2011年9月4日日曜日

消えたトイレットペーパー

8月13日(土)
馬の糞を拾い集めた。
馬の糞を拾い集めるのは、ドラクエ以外では初めてや。

もちろん売るわけでなく、食べるわけでもなく、肥やしに使う為に集めた。
しかし、集めてきたはいいが、土とも、枯れ草や枯れ木とも混ぜへん、水もかけへん、放ったらかしで、ホンマに肥やしになるんかいな??



8月14日(日)
ここに来て初めての日曜日。
今日は仕事なんかどうなんか微妙やなあと思いながらも、一応仕事着で外に出てみた。

するとNuriaが、
「今日は休む? 働く?」
と聞いてきたので、
「休む」
と答えた。

やったぁ!

飲み水が無くなったので、井戸水を汲み上げる手伝いをした後、トルティーヤを買いに行った。

家を出てすぐに、ゆうきのチャリがパンクしてることに気づいたので、ゆうきを帰らせ1人で買いに行った。

初めてのおつかい。
Letras de negroって店までトルティーヤを1kg買いに行く。

だが、ただ単に1kg買うだけではない。
というのも、この町ではトルティーヤ1kg=10.5ペソ。

しかし、彼女から預かったのは10ペソ。
これでは50センターボ足りない。

じゃあ、一体どうすんねん?
つったら、
「1kg=10.5。
でも、私はいつも10しか払わない。
だからハル。一枚二枚減らされてもいいから、これで1kg買ってきてちょうだい」

なかなか難しいことをいうお人や。
スペイン語わからんって、何回ゆーたらわかるねんやろ。

まあ、でもやらなしゃあない。


チャリをこぐ事3分。
Letras de negro なる看板はどこにもなかったが、地元民に聞き、無事に目的のトルティーヤ屋さんに着いた。

「トルティーヤおくれ!」

「何キロ分?」

「1kg!…でも、10しかないねん」

「いいよ」

ちょっちビビッてたが、思ったより簡単に買えた。

ルンルン気分で家に向かってると、向かい側からゆうきちゃんが、チャリを引いてやってきた。

どうやらパンクではなく、空気がないだけやったみたい。

でも、空気入れ貸してと彼女に言ったら、
「お前がパンクさせたんかぁー!!」
と、凄いけんまくで怒鳴られたそうや。

パンクやないてわかったら、落ちついたみたいやが。

こないだはこないだで、ドアが開けっ放しってので、めちゃくちゃ怒られた。

鶏が入ったら部屋が荒らされると。

どうやら物が壊れるうんぬんに関して、彼女は非常に敏感なようや。

あと整理整頓に関しても。


下手したら食べ物の中に、馬糞でも入れられるかなぁと思てたが、なんとか平穏無事に朝食を済ます事が出来た。

機嫌悪いかなぁともおもたが、今日はここに来て一週間祝いってことで、朝からメスカルを呑ませてくれた。

ラッキー!

その後、近所の商店でビールを呑んでたら、地元民からメスカルをご馳走になった。

昼から呑んでる輩やから、たち悪いかなと思ったら、意外と紳士。
乾杯を交わしたあとは、まったくからんでこなかった。

かっこいー!!

時間はだらだらと流れ17時になり、Nuriaと共にとある場所へと向かうことに。

僕らが住んでる町から歩いて5分の隣町・LACHIGOLOーラチゴロー。

この町の外れに、60年前にNuriaの兄ちゃん・Robertoが植えた木がたくさん育った場所がある。

荒れ地の草をかき分け、今では使われていない線路を横切る。

彼女は言う。
「ヨーロッパにしても日本にしても鉄道が盛ん。
それは素晴らしいことだ。
それなのに何故、メキシコ人は線路を無くしたのか?
ロコ(狂ってんの)か?」

ホンマにこっちの人らってば口が悪い。
すぐにロコとかトント(阿呆)とかいう。
まあ、日本も変わらんか…。

線路を横切った先には、数百本の木がそびえたっていた。

60年前というと、1950年代。
まだまだエコなどとは無縁だった時代に、ロベルトはエコに生きるべきやと思い、この地にたくさんの木を植えたそうや。

めちゃくちゃキレイに木が生い茂ったこの地を、彼女は聖地と呼んでいる。

ここには兄ちゃんが生きていると。
だから兄ちゃんと話す間、2人はその辺でチュッチュッしといてと、放ったらかしにされた。


ここに2人で住んでいたのは二年間だけ。
電気も何もない中で、2人っきりで生活してたんやそうや。

きっとその時のことを思い出しながら、ロベルトと話してたんやろう。

その間、僕らは蚊と戦いながら、墓の周りをうろついていた。

ロベルトの墓ではない。
現在この土地の所有者であるイタリア人の、亡き奥さんの墓である。


彼女とロベルトの会話が終わり、インターネットの店を探しながらGUENDULAINーグエンヅラインーへと向かう。

しかし、日曜日ってこともあり、インターネットの店は全て閉まっていた。

ここから先、店はない。
このまままっすぐ帰るだけやなと思っていたら、途中でNuriaのバイクが止まった。

そして、1人の男性を紹介された。
名前はPato(パト)。

98歳になる母親・Maríaと共に暮らしている。

Nuriaを、
「Como Sócrates(コモ ソクラテス)ーソクラテスみたいやー」
と崇める彼に、ビールとこれまたメスカルをご馳走してもらった。

ほんまオアハカ人はメスカルが好きやなあ~。
そして強い!

8月12日もそやったが、今日にしても、メスカルをストレートでガバガバ呑んでいる。

メスカルといえば、まあ簡単にいえばテキーラみたいな物やおもてくれたらいい。
味は全然ちゃうけど、ハードリカーってことに変わりはない。

ウィスキーにしても、ジンにしてもハードリカーやろ。

味はちゃうけど、きっつい酒なんやから、そらまあちびちび呑むわけですわ。

それがオアハケーニョたちときたら、ストレートグラスに入れて二~三口でグイッと呑み干しちゃう。
ご丁寧にも片手には、チェイサー用の麦酒まで用意して。

昼夜お構いなしに呑む。
せやけどあんまり酔ってへん。
うん、強い!

ベラクルスではみんな、コーラかなんかで割ってたのに。

同じメキシコ内でもこうも違うもんなんやぁと、しみじみ思うわけですわ。

ホンマ地方によって、酒も食べ物もさまざまやわ。

ベラクルスっ子が、さとうきび焼酎”caña”なら、オアハカっ子は、アガべ(サボテン)焼酎”メスカル”。

チアパスにポッシュがあれば、他方にはプルケもある。

アメリカ近くではワインまで作ってるし、僕がいつか行きたいと思ってるチワワの方にも、オモロイ酒が潜んでそうや。

ペルー行ってピスコも呑んでみたいし、またベトナム行ってル・カンも呑みたい。

この世界には呑みたい酒がなんぼでもゴロゴロしとる。

しかし、その為にはやはりビザが必要かなぁ。
働きながら旅せんことにゃ、俺らの夢が終わっちまうぜ。



8月15日(月)
今日突然。
トイレットペーパーが新聞紙に変わっていた。

節約の為だろうか?

僕らが一週間そこそこで、2ロール使ってしまったことに対するお仕置きだろうか?

それとも、新しい紙を買うお金が切れたのか?

謎や。
もしかしたら買ってきた方がええんかな?

それとも、しばらくウンコ我慢した方がええんかな?



8月16日(火)
Nuriaからマッサージのお返しにと、お守りを2つもらった。

1つは、握りしめたコブシの形した、幸運を手中に治めるお守り。
そしてもう1つは、夢を叶えるターコイズ。

毎日必ず三食出してくれるから、そのお礼にと二回マッサージをしただけやのに、まさかお守りをくれるとは。

感謝感謝や。

ちなみにオアハカの町では、マッサージ・1時間250ペソ(約1800円)らしい。

僕ら2人で30分30ペソ(約200円)やのに。

いつかオアハカで荒稼ぎしたろか??


相変わらずトイレットペーパーは新聞紙のままやが、天気もいいので散歩した。
Lachigoloを超え、歩くこと1時間。
Tlacochahuayaートラコチャウアヤーという町の、有名っぽい教会に着いた。

が、時間も無かったし、教会内がアンティークな作りとも知らなかったので、スルーして帰って来てしまった。

またいずれ行こうと思う。

メルカド(市場)で飯も食えるらしいから、日曜日がいいやろう。

ビールやりながらが最高や!

そして、家にトイレットペーパーがあればもっと最高や!



8月17日(水)
今日はもう一個の家の掃除をした。
僕らがここに残るなら、住んでいいと言われている家。

Nuriaがカウチサーフィンで出会った日本人カップルと、中国人が1人、もうすぐやってくるらしい。

彼らが来たら、僕らはそこへ引越ししないといけないので、本日掃除することになった。

この家は部屋が2部屋あり、今住んでいる部屋より広い。
レンガ作りで暖かいし、離れにあるのでより自由。
だが、床が土。

改装途中に金が無くなった為に、床が土のままなのだ。

これでは掃除のしようがない。
掃くたび歩くたびにホコリは舞うし、ベッドの上以外では靴も脱げない。

それに、ここにあるシングルベッドで2人が寝るのはなかなかしんどい。
かなり小さいから。

床に一枚ゴザみたいなん敷いてるけど、すぐに土まみれなるし。

ここに僕ら2人と中国人1人の計3人が寝るってのは、なかなかキツイ話や。

それに、見ず知らずの中国人が2〜3日遊びに来てから帰った後、気がついたら部屋に置いてたトランクが、ジャンボ餃子に変わってたってのもよく聞く話。

名前もマギー・チェンって!

何やら怪しい匂いがプンプンや。
下手したらあの人の弟子やろ?

まあ、トランクの皮が餃子の皮に変わっただけなら、軽くなった分、持ち運びが便利やとしても、中身がニンニクと挽き肉になってしまったなら、
…白飯が食べたくなるがな。

でも、ここにはラー油がないから、なかなか食えん話や。
残念。

そんなこと考えてたら、チェンとの生活もなかなか面白そうな気がしてきた。

ならば日本人カップルだけ断ってチェンだけを呼び、僕らは今の部屋のままでいるのが最善策なんちゃう?

何故、後から来た日本人に、僕らの憩いの場を奪われなければならないのかが不思議やもん。

何も知らん日本人カップルが、
「わあっ。素敵な部屋やわぁ。
ベッドも広いし最高!」
なんつって、パンパンやらかし始めた日にゃあ、小便混じりの土団子でも口に詰め込んだろか!

まあ、居候やから文句は言えんが。

一日3時間働くだけで、三食宿付き。
水も電気も使い放題なんやから、文句は言えない。

でも、でもね。
日本人として生まれた僕にとって、床ってほんまに大事やねん。

裸足で歩きたいねん。
靴は家の中では脱ぎたいねん。
床にも座りたいし、寝転びたい。
ゴザの上を靴で歩かんといて欲しいねん。
せっかく掃除した床、平気で土足で上がりこむ人らの気持ち、まったく理解出来ひんねん。

だから、もう、カウチサーフィンで人呼ぶのはやめて欲しいなぁ~。

そうしてくれたら、無くなったトイレットペーパー。

いますぐに僕が買ってくるから。

それも4ロール入りね。

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