ、ガラスへと変わる。

倒れた先人を、掴み上げては再び倒す。

まわりの男たちが後から来た男を止める。

「何やってんねん! お前こらぁ」

その通り!

ホンマにそや。
何が理由でそこまでするんや?
そして、この後の始末はどないするんや?

そんな険悪なムードが流れる中、ただ1人、目を輝かす男がいた。

それは何を隠そう、我らがBOSS・レオンである。

ちなみにBOSSはスペイン後でjefeーヘフェーだ。

先ほどまで眠気まなこで、めちゃくちゃ帰りたそうにしていたヘフェ。

孫たちに、
「ダンスはまだ終わらない」
と、帰ることを拒否されたヘフェ。

が、この騒ぎを理由に
「帰ろう!」
と言い出した。

やったねヘフェ!
ツイてるね。
ノッテるね。

そして、僕らは場を去った。

僕が呑む予定だったウィスキーは、母なる大地に捧げて場を去った。


それにしても、酔っ払い共のケンカの原因は何なのか?
もしかして俺?
俺が相手しなければ?
と、2人で話していたのだが、後日原因は判明した。


この夜ケンカした酔っ払い2人は、実は泥棒。
しかも、先に来た酔っ払いに関しては、タクの運ちゃんをしながら兼業で泥棒しているという。
なかなか器用な奴や。

じゃあ一体何故、2人がケンカになったのか?

それは先に来た彼が、携帯を盗めなかったからだ。


この時、僕らが座っていたテーブルの上には、携帯が1つ置かれていた。

そして、この携帯に目をつけた酔っ払いは僕に話しかけに来た。

が、レオンの奥さんグロリアが即座に携帯をしまいこんだので、獲物は消えさってしまった。

目的が無くなり、ただただ僕と話すだけになってしまった酔っ払いを、もう1人の酔っ払いが、
「何してんねんお前!
何で携帯パクれてないねん!」
と怒り、殴ったのだ。


なんともイカつい話である。
そして、何故泥棒をこの場に招待するのか?
不思議な話である。

しかし、携帯がテーブルの上に置かれていなければ、確実に起きなかった事態。

こんな危ない国で、携帯を置きっぱなしにする奴はなかなかいない。

この国に来て初めて、携帯を置きっぱなしにする奴を見た。

しかも、観光客ではなく現地人。

携帯の持ち主。
それはロヘリオ。

30歳を過ぎ、未だに働いたことのない異端児。

このアホのせいでみんなが嫌な思いをした。

当の本人は、知らぬ存ぜぬでプラプラ歩き回っていたというのに…。

こいつがパパから買ってもらった大事な携帯を、ちゃんと懐にしまいこんでれば、こんなことにはならなかったのだ。

クラリネットと携帯はとっても大事にするべきなのに。

これやからよそモンはイカン!
災いのみを運んでくる。

すべてはアホのせい。

Todo por culpa de Rogelio
ートード・ポル・クルパ・デ・ロヘリオー

「ぜんぶロヘリオのせい」
だ。

メヒコ エス トゥージョ

メヒコには15años(キンセアーニョス)というフィエスタがある。
これは、女の子の15歳の誕生日を盛大に祝うイベントで、親族はもちろん、仲のいい友達や、あんまり仲のよくない町内の住民。
そして、海から渡ってきたもらいコジキまでも、招待するほどの規模をほこる一大行事。
だから、誕生日をむかえる女の子は、結婚式並みにドレスアップする。
それをエスコートするおちんぽ野郎もまた然り、ちゃっかりタキシードを着ちゃったりなんかするのだ。

そんな15 años前夜。
12月16日(金)
仕込みの為に駆り出された。

豚六頭に牛二頭。
男が10人以上集まって、包丁片手にさばきまくる
そして、さばいた肉を女性陣が調理する。

豚六頭に牛二頭って言ったらかなりの量。
頭からケツから、豚に関しては皮までもが食料になるのだから、ホンマにかなりの量である。

しかし、僕は駆り出された意味がわからないぐらい、することもなく、ただひたすらにビールに焼酎、それにテキーラを呑みながら、ただただ傍観を決め込むスタイル。
きっと今頃日本でも、そんな傍観者スタイルが流行っていることだろう。

そんなNowなヤングマンを見て、寄り添ってくるのは、これまた傍観者を決め込むボラーチョのみ。
(borracho=ボラーチョ=酔っ払い)

その中でも、ひときわ輝く酔っ払いが寄ってきた。
名前はわからんが、寝ては酒呑んで、寝ては酒呑んでを繰り返すビール屋の爺ちゃんの兄弟。

そいつが僕にこう言った。

「Mexico es tuyo!」

メヒコ エス トゥージョ!

日本語に訳すと、
「メキシコはあなたのものですよ」。
関西弁で言えば、
”メキシコはあんたのもんやで!”
だ。

思えば、2011年3月31日にメキシコに来てから、八ヶ月が過ぎた。
一ヶ月程度グアテマラに浮気したとはいえ、七ヶ月この国におるワケや。

この町に関して言えば、前回を含め、計五ヶ月滞在している。

今では家を賃貸借りまでして、現地人決めこんでる。

そんな僕らをこの町のボラーチョは、メキシコ人として認めてくれたのだ。

ボスの家の近所に住むベニートに関しては、
「アウ! ハローチョ! アワワワワ~!」
と言ってくれる程や。

※ハローチョとは、ベラクルスに住む人のこと。
ゆーたら、パリに住んでるパリジェンヌみたいなもん。
ちなみに夢精ばっかりして、朝からパンツパリパリの奴を、パリジャンという。 オッシャレ~!
そして、アウ! アワワワワ~!は、最近ベニートの中で流行ってる、アパッチの叫びらしい。


しっかし、日本で生まれ、日本で育った生粋の日本人が、愛しの国・メヒコに住んで、現地人からハローチョ扱いされる。

これはめちゃくちゃうれしいことではないか!?

スペイン語がヘタクソでも、見た目が日本人でも、心はメヒカーノ!

Mexico es míoーメヒコ エス ミオー
メヒコは俺のもん!

そう。
もうすでに、メヒコは俺らのもんなんや!

あとは、ヨレヨレのジーンズ履いて、ジェルで髪固めるだけ。

これで完璧メキシコ人や!